経営に役立つコラム
【賢者の視座】サラヤ株式会社 更家 悠介
目先の利益に走るな。
10年20年の継続が企業のブランド価値を創る。
サラヤ株式会社
更家 悠介
創業以来、一貫して「衛生・環境・健康」に関わる商品・サービスを提供し、確固たる環境ブランドイメージを築き上げたサラヤ株式会社。
1998年の就任後、売上を伸ばし続けてきた2代目社長・更家悠介氏に環境問題への取り組みやグローバル化、事業承継など、幅広くお話を伺った。
日経BP環境経営フォーラム「環境ブランド調査」といえば、例年名だたる大企業が上位に入ることで知られている。その中の「環境考慮ランキング(商品購入者のうち企業の環境活動を考慮した割合)」部門で、2年連続第1位を獲得した中堅企業がサラヤ株式会社である。しかもホンダ、トヨタ自動車など日本が世界に誇るものづくり企業を抑えての第1位。資本金4,500万円(2016年10月現在)の中堅企業がここまで評価される理由は、いったい何だろうか?
この問いかけに、代表取締役社長の更家悠介氏は柔和な表情でさらりと答える。「ランキングで上位に評価されるのは大変ありがたいことなのですが、それは一時的なもの。1位であっても5位であっても、当社はやるべきことをやるだけ。目先のことには振り回されないようにしています」
更家社長の言葉どおり、同社は60年以上に渡り、一貫して「衛生・環境・健康」に関わる製品・サービスを提供し続けてきたメーカーである。1952年、創業者である先代社長が当時蔓延していた赤痢の集団感染を防ぐため、手洗い石けん液を開発。この製品は後に緑色の薬用石けん液「シャボネット」として、据付型ディスペンサーとともに全国の学校に置かれ、日本の衛生教育に大いに貢献することになった。1966年には日本初の自動うがい器を開発。全国の事業所や学校へ普及させた。1971年には同社を代表する商品であるヤシノミ洗剤を発売。水質汚濁が社会問題化していた時代に、植物系原料による微生物分解を謳った製品として注目を集め、今に続くロングセラーとなっている。さらに1979年には業界に先がけて速乾性アルコール手指消毒剤を開発。それまでの医療機関では、洗面器に入れた消毒液に医師や看護師が手を浸けて殺菌するのが当たり前だったが、衛生上いろいろ問題のあったこの方法を現場から一掃する原動力となった。
手洗いからスタートしたビジネスは食品衛生・公衆衛生・院内感染予防・環境改善へと広がり、今や一般消費者・事業所・官公庁・学校・医療福祉機関などターゲットが多様化。商品ラインナップも多岐に渡っている。「幅広い商品群はマーケットニーズをこまめに汲み上げながら、研究開発部門と相談しユニークな製品づくりを目指してきた結果です。現在、オリンパスグループと協力して、内視鏡の消毒液を手がけています。競合先は売上7兆円企業のジョンソン・エンド・ジョンソン。相手は世界最大級のヘルスケアカンパニーですが、ニッチな分野では競合できるんですよ」
「グローバル化成功のポイントは人とパートナー」
前述のように、サラヤ株式会社の歴史は戦後日本の衛生・環境分野の発展とともにある。社会全体が今ほど環境問題に目を向けていなかった時代から、自然素材の製品を提供し続けてきた実績は誰もが認めるところだろう。
ところが2004年、思いもよらない情報が同社にもたらされた。ヤシノミ洗剤の原材料であるパーム油(アブラヤシの実から搾った油)の世界的需要が増加した結果、同社が輸入するボルネオ島でもヤシ園が急速に拡大。ボルネオゾウやオランウータンなどの稀少な野生動物が危機に瀕しているというのだ。この事実をテレビ局からの番組出演依頼で初めて知った更家社長は、直ちに現地調査を実施。ボルネオ島の環境破壊が事実であることを確認した。創業以来、「自然派」を掲げるサラヤが環境破壊の原因に関わることは許されない――そう考えた更家社長は迷うことなくボルネオの環境保全活動をスタート。生物多様性を守るため、対象商品の売上の1%で、マレーシア・サバ州政府公認の環境保全団体‘ボルネオ保全トラスト’を支援することを決め、現在も活動を継続している。「今、バリューチェーンという言葉がよく使われますが、消費者の方々が負担してくださっている1%が現地できちんと使われているか、我々は厳しくチェックし、消費者へお伝えしなければなりません。こうした積み重ねを10年20年と続ければ企業のブランド価値となり、従業員の方も会社に誇りを持つようになります」
