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落語家に学ぶ

ヒットやブームで大事なのは、コンテンツ力と人とのつながり

落語家 三遊亭円楽

長寿番組の「笑点」で、日々お茶の間に笑いを届けている三遊亭円楽師匠。現代の落語界を代表する噺家の一人であり、日本最大規模の落語フェスティバル「博多・天神落語まつり」のプロデューサーとしても活躍している。その円楽師匠に、昨今の落語ブームの背景や、落語界を率いるための組織論、リーダー論などを伺った。

「博多・天神落語まつり」をプロデュースして

三遊亭円楽

東西の50人以上の人気落語家が博多・天神に集結し、複数の会場で30以上の公演を行う「博多・天神落語まつり」。古典落語から創作落語までさまざまな組み合わせで楽しめる、落語ファンにとっては年に一度の夢の祭典です。そのプロデュースを第1回の2007年からやっています。日頃の人的なネットワークを生かして、ぜひ聞いてもらいたい噺家さんを一堂に集め、4日間にわたっていろいろな噺をしてもらいます。

噺家さんもいろいろスケジュールがありますから、その間を縫って来てもらっています。出演交渉などの細かい作業はスタッフがするので、私はそれほど大変ではなく。むしろ、どんなふうに座組をしたら面白い公演になるか、それを考えるのが楽しいです。東西で落語のスタイルには違いがあります。ベテランと若手、古典と新作でも当然違う。そういう落語の世界の広がり、バラエティさをお客さんには楽しんでいただいていると思います。

落語まつりでは、博多・天神の4つの劇場で同時にやる。入場料はすべて統一する。有名な噺家の高座はすぐにソールドアウトになります。するとお客さんはしょうがないな、でもせっかく時間もあるから、名前は聞いたことがないけれど、一度若手も聞いてみるかとなる。お客さんにとっても新しい落語との出会いがあるんです。

そんな仕掛けを工夫することで、「博多・天神落語まつり」はいまや日本で最大規模の落語のフェスティバルにまで成長しました。10年前はまだ無名の若手だった噺家がこうしたイベントを経て、少しずつテレビなどに露出するようになった。彼らが、これまで落語に接することのなかった若いお客さんから支持されるようになった。そういうことも含め全てがうまく働いて、今の落語ブームもあるんじゃないかと思うんです。

ヒットを生み出す仕掛け——人とのつながり、マネジメント、コンテンツ

三遊亭円楽

ヒットするとか、ブームに乗るとかということは、タイミングが大切。もちろん、一番いいのは自分たちでブームそのものを作り出すことです。でもそれは人々の潜在的なニーズに合致していないと、つかの間の流行に終わってしまう。そのニーズの奥深いところを感じる人が、それを形にできる位置にいることが大切なんです。もう一ついえば、単に時流に乗ることなら誰でもできるけれど、それなりの内容、コンテンツがないとやはりヒットには結びつかないと思うんです。

「博多・天神落語まつり」の座組をする際も、関西の落語については、いつも聴いているわけじゃないので、師匠筋に聞いてみるんです。一門でいまいちばんイキがいいのは誰ですか、売り出したい奴、やらせたい奴は誰ですかと。そうすると、一般的な知名度はなくてもしっかり落語ができる人、そういう人をしっかり選んでくれる。プロの目は確かですから。そういう人が集まると、面白いことが起こる。つまり、時流に乗るタイミングと同時に、それにぶつけるコンテンツがやはり重要で、そういうコンテンツは、日頃の種まきがしっかりしていないと、一朝一夕には作れないものなんです。日頃から落語家だけでなく他の業界の人たちとの付き合いを大切にするとか、若手の動向に関心を持つとかは、コンテンツづくりに欠かせないことだと思います。

こういうのは、企業の商売でも同じじゃないかと思うんです。まず大事なのは人のネットワークとマネジメントです。マネジャーはどういう人間が自分の会社にいるのかを、日頃から情報を集めておかないといけない。この人間をこの部署に配属したら、面白いことが起こるんじゃないかと、化学変化を期待するわけです。

社員もたとえそこが自分の望んだ部署じゃなくても、そこで一所懸命もがいていれば、陽の目が当たるときがきっと来ます。小さな歯車でも大きな歯車でも、そこでしっかり歯車を動かしていれば、いずれそれが嚙み合って大きな力になるんです。ただ、自分は「こんなところにいる人間じゃない」とふて腐れてたら、何にもならないですが。

