経営に役立つコラム

【賢者の視座】株式会社Lily MedTech(リリーメドテック) 東 志保

経営経験ゼロから医療ベンチャーの経営者へ。
目標に向かってモチベーション高く邁進する

株式会社Lily MedTech(リリーメドテック)
東 志保

罹患率が高いにもかかわらず、検診受診率が上がらない乳がん。
株式会社リリーメドテックは痛みのない乳がん診断装置を開発することで、乳がんに苦しむ人をなくすことを目指す医療ベンチャーだ。
同社を率いる東志保代表取締役CEOが医療機器業界の喜びと苦労を語る。

「乳がんと闘う」この言葉のない世界を目指して

日本人女性の9人に1人が罹患する乳がんは、早期発見・早期治療をすれば助かる可能性が高い。にもかかわらず検診受診率が上がらない理由に、マンモグラフィー検査がある。マンモグラフィーは2枚の板で乳房を強く挟み、エックス線を照射して撮影するため、人により痛みを伴う。さらにがんも乳腺も白く映り、判読が難しいケースやエックス線による放射線被曝の問題もある。この長年の課題に挑むのが、株式会社Lily MedTech(以下、リリーメドテック)代表取締役CEOの東志保氏だ。

同社が開発中の超音波診断装置「リングエコー」は、東京大学疾患生命工学センターで2013年より行われていたプロジェクトに技術の種(シーズ)を持つ。検診を受ける女性はベッド型の診断装置にうつ伏せになり、ベッドの穴に乳房を片方ずつ入れるだけ。乳房を挟まれる痛みもなく、誰かに触れられることもない。放射線被曝もなく、乳腺は白く、がんは黒く可視化ができる。しかも撮影者である技師に、従来の超音波診断のような検査技術を求めない。「リングエコー」研究開発の中心的存在は東CEOの夫であり、東京大学教授だった東隆氏。大学内での零号機開発中から東CEOも参画し、資金調達の目途がついたのを機に、2016年5月リリーメドテックを創業。2019年4月より、東隆教授も大学を退任して、同社の取締役CTOに就任した。

東CEOの前職は測定器メーカーの核磁気共鳴装置(NMR)のエンジニア。もちろん経営経験はないが、いざ会社設立となったとき、研究者やエンジニアは多数いるものの、資金集めやマネジメントをする人材が他にいない。当初は社長になってくれる人材を外部に求めたが、これが難航する。

「医療系ベンチャーは実用化までに相当な時間がかかります。弊社も2013年の研究プロジェクト立ち上げから創業まで3年。そこから4年経過し、現在ようやく販売が見えてきたところです。これだけの長期にわたって私たちと伴走する覚悟のある人、自分事としてこの会社に責任を取ってくれる人がなかなか見つからなくて。とくにものづくり系の企業は、若手エンジニアの人生を背負い込む腹が据わっていないと経営が難しいもの。これは探していても見つからない、どうしよう?と」

そのとき、東隆CTOが切り出した。

「あなたがやるべきだ。あなたは社長に向いている」

CTOとはかつて大手メーカーの研究部門で同僚だった間柄。互いの仕事ぶりや研究に打ち込む姿勢も熟知している。さらに、「どんなときにも判断能力がブレない」とも指摘され、CEO就任の決意が固まったという。

母のがん闘病が起業のモチベーション

そもそも東CEOが畑違いの乳がん診断装置の開発に身を投じた背景には、高校時代に母を脳腫瘍で亡くした原体験がある。

「がんの闘病は本当に過酷なものです。とくに40代ぐらいの母親ががんになると、その子どもはほとんどが10代以下。これから大きく羽ばたく多感な時期であり、子どもや父親への影響は計り知れません」

闘病の甲斐なく、母は46歳で死去。家族の精神的支柱だった母を失った後、血縁トラブルが続き、約10年後には父も死去。仲の良かった家族はバラバラになってしまったという。「振り返ってみれば、若い頃から家族のトラブルに巻き込まれ続けてきたことが、判断能力や課題発見力を養ったのかもしれません。解決方法を提示し、人と交渉し、なるべく多くの賛同を得て、最終的に解決する。仕事でもその能力を発揮するのをCTOは見ていたのでしょう」