2010年にはアフリカ・ウガンダで「100万人手洗いプロジェクト」をスタート。ユニセフ(国際連合児童基金)の手洗い促進活動に協力し、関連商品の売上の1%を寄付する一方、現地での手洗い設備の建設や啓蒙活動を続けている。「こうした活動はなかなか利益を上げて発展させることが難しいですが、ビジネスとして成功しないと持続可能になりません。そこで担当部長自ら現地に乗り込んで工場を立ち上げ、現地生産を増やしています。また、ケニア、ウガンダ、タンザニア、ルワンダは同じ経済圏のため、今年ケニアに現地法人を立ち上げてサプライチェーンを構築し、ビジネスとして確立していく計画です」
実は同社は海外に工場6拠点、営業所23拠点を持つグローバル企業でもある。ニッチなビジネスは市場が小さく、国内ではすぐに競合商品が増えてしまうが、海外では大きな市場が広がっている。グローバル化にはさまざまな苦労を伴うが、ニッチトップの中小企業は海外を目指すべきだと更家社長は断言する。
「グローバル化成功のポイントは人とパートナー。どういう人材を社内で活用できるか。現地のパートナー企業をどう探すのか。そして社内統治機構をしっかり築き上げること。とくにお金関係で問題が起きやすいので、事前にチェックできるシステムの構築が不可欠でしょう」
近年は政府が日本企業の海外進出を後押しし、JETRO(日本貿易振興機構)やJICA(国際協力機構)も地方の中小企業を盛んに活用しようとしている。国内では国際化する地方大学が増えており、日本企業への就職を目指す外国人留学生も少なくない。
「企業がグローバル化するには、日本人だけでは限界がある。当社も外国人を多く採用し、人材の多様化を図っています。中小企業もさまざまなチャネルを活用して人材のマッチングを図るべきでしょう。海外の展示会にも積極的に出展し、衆目に晒されながらカタコト英語でなんとか説明していますよ。1年では結果が出ないですし、コストもかかりますが、腹を決めて継続するべきですね」
「2代目がカリスマ創業者を超えていくには」
ところで、日本の中小企業には2代目3代目の経営者が少なくない。更家社長も2代目で、およそ20年前に父親である先代社長を継ぎ、社長に就任した。先代社長は熊野川支流の山村に育ち、戦後に大阪へ出て起業した人物。自然素材にこだわった原点も熊野の清流にあるといい、「自然派」の経営姿勢はサラヤのDNAでもある。それにしても、数々のロングセラー商品を生み出した先代社長を継ぐ際、更家社長に2代目の葛藤はなかったのだろうか。
「親父とはかなり喧嘩しましたよ。茶碗が飛んで来たこともありましたね(笑)。相手にもよるでしょうが、2代目は先代を立てながら、うまく自分の要望を通す力を身につけることでしょうね」
更家社長によると、事業承継直後はつい社内へ目が行きがちだが、敢えて外へ目を向けることが重要。内部管理は先代に任せ、2代目は若さを活かして「営業拡大やサプライチェーンの確立など、外向きの仕事にエネルギーを注いだほうが平和(笑)」だという。
「創業者にはカリスマがありますし、カリスマを一気に超えることはできません。しかし、企業には営業・管理・製造・開発などいろいろな要素があるので、先代の不得手な分野からひとつずつ超えていけばいい。時代の流れは速く、カリスマといってもいつまでも通用するわけではありません。とくに技術に関しては、若い人のほうが感性や柔軟性に優れています。カリスマを超える技として、身につけることをお勧めします」
穏やかな語り口調の中にも、2代目の自負と矜持が垣間見える貴重なエールをいただくことができた。
経営者視点 一覧へ
サラヤ株式会社
代表取締役社長 更家 悠介
1951年生まれ。1974年、大阪大学工学部卒業。1975年、カリフォルニア大学バークレー校工学部衛生工学科修士課程修了。翌年、サラヤに入社し、取締役工場長に就任。1998年に代表取締役社長に。1989年、日本青年会議所(JC)会頭を務める。2014年、渋沢栄一賞受賞。環境・生物多様性問題への造詣が深く、NPO法人ゼリ・ジャパン理事長、NPO法人エコデザインネットワーク副理事長、ボルネオ保全トラスト(BCT)理事など公職多数。著書に『これからのビジネスは「きれいごと」の実践でうまくいく』(東洋経済新報社)など。