経営に役立つコラム

【賢者の視座】株式会社ビィ・フォアード 山川 博功

目指すのはインターネットによるグローバル物流。
世界の誰にもできなかった事業に挑戦する。

株式会社ビィ・フォアード
山川 博功

中古車買取業で成功を収めた後、中古車の海外輸出業へと進出し、設立15年目にして売上高800億円を達成しようとする企業がある。
株式会社ビィ・フォアードは大企業が苦戦するアフリカ進出に成功。そのアフリカ市場攻略の極意を、代表取締役 山川博功氏が語る。

株式会社ビィ・フォアード 山川 博功

株式会社ビィ・フォアードのオフィスに一歩入って驚くのは、そのグローバル度の高さだ。社員205名のうち、外国籍が30カ国60名。彼らは一様にPCに向かい、ヘッドセットを付けて電話応対を続ける。そこで使われる言語は30。電話の相手はアフリカ諸国を中心に世界153カ国・地域に及ぶ。

創業者の山川博功氏は、もともと自動車販売の営業職から起業した人物。中古車買取業を立ち上げて成功し、さらなる飛躍を目指していた2004年、中古車輸出業に着目して設立したのがビィ・フォアードだ。

当時、中古車輸出はパキスタンの業者の独壇場。きな臭い噂もあり、国内の業者はみな及び腰だったが、山川社長は「やってみないとわからない」と、試しにミャンマーとニュージーランドへ仕入れた中古車を送り込んだ。ところが、現地業者に騙されて失敗。それぞれ2,500万円と2億5,000万円の損失を被る悪夢のようなスタートだった。

「中古車買取業で毎年1億円近い経常利益があったため、経営への影響はありませんでした」と、山川社長は振り返る。「ただ腹が立って腹が立って。当時は30歳そこそこで若かったですし、営業では負け知らずだった自分がなぜ絵に描いたような失敗をしてしまったのか。ここからどうやって這い上がろうか。そればかり考えていました」

冷やかし客をいかに拾っていくか

株式会社ビィ・フォアード 山川 博功

転機が訪れたのは2006年。中古車輸出専門のポータルサイトに加入し、オークションで買い取った車を写真付きで載せていたところ、地球の裏側の国から注文が入るようになった。さらに国内ではスクラップ同然の車を掲載したところ、アフリカの顧客から反応があり、面白いように売れたという。顧客も当初は現地業者が中心だったが、WEBサイトを見た海外の個人ユーザーから問い合わせが相次ぎ、日本の中古車のニーズの大きさを実感。商機があると見るや、山川社長の動きは早かった。「さっそく英語ができる社員を複数名雇い、“電話にはすべて出ろ。メールにはすぐ返信しろ”と指示しました。WEBサイトを訪れる人のほとんどが冷やかしですが、当社はそれをどのように拾っていくかを考えた。どう見ても買ってくれそうにないメールにも返信し続けると、“ビィ・フォアードは対応が違う”という口コミが広まる。そしてクリスマスキャンペーンなどをきっかけに一気に顧客化できる。例年キャンペーン賞品には300万円弱の車を用意し、かなりの資金を投入しますが、半年以内にほぼ回収できますよ」

まさに「ジャパニーズ・クオリティ」とも呼べる接客対応を続けた結果、2010年に月間1,000台だった輸出台数が、4年後には1万5,000台に。チャイナ・ショックなど景気の変動を受けながらも、ビィ・フォアードの社名は着実にアフリカの地に浸透していった。

「私たちが想像する以上にアフリカは人と人とのつながりが深く、今でも口コミが最大の広告手段です。我々はこれを利用して、ベタなマーケティングを続けました。輸出する車に社名入りステッカーを貼り、購入者にはTシャツや帽子などのノベルティグッズを配る。もちろん、配るからにはかっこいいデザインにとことんこだわりました。日本では当たり前のこともアフリカでは斬新で、結果として車を降ろす港はビィ・フォアードのロゴだらけになった。“Tシャツが欲しいなら車を買ってくれ”と言い続けたこともあるほどです」

こうして日本ではほぼ無名の企業が、アフリカではトヨタ自動車よりも有名企業となった。その証となるのがアフリカ各国でのビィ・フォアード検索数。Google、Facebook、YouTubeなど世界的なWEBサイトに混じってビィ・フォアードが上位にランキング入りし、Google米国本社から副社長が来日した際、山川社長と面談する機会も設けられたほどだ。

