経営に役立つコラム
【賢者の視座】株式会社ティア 冨安 徳久
葬儀業界に「適正価格」を導入。
オンリーワンの葬儀と徹底した人財教育で業界を変える!
株式会社ティア
冨安 徳久
長年に渡り、不透明な体質に支配されてきた葬儀業界。
株式会社ティアの冨安徳久氏は業界の体質に疑問を抱き、37歳で起業。
業界で初めて価格を開示し、お客様本位の葬儀を経営理念に掲げ、東証一部上場を果たした経営者である。
一般の人々にとって、葬儀は非日常の儀式である。遺族は身内の死という平常心ではいられない精神状態の中、葬儀社に連絡を入れる。葬儀社から駆けつけた担当者は、遺族の経済的余裕を推し量りながら見積りを出す。遺族も担当者を頼るしかなく、儀式が終わった後の請求金額を見て驚く。
――葬儀価格がどこにも公表されていなかった20年前には、そんな光景をごく当たり前に見ることができた。
こうした業界の不透明さや、利用者目線が欠けた体質に疑問を抱き、「業界を変えたい!」と起業したのが、株式会社ティアの冨安徳久社長だ。1997年、名古屋で創業したティアは、チラシやWebサイトで葬儀価格を公表し、業界に旋風を巻き起こした。
「当社はよく“激安価格”とメディアに取り上げられますが、本当はこれが“適正価格”なんです」と語る冨安社長の言葉は、あくまでも力強い。「10数年業界で働いていましたから、当然仕入れ価格も熟知しています。試算してみたら、当社が設定した価格で利潤をいただいても10%程度の経常利益を確保できることは明らかでした。その証拠に当社は右肩上がりで成長し、今や業界トップ企業に迫っています」
では、なぜ葬儀業界には旧態依然とした体質が残っていたのだろうか。その理由を冨安社長は「利用者も“死”をタブー視し、事前に考えようとしなかったから」だと説明する。「その結果、葬儀がどんどんブラックボックス化していきました。葬儀社にとってはご遺族からすべて任されたほうが好都合なので、このような不透明な体質を生み出したのでしょう」
もちろん、業界から反発もあった。冨安社長の自宅にまで電話があり、価格変更を迫られる。葬儀会場への案内看板が盗まれたり、案内矢印がすべて逆方向に変えられたこともあった。
「誰の仕業か知りませんが、もっと他にやるべきことがあるだろうと(笑)。逆に“これなら絶対に勝てる!”と思いましたね」
「オンリーワンの葬儀は必ずリピーターを生む」
冨安社長が葬儀業を志したのは18歳のとき。これといった目標もなく大学進学を決めた春休み、たまたま紹介されたアルバイトが葬儀社だった。地方の小さな会社だったが、そこに人生を決める決定的な出会いがあった。
先輩社員に従って、ある葬儀を終えたときのこと。遺族が先輩社員に「ありがとう、ありがとう」と何度も頭を下げて、葬儀代金を支払う光景を目撃する。「お金を受け取る側がこれほどまでに感謝される仕事があるのか!」と感動した冨安社長は、大学への進学を取りやめ、その葬儀社に入社。「出勤から退勤まで故人様とご遺族のことだけを考えろ」「世界にたったひとりの、たった一度しかない儀式を執り行う覚悟を持て」と徹底的に叩き込まれた。
人生観、仕事観を学んだ最初の会社に2年半勤務した後、父親の病気もあって故郷の愛知県へ。大手の冠婚葬祭企業に転職し、25歳で激戦地・名古屋の店長に抜擢される。病院営業で実績を挙げ、着実に社内での存在感を増していったが、30歳のとき再び転機が訪れる。勤務先が「生活保護者の葬儀を取り扱わない」という方針を打ち出したのだ。
「お金がない人の葬儀はしない、という方針に愕然となりました。お金持ちだろうが行き倒れた人だろうが、命に分け隔てなどあるはずがない。僕の中にはどうにも違和感あったので、“こうなったら自分が独立してやるしかない!”と意思を固めました」
創業を決意した冨安社長は、まず家族に宣言。「余命10年」と書いた紙を自宅の机に貼り出した。
「この仕事をしていると、いつ命がなくなるかわからないことを嫌でも実感します。ですから、ずっと命があるような気持ちで臨んだら、いくつになっても独立できない。40歳までの命と思い、独立開業に向けて徹底的に動いた結果、37歳で独立できたんです」
創業時の事業計画で掲げた目標は、10年以内に20会館・葬儀施行数3,600件・中部圏初の葬儀業上場会社になること。施行数を3,600件としたのは、統計学において「占有率11%を超えると業界に影響を与えられる」とする「影響シェア」を獲得するため。対象となる商圏の年間死亡者数から試算し、その施行数を実行するために必要な会館数を割り出していった。