たとえすぐには目立たなくても、じっくりと次のコンテンツ、次の商品を考えている人たちがいて、これが世の中のタイミングと合致したときに、ヒットやブームが生まれるんじゃないでしょうか。

日本人の琴線に触れるコンテンツ力を引き出す

三遊亭円楽

私が入門したころは、都内の落語ファンってのは、3000人しかいないと言われたものです。多くはNHKホールや三越ホールのようなホールで演じられるもの。演じる落語家もいわゆる名人ばかり。お客さんもだいたい固定されていて、寄席はあまり人が入ってなかった。

ところが、いまは平日の昼に人が入ります。小さなものから大きなものまで、都内では平日だけでも、1日20ぐらいの高座が開かれています。若手の噺家の勉強会も活発。今の若手は個性派が多いし、よく勉強しています。

お客さんの方も、お仕事を定年されたような年代の方は、自由に使える時間が増えてきたから、その一部を落語の時間に充ててくれる。寄席というのは出入り自由、ちょっとした時間があれば聴くことができる。つまらなければ途中で出てもいい。歌舞伎やオペラやクラシック音楽みたいにお洒落して行く必要もない。サンダル履きで結構なんです。もともと日本人にとってとっつきやすいコンテンツなんです。

そもそも落語ってのは、ユートピアの世界を描いているものなんです。向こう三軒両隣の長屋暮らし、おせっかいもあり、人情もあり、そういう世界観。今は現実には「隣は何をする人ぞ」でご近所コミュニケーションなんてないに等しいから、だからこそ、人はそういうユートピアに憧れるんじゃないかと思うんです。せちがらい世の中で、心のゆとりを求めてらっしゃるんじゃないでしょうか。

そうやってあらためて落語を聞き始めた年代層がたまには若い人を誘ってくれる。そうすると次第に落語を聞く年代層が広がっていく。何にしても伝統的なものに触れるときは、最初は敷居が高いかもしれません。誰かに誘ってもらったら行きやすくなります。で、実際に聞いて見ると面白い。現代風にアレンジしていても、日本人の琴線に触れるコンテンツだってことが、若い人にもわかる。そうこうして、いま落語のルネッサンスが訪れているんだと思います。

バリアを作らず、もっとコミュニケーションをとってほしい

家族、隣近所、職場の仲間などコミュニティを大切にするというのは、日本人が長い歴史の中で培った美徳の一つですし、落語もそういう世界をユートピアとして描いてきました。ところが、戦後の経済発展と共に一気に個人主義の風潮になって、それが失われわれつつあるように思います。戦後の教育に問題があったという人もいる。個人を大切にしすぎるあまり、現代社会は人とのつながりが薄れてきているような気がするんです。

家庭の中だって昔のような団欒がなくなっているとか言うじゃないですか。夫婦、親子の間でも会話が少なくなっていると。自分を防衛するために、みんなが何か目に見えないバリアを張り巡らせている。そういうバリアがあれば、世の中、うまくいきません。そういうバリアをどこかで壊さないといけない。おせっかいと言われるくらいに人とコンタクトする、自分からの働きかけでバリアを取っ払っていくべきなんじゃないでしょうか。

まずは自分自身がコミュニケーションできていないことに気づかないと駄目だと思います。それには、自問自答が大事。自分はバリアを作っていないか。自分の心を他人に覗かれたくないというのはわかるけど、それって逆に他の人の心の中に入る度胸もないってことじゃないですか。つまり、人とのコミュニケーションがうまくできないというのは、結局は自己責任なんです。自分から心を開かないと、他人も心を開いてくれない。

気付きは日常の中にある。過ちに気付いたらクヨクヨせずに直せばいい

三遊亭円楽

気づきというのは、日常の中にあるものです。私だって、毎日、気づきの連続ですよ。「あのとき、ありがとうってなぜ言わなかったんだろう。ごめんなさいってなぜ言えなかったんだろう」と。それに気づいて反省することも多いです。でもクヨクヨはしません。気づいたら直せばいいんです。だから私なんて毎朝、起きたらリセット、リスタートの繰り返しなんです。

例えば身体が衰えてきたなと思ったら、そう気づいた瞬間に、運動を始めればいいんです。勉強もそうじゃないですか。ああ、自分はこれについては何も知らないんだなと気づいたら、その日から勉強を始めればいい。今は昔と違って、社会人になってから勉強するのはそれほど大変ではないですしね。自分がやりたい学問だったら、いくつになっても、始めることができます。