そして、「どんなに医療が進歩しても、勝てない病気がある」と、一時はあきらめの境地に達していた医療分野で、開発中の乳がん診断装置が東CEOの心に火をつけた。

「乳がん罹患率がもっとも高いのは40代女性。この年代の女性ががんに倒れると、私の家庭と同じように家族全員が悲惨な目に遭ってしまう。これは母の病気へのリベンジであり、自らのつらい経験にひと区切りつけるチャンスだと思いました。ですから起業のモチベーションは高かったですね」

社会貢献度の高い理念が協力を呼ぶ

当然のことだが、医療機器の開発には莫大な資金が必要だ。創業後、東CEOもひたすら資金調達の日々で、数え切れないほどの投資家に話を持ち込んだという。

「経営経験ゼロですが、自分では“このビジネスはイケる!”と信じているので、“なぜイケるのか”を説明するしかありません。ところが、試作機が完成しても、すぐに実用化に直結しないのがこの業界。社内では着実に前進していると実感していても、外部の専門家ではない人に開発進捗を理解していただくのはほぼ不可能。そこでビジネスとしていかに魅力的か、なぜ弊社にしかできないのか、プレゼンテーションの方法も工夫し、ひたすら訴え続けました」

株式会社Lily MedTech(リリーメドテック) 東 志保

なにより驚いたのは、医療機器業界において「理念」が持つ力の大きさだった。リリーメドテックの理念は“「乳がんと闘う」この言葉のない世界を目指して”。同社の理念が持つ社会貢献度の高さが、実際に資金面での協力獲得につながった。ベンチャー業界で必ず問われる「どう成長し続けるか」というスキームは、創業後2年程度経過した頃にアイデアが生まれ、最終的な成長戦略へと昇華されていった。「創業当初は事業会社の製品化までのプロセスを知らない人が多く、経営経験のない人間は投資家から信用してもらえないから、理念を強く訴えるしかありません。ところが私自身が医療機器事業に必要な知識を身に着け、計画に落とし込み、実行したことで、会社の方向性が決まり成長していきました。最初に事業計画の骨子のみを決め、事業を進めながら、肉付けしていきました。事業開始前から全て決めておかないと意思決定が大企業には難しいことかもしれませんね」

さらに医療や技術に詳しくない投資家にもわかりやすいように、さまざまなアワードや助成金に応募し、受賞・採択に努力した。その結果、経済産業省「J-Startup」企業選定をはじめ、Japan Venture Awards 2020「中小企業庁長官賞」受賞、先端医療機器アクセラレーションプロジェクト(AMDAP)採択など、名だたるアワードや助成金を獲得し、注目を集める事業であることをアピール。およそ30億円の資金を調達することができた。

経営者が考え抜くことで説得力が増す

資金集め以外にも、医療機器メーカーの経営者は考えなければならないことが多い。国の許認可を取得するための準備や法規制の知識。臨床の現場を理解し、医師と課題や解決方法をディスカッションできる知識。販路の獲得。知的財産権の知識や特許取得も重要だ。大企業ならすでに多数の特許を取得しており、転用も可能だが、ベンチャーはゼロからのスタートで、「とにかく勉強が必要」だという。

また、同社にはすでに約40名の社員がおり、そのほとんどがハードウェア・ソフトウェアのエンジニア。従来の装置の知見やノウハウも必要なため、20代から70代まで幅広い年代の人材が集まっている。

「多彩な人材をまとめていくために必要なことは、何のために起業して、どんな世界を作りたいのか。そのためにどういう使命を持ち、どういう手段を使って課題解決するのか、共有することです。課題をよく調査・解析し、本質的に何が問題なのか。どういうところを巻き込めば課題解決になるのか。社長がつねに考えて発信することで、説得力が増すのだと思います」

起業から4年。現在、「リングエコー」の開発は、同社が目指す水準のおよそ80%に達したところだという。これが100%になったとき、安全で苦痛のない乳がん診断装置での検診が現実になる。その日を待ち望む女性は、決して少なくないだろう。

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株式会社Lily MedTech(リリーメドテック)
代表取締役CEO 東 志保

1982年、茨城県生まれ。電気通信大学卒業。中学時代から宇宙分野にあこがれ、米国アリゾナ州立大学大学院に留学し、航空宇宙の修士号を取得。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究員を目指すが、父親の突然の死により経済的な問題から研究の道をあきらめる。帰国後、株式会社日立製作所中央研究所、日本電子株式会社などでエンジニア経験を積む。日立製作所中央研究所で同じく研究員を務めていた夫の隆氏と28歳のときに結婚。隆氏は2011年に東京大学に入職。2016年、隆氏とともに株式会社Lily MedTechを創業する。