経営に役立つコラム
【賢者の視座】ホットマン株式会社 坂本 将之
タオルづくりに魅せられ、38歳で社長に就任。
お客様の人生に寄り添い、
心豊かな生活に貢献したい。
ホットマン株式会社 坂本 将之
激しいグローバル競争にさらされる繊維業界にあって、「Made in Japan」の高級タオルをつくり続けるホットマン株式会社。
その社長を務める坂本将之氏は38歳の若さで抜擢され、150年続く老舗企業の舵取りを任された人物だ。
ホットマン株式会社の創業は明治元年(1868年)。当初は着物生地の絹織物製造からスタートし、タオル製造に転じたのは戦後のこと。以来、高級タオルのメーカーとして世に知られてきた。
同社のビジネススタイルは製造から販売まで一貫して行う製販一貫型(SPA)。自社内で製造したタオルを全国71の直営店などで販売する。また、タオル製造には「織る」「染める」「縫う」など多くの工程があり、それぞれ専業の企業が存在するのだが、ホットマンはこれらの工程をすべて自社で一貫生産できる仕組みを持つ稀有なメーカーでもある。つまり、ホットマンは業界で国内唯一「製販一貫」と「製造部門の一貫生産」を実現した企業であり、そこには「高い品質を追求しながら、すべての工程に責任を持つ」という創業者の想いがあった。
当然ながら、このビジネスモデルを実践するには各工程の工場や販売店を維持し、各部門の職人を脈々と育成して知識や技術を蓄えていく必要がある。
かつて日本の産業を支えた繊維業界だが、今やタオル産地としては愛媛・今治、大阪・泉佐野以外はほとんど残っていない。ホットマンの創業者は東京・青梅に繊維産業を育てた人物で、一時は青梅も「織物の里」として栄えたが、今やタオル製造業を続けているのは同社のみ。ビジネスモデルにおいても、地域性においても、唯一無二の存在といえる。
そんな老舗企業の社長に38歳の若さで就任したのが坂本将之氏だ。創業家一族とはなんら血縁はなく、ホットマンに就職するために初めて青梅の地にやって来たという、ごく一般的な入社経歴の持ち主である。
そもそも坂本氏は岡山県の出身。10代の頃からジーンズが大好きで、「繊維をもっと勉強したい」と入学したのが信州大学繊維学部だった。就活の時期を迎え、「繊維メーカーとしてものづくりをしている会社で、かつ販売もしている会社はないだろうか」と考えた坂本氏は、研究室の教授に相談。少し考えた後、恩師が口にした言葉が彼の将来を決めた。
「1社だけある。ホットマンという会社で、30年前からタオルをつくっているメーカーだ」
当時、坂本氏はホットマンの存在を知らず、もちろんタオルづくりを考えたこともなかった。しかし、同社の工場を見学し、社員の説明を聞くうちに入社を決意する。
「他社から言われたものをつくるだけではないし、既存の製品の中から選ぶわけでもない。一から自分たちでつくるのだから、この会社なら面白いことができるのではないか。そんな予感のようなものがありました」
入社後すぐ、坂本氏は製造部門に配属。念願だったものづくりの現場で働きはじめる。しかし、1999年当時はまだ研修制度が整備されておらず、先輩職人の仕事を「目で盗む」ことが当たり前だった。
「そこで工場責任者にお願いし、先輩方が帰った後も工場に残って取扱説明書と首っ引きで機械と向き合いました。バラせる機械はバラして再度組み立てる。もちろん、ちゃんと元に戻せるように写真を撮って、記録を残しながら進めました」
こうして順々にタオルづくりの工程を学び、自分の中に知識と経験を蓄えていったという。
「売りづらいタオル」が支持される理由
タオル織機
昭和30年頃に実際に使用された機械の小型機
タオルづくりは複雑なバランスの上に成り立っている。どんな糸を使うのか。どんな太さにするのか。太い糸で緩い密度で織るのか、それとも細い糸できつい密度で織るのか。表面にあるパイルの長さをどう設定するのか――こうしたすべての工程での微調整がタオルの出来不出来を左右する。
「試行錯誤を重ねて、いいバランスの製品ができたときは、ものづくりの人間として本当に楽しいですね。そして当社のタオルが単なる水を吸い取る布に留まらず、お客様に快適さや心豊かな気持ちを感じていただければ、これ以上の喜びはありません。当社が販売部門まで持っているのは、製品だけでなく想いまで届けることができるから。さらに販売部門でお聴きしたお客様の声を生産部門へフィードバックし、技術をますます深めることができるからです」