社会人は学生と違って試験があるわけじゃないから、やりたくないことはやらなくていいんです。自分の好きな学問を自分の責任で究めればいいんですよ。人間、歳を重ねてある程度の経済、ある程度の時間の余裕ができたら、好きなことをやるべきなんですよ。定年後のサラリーマンがカルチャースクールに通い出すなんて、そういうことなんじゃないでしょうか。

今の落語ルネッサンスを支えているのも、多くはそういう定年退職した年代の人たちです。落語の面白さに触れて、日本の伝統芸能は捨てたもんじゃないと気づき、それに触れないのはもったいないと思って、今度はお洒落して歌舞伎に行ってみようかとか、どんどん関心を深めていく。そういうアクティブなシニア世代が増えているのはとても嬉しいことです。

仕事のスタイル、企業の在り方はもっと多様であっていい

最近は「働き方改革」というんですか、残業をするな、早く家に帰れというような規制が厳しくなっているみたいですね。ただ、自分は嫌なのに強制されてする残業は問題だけど、自分が好んで、いま調子がすごくいいから、ちょっとあと数時間、会社に残って働きたいという人だっているわけです。働き方のスタイルは人それぞれでいいんじゃないかと、私は思うんです。上に言われたからと言って、みんないっせいに帰るというのも、なにかつまらないなぁと、思いますね。その人の個性というのがないんじゃないかなと。 昔は日本型経営というのがありました。家族主義的で、いろいろな福利厚生制度を設けては社員の面倒をみて、一度採用したら基本的に終身雇用、年功序列も大切にするというもの。会社の収益も、そんなに短期的にではなくて、長期的にみて「三方良し」であればいいというような大らかな考え方でした。 それがクローバリズムとかでさんざん批判されていて、今では欧米風の経営がよいとされるようになった。でも、これもどうなんでしょう、日本型経営でもしっかり儲けてそれを社会に還元している企業もあるわけですから。みんながみんな欧米に習えで同じようなスタイルになってしまうのは、どうかと思うんです。 企業や仕事にはもっとそれぞれの幅があっていいのではないかと思います。日本的な経営、日本人的な働き方は批判にさらされたけど、全部が間違っていたわけじゃない。良さもある。いいものはこれからも残していくべきだと思います。

落語は日本人の原風景——その奥深さをもっと豊かに語りたい

三遊亭円楽

そういう日本人が歴史と伝統のなかで培ってきた良い習慣というか、良い文化を、ストーリーや語り口の中に豊かに残しているのが、落語だと思うんです。その意味で「落語には日本人の原風景がある」と私はよく言うんです。現代でも魅力を失うことなく、近年も落語ルネッサンスといわれるようなブームになっているのも、その原風景に多くの人々が惹かれるからではないかと思うんです。

だから、落語家としてはその世界をしっかり残していきたい。古典を現代風に解釈して語り直すというのも大切だし、現代社会のいろんな問題を反映させながら新しい噺を創作して語りおろすというのも、落語家の役目のひとつです。

落語家はけっして伝統に縛られているわけじゃないんです。こうしてはいけない、こう語るべきだというのは基本的にありますが、それだけなら、上から言われたから帰りますっていう人と同じになってしまって、何にも面白くない。基本を踏まえたうえで、そこからいかに脱皮していくか、自由に想像の翼を広げていくことができるか、それが大切なんです。

噺家というのは本来、自由人です。そして優れた観察者だと思います。ふつうの人が気づかないようなところに気づいて、そこから想像を逞しくして、面白い噺を膨らませていく。そうやって、ふだんとはちょっと違う世界観を広げてあげて、そこに聴衆を取り込んでいく、そういう芸能なんです。

半世紀近くこの世界で生きてきましたけれど、まだまだ落語の世界は奥深いなと、本当に思いますよ。これからも精進を重ねて、この「原風景」をもっともっと豊かに語っていきたいなと思います。(談)

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三遊亭円楽

1950年東京生まれ。青山学院大学卒。在学中に五代目・三遊亭円楽の目に留まり、三遊亭楽太郎として前座デビュー。27歳でテレビ番組「笑点」の大喜利メンバーに抜擢される。1979年、放送演芸大賞最優秀ホープ賞を受賞。1981年、真打昇進。2007年からは福岡市で「博多・天神落語まつり」のプロデュースを手がける。2010年3月に六代目・三遊亭円楽を襲名。