現地業者を競わせ、システムでコントロール

周知のとおりアフリカは将来有望なビジネスフロンティアだが、政情不安や紛争、犯罪、商品の盗難などトラブルが多い。山川社長もトラブルに耐えかねて撤退していく日本企業を数多く見てきたという。では大企業も苦戦するアフリカ市場を、ビィ・フォアードはどのように開拓し、商品を顧客に届けているのだろうか。

株式会社ビィ・フォアード 山川 博功

「大企業は日本式のビジネススタイルをアフリカに持ち込もうとされますが、それでは上手く運ばないでしょう。我々は現地に代理店を作り、現地での事務手続きや陸送を任せています」

2019年1月現在、ビィ・フォアードの海外代理店は24カ国46社76店舗に上る。代理店に選ぶのは現地の通関業者。通関業者は物量に応じた通関料が収入になるため、ビィ・フォアードとの取引を希望する。数ある通関業者の中から規模が大きく実績があり、現地の有力者が経営する企業を1国につき3社程度選び、互いに競わせる。トラブルが多発する業者は取引量を減らし、それでも改善されない場合は契約を解除する。さらに代理店にビィ・フォアードのシステムを導入させ、「仕事をしなければいけない状況」を持ち込んだことが効を奏した。

「アフリカでは連絡ひとつ、事務手続きひとつ取り上げても、日本の常識は通用しません。しかも隣国の業者同士がお互いを信用しておらず、“これをしなさい”と言うだけでは動かない。そこで我々は通関から顧客への納品まで、細かなシステムを創り上げました。例えば日本から書類が届くと、代理店の担当者は自分の名前でログインし、通関手続きに必要な書類を作り始める。すると顧客に自動配信メールが送られ、顧客は自分が購入した車が港に着いたことを知る。細かな工程をすべてシステム化し、クリックしないと先へ進めない環境で、誰が、いつ、どの作業をおこなったのか一目瞭然。しかも全作業を我々が日本でモニタリングできる。ここまですると作業の漏れがなくなり、次の作業へと嫌が応にも進まざるを得なくなります」

陸送ルートを構築し、流通に革命を

アフリカには内陸国が多く、陸送ルートも整備されていない。港に下ろした車をどのように顧客のもとに届けるのか、ビィ・フォアードも当初から苦心した結果、各国の代理店をつなぐ陸送ルートを構築。現在116路線が稼働中だ。また、以前は車1台ごとにドライバーが乗り込んで輸送していたが、今はトレーラーを使い、コンテナで輸送する。そのため、より大きな物量が運べるようになり、コストダウンも可能になった。こうなると車だけ運んでいてはもったいない。車と車の間にできる空間を活用し、今ではエンジンや自動車部品はもちろん、コピー機や農機具なども輸送する。その結果、日本⇒アフリカ、アフリカの国際港⇒ 内陸国への輸送費が驚くほど割安になり、現在アフリカの個人顧客を対象に配送料無料の「シッピングフリーキャンペーン」を実施中だという。これも山川社長の創業以来のモットーである「必要以上に利益を取らない」「薄利多売」の表れだろう。

「調布の小さな中古車買取店がここまで急拡大できたのは、ITを最大限に活用したからです。中古車はたまたま始まりであったに過ぎません。我々が目指すのはインターネットによる物流。WEBサイトでクリックを繰り返すだけで、横浜から商品を船に載せ、タンザニアのダルエスサラーム港に下ろし、通関させ、内陸のザンビアにいるお客様まで届けることができる。そんなことを実現できる企業は当社ぐらいでしょう」

山川社長がこれまでITに投資してきた資金は数十億円。企業規模に比べると驚くほど大きな金額だが、動じる様子はない。「私は何もないところから試行錯誤しながら事業を拡げてきました。大切なのは、とりあえず具体的にやってみること。痛い目にも遭いましたが、もともとがゼロからのスタートだから失うものもない。今後もスピード感を持って事業に邁進し、次世代や次々世代に果実を残したいですね」

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株式会社ビィ・フォアード
代表取締役社長 山川 博功

1971年福岡県生まれ。1993年、明治大学文学部卒業。東京日産自動車販売株式会社入社。1996年に退職し、転職を繰り返した後、1997年中古自動車買取業の株式会社カーワイズ入社。1999年にグループ内で独立し、有限会社ワイズ山川を設立。2002年より中古自動車輸出を開始。2004年に中古自動車輸出部門を分社化し、株式会社ビィ・フォアードを設立。取引実績国・地域は153カ国に上り、2018年度には売上高800億円、売上台数20万台を予定する。著書に『グーグルを驚愕させた日本人の知らないニッポン企業』(講談社)、『アフリカで超人気の日本企業』(東洋経済新報社)など。