なにより重視したのは理念経営だ。ティアは生涯にわたるスローガンとして「日本で一番“ありがとう”と言われる葬儀社」を掲げる。
顧客を第一に考え、お客様の予算の中で最大限の葬儀、オンリーワンの葬儀を提供すること。ひとりでも多くの人から「ありがとう」を言ってもらえる葬儀社を目指すことが、そもそもの起業の目的だったからだ。
「ティアの葬儀は故人様のため、ご遺族のためにあります。その人だけのオンリーワンの葬儀をご提案するのは、実はとても大変なこと。ご遺族のお話をとことん傾聴し、故人様がどんな方だったのか考えて、瞬時に式場内に反映させなくてはなりません。お客様にとことん寄り添った儀式は必ず感動を生み、20年30年たってもリピーターを生み出します。21世紀を生き残る企業は、こうした感動を届けられる会社だと僕は考えています」
「葬儀業は人が最大の差別化。何度でも繰り返し教育する」
ティアの経営理念を実践するためには、なによりもまず質の高い社員の育成・教育が欠かせない。冨安社長も「葬儀業では人が最大の差別化」だと言い切る。
社員教育のため、ティアでは社内に「ティアアカデミー」と呼ばれる人財教育機関を設置。技術的な教育だけでなく、徳育や命の教育も実施する。新入社員教育はもちろん、フォローアップ研修も定期的におこない、何度でも繰り返しティアの経営理念を社員に語りかけていく。
「教育とは“繰り返し”がキーワード。3カ月間の新入社員研修で経営理念を教えても、現場に配属されて1週間もたてば忘れてしまう。ですから、研修や社内検定試験を通じて何度も何度も繰り返すことが重要です。当社の社員には新卒もいれば中途入社もいます。年齢も生まれ育った環境も違う彼らを一致団結させるには、強固な経営理念が必要です。なんのためにこの仕事をするのか。誰を喜ばせたいのか。理念のもとに採用計画を立て、理念のもとに教育し、理念のもとに評価をする。業界を見回しても、人財教育にここまで力を入れている企業はほかにないでしょう。だから僕は絶対に勝てると信じているんです」
創業10年後に3,600件を目標としていた施行件数は、20年目の今、およそ13,000件に。「ティアアカデミー」の体系化が完成した時点でフランチャイズ事業もスタートさせ、2017年10月現在、会館数は95店に達した。公約どおり、創業10年目に名証セントレックスに上場。2014年には念願の東証一部上場も果たした。
創業から20年を経て、ティアが中長期目標に掲げるのは200店舗体制の実現。中部地方だけでなく、マーケットの大きな関東・関西地方へ出店を加速させ、いずれは全国の政令指定都市でティアの葬儀を提供していきたいという。
「理念が社員に刷り込まれていれば、目標は必ず達成できます。そして理念とは、経営者にとって“切なる理由”でもある。経営者にとってもっとも大切なことは、“切なる理由”があることです。なぜ独立してまでこの仕事をやりたいのか。この仕事をすることで、誰が喜ぶのか。どんなふうに社会に役立つのか。“儲けたいから”“人に使われるのが嫌だから”といった理由で独立したところで、次から次へとやって来る障害を乗り越えられないんですよ。障害をはねのけるには、“なんのために創業したんだ?”と自分自身に問いかけ、自らを鼓舞できる理由が必要なんです。僕はティアの事業を通じて業界を変えるためにこの世に生まれてきたんだという確信がある。この仕事が天命だと信じています」
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株式会社ティア
代表取締役社長 冨安 徳久
1960年、愛知県生まれ。大学進学を辞退し、18歳で葬儀社に就職。2年半の勤務後、Uターンして静岡県内の葬儀社へ転職。25歳で名古屋支店の店長に抜擢されるが、会社の経営方針に納得できず、起業を決意。葬儀ビジネスの社会性を高める事業計画に共感した数名から出資を獲得し、1997年株式会社ティアを設立。翌年1月、1号会館「ティア中川」をオープン。2017年10月現在、直営・フランチャイズを合わせて95店、葬儀施行数は約13,000件に及ぶ。『ぼくが葬儀屋さんになった理由』(講談社)など著書多数。小中高校の生徒を対象に「命の授業」と題した講演活動等も積極的におこなう。