実際、ホットマンのタオルの品質には特筆すべきものがある。例えば、「新品のタオルは水を吸わない」とよく言われるが、同社のタオルには当てはまらない。なぜなら、一般的なタオルは表面を柔らかくするために柔軟剤をたっぷり使用しており、そのために吸水性が落ちるのだが、ホットマンは柔軟剤を一切使わない。この吸水性のよさを広く知ってもらうため、同社では「1秒タオル」と名づけた商品を企画。水に浮かべた瞬間、1秒以内に沈みはじめる吸水性が評判を呼び、数々の賞を受賞している。
「私は『引き算のタオル』と呼んでいます。吸水性を高めるために、吸水剤などさまざまな薬剤を足すことが多いですが、当社は余計なものを加えません。それが結果として、安心・安全なタオルにつながります」
もちろん、原料にも徹底的にこだわる。いい原料にこだわらないと、いいタオルはつくれない。ホットマンのタオルは薬剤で柔らかくしない分、素材のポテンシャルを引き出しているタオルといえる。
また、染色工程で使う水を秩父山系の伏流水に限定。水を扱う工程だけは埼玉県川越市に集約し、1日2便トラックで生地を運ぶ。輸送コストをかけてもここまで徹底するのは、染色の前処理で不純物を徹底的に落とす工程に、ちょうどいい硬度の水が必要だからだ。
これほど手間とコストをかけて優れたタオルを生み出しているのだから、当然価格は海外製品や他社製品より高くなる。しかも柔軟剤を使わないため、最初に手に取ったときの感触も他社のものほど柔らかくない。
「ですから、当社のタオルは『売りづらいタオル』なんです。なぜ最初に手に取ったとき、他社製品より硬く感じるのか。なぜ価格が他社製品より高いのか。きちんと説明してお客様に理解していただく必要がある。当社が販売部門を持つようになったのは、自然な流れだったと思います」
以前は口コミや法人営業の場などで評判が広がっていたが、インターネットの普及や贈答品タオルの需要が減るにつれ、「もっと会社の考え方や製品のよさをきちんと伝えなければ」という気風が社内に満ちて来た。伝えるなら、商品を熟知した人間のほうがいい。こうして白羽の矢が立ったのが坂本氏だった。
「生産部門を熟知する若きリーダーが必要」
当時、坂本氏は38歳。28歳で生産部門のトップになり、社長就任直前の肩書は研究開発室長兼商品部部長だった。
「前社長から社長就任の打診を受けたときは、正直悩みました。しかし、時代がどんどん変化していく中、革新ではなく革命を起こすぐらいでないともはや生き残れない。それならば過去の成功体験を持つ世代ではなく、若い世代が舵取りをするべきではないか。そう説得され、私も覚悟を決めました」
38歳の新社長就任は、当然ながら社内外で驚きを持って迎えられた。
「社内で私の社長就任が発表された瞬間、悲鳴のような声が上がりました(笑)。取引先も当初は冗談だと思って取り合ってくれませんでしたね」
坂本氏が社長に就任して、まだ1年半。しかし、その間にホットマンはさまざまなプロモーションや情報発信に取り組み、メディア露出も増えた。経済産業省のクールジャパンコンテンツの1つ「The Wonder 500TM」に選ばれたのもそのひとつ。東京生まれの高品質タオルを海外展開させる取り組みもはじまっている。
「生まれてから死ぬまで、私たちは1日としてタオルを使わない日はありません。それほど人生に寄り添い、水分とともに家族の思い出も吸い取ってくれるのがタオルという製品です。だからこそ、我々は耐久性にもこだわります。長く使っていただくためには風合いが損なわれない品質のよさが必要で、その点にも絶対の自信を持っています」
確かにタオルがない生活は考えられないし、タオルが快適であれば1日のはじまりも快適だろう。毎日、手に取って使うものだけに愛着も生まれやすい。たかがタオル、されどタオル。東京・青梅の山里にも「Made in Japan」の品質と誇りを守り続ける中小企業がある。日本のものづくりの奥深さと基盤の確かさを、老舗企業の若き社長から改めて教えていただいた。
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ホットマン株式会社
代表取締役社長 坂本 将之
1976年岡山県生まれ。信州大学繊維学部卒業後、梅花紡織株式会社(現・ホットマン株式会社)に入社。生産部門を歩み、2010年本社工場長に。2014年研究開発室長兼商品部長として商品企画を経験。法人営業にも携わる。2015年4月、同社の7代目社長に就任し、現在に至る。