過疎に悩む自治体職員の関心が高い“「住みたい田舎」ベストランキング(『田舎暮らしの本』宝島社)”において、第1回から平成28年12月末に発表された第5回まで、全国で唯一、ベスト3に入り続けているのが豊後高田市(大分県)だ。実際、平成22年から27年までに転入者数が転出者数を180人も上回り、人口の社会増を達成している。
移住促進にどんな取り組みをしているのか、同市役所地域活力創造課課長の川口氏に聞いた。
ほかの自治体と同様、私たちも人口減少に悩まされている自治体のひとつでした。
市の活力は “ひと”が根本。「このまま“ひと”が減ってしまえば地域全体が活力を失い、すたれたまちになってしまう」。
そんな懸念をとても強くもっていました。
さまざまな対策を講じていました。そのなかでも小さな過疎自治体としてどこに力を入れるかということはありました。たとえば、「教育のまちづくり」です。学校週5日制がスタートした際、都会ではたくさん私塾等があり様々な学力サポートが受けられますが本市にはそういう塾はない。これでは格差が広がってしまうということで、公営でしかも無料で塾を開校し学びの場を作りました。
また、都会に比べれば収入総額も低いため、夫婦双方が働ける環境も必要であることから、子どもをもつ家庭でも安心して夫婦双方が働くことのできる「子育てにやさしいまちづくり」が必要だと、その目的を明確にしました。
ただ金銭的補助があるからといって「移住を決意する」「移住先として豊後高田を選ぶ」決め手にはなりません。そこで暮らしていくと検討している人にとって「生活のイメージを持てる」「目的に合っている」というように受けとってもらえるためにはどうするかだと思います。
本市には山と海という豊かな自然とその恵み、千年を超えて伝わる文化等があり、それだけでも十分魅力になります。そして、これらの地域資源に加え、「夢がかなえられること」です。移住というのは、生きる環境を変える、人生においてとても大きなイベント。いまの環境では実現できない、かなえたい夢があるからこそ、その大きな決断をするわけです。
「教育のまちづくり」や「子育てにやさしいまちづくり」は、当初から移住促進という目的ではありませんでしたが、早くから取り組み、形がしっかりできているので、そうした想いを抱く方に対し内容が伝わっていると思います。市は、それらの夢や想いをかなえるためのサポートをする。そのサポートととも言える市の定住支援施策はそれぞれの場面やケースに応じて、今では135項目にのぼります。
たとえば、家庭菜園を楽しみたい人もいれば、新規就農を目指す人もいますよね。前者に対しては、広い敷地を格安で購入・賃貸できる空き家を紹介します。自分が家庭菜園で作った野菜等を食卓に並べ、堪能している移住者も多いです。一方、本格的に農業をやりたい人向けには、アグリチャレンジスクールの新規就農コースの中で、野菜・花き・果樹などの栽培の知識と技術、市内の直売所や農協・市場などへ販売する実務などを学ぶことができます。
本市は平成17年に市町合併を行いましたが、その時に市内全域に光ファイバーによる高速大容量の通信回線を整備しました。これにより、「東京で打合せ、事務は田舎で、その間のやりとりはパソコンで」ということが可能になりました。実際、市内から大分空港までは車で1時間ほど。1日に10本以上、羽田との往復便がありますから、午前中に家を出て、東京で打ち合わせをして、夜には帰宅できます。
一方、「移住先で仕事をしたい」という人向けには、市内で起業をした人に「起業チャレンジウェルカム支援事業補助金」として75万円まで、伝統工芸や芸術などの分野での起業なら100万円までの事業資金を補助する制度があります。
こうした起業支援制度の活用を含め、これまでに移住者の方により7件ほどの店舗が「昭和の町」で開店を実現しています。「昭和の町」とは、本市が一番元気であった昭和30年代をテーマに「昭和」という時代を再現した商店街のことです。もとは「犬と猫しか通らない」と言われるくらい、さびれていた商店街。それを平成13年にまちおこし事業として整備しました。「郷愁が感じられる」と評判になり、いまでは年間約40万人もの観光客が訪れる名所になりました。
そして、この取り組みで本市は全国的にも知名度が上がり、それはまち全体にも自信を生みました。こうした市の活気に、移住というなかで新たな人生のステージを考えている方は豊後高田の「昭和の町」でなら、店を開いてみたい─。そんな想いで、起業支援制度を活用し、移住してきてお店をやっている人たちがいます。観光客の多い町なので、商売繁盛しているようですよ。
移住を考えている方達にとって、その決断を支えるために何が必要かを考え、そして、それをまち全体で応援することです。この点、当市では住民のみなさんが移住促進の大切さをよく理解し、協力してくれていることが成果に繋がっています。
たとえば、空き家を移住希望者に紹介する事業。「空き家があってもその所有者が亡くなった、身内も遠くにしかいない等から移住希望者に紹介することができない」という話をよく聞きます。しかし、当市の山間地域にある田染地区では、地域自らが空家の関係者に対し空家紹介への了承を得るなかで、その物件を地域が管理し市と協力しながら移住希望者向けに紹介しています。
先ほどの田染地区では、移住希望者が空き家に関心をもち、「内見したい」と言ってきたとき、地域の住民が積極的に案内や説明を引き受けてくれています。重要文化的景観・世界農業遺産に選定され日本の原風景とも言える地域の自然や景観の魅力も大きいですが、こうした山間の集落に4世帯合計18人の移住してきたのも、そんな地域住民のみなさんの“営業”がひと役買っているのです。
また反対に、移住者の方々が地元住民に新しい知見を教える例もあります。中心市街地にある玉津地区というところでは「玉津プラチナ通り」という愛称で、「高齢者が楽しいまちづくり」を推進しいます。そこで移住者の方に市民講座の講師になってもらい、高齢者が楽しんで学べる機会を提供しています。
ええ。移住をした人たちにアンケートをとると、非常に満足度が高い。
とくにおもしろかったのが「生活をしていて困りごとがあったときは誰に相談をしますか?」という質問への回答。ほとんどが「近所の人に相談をします」と。これは、移住した方がしっかりとコミュニティのなかにとけ込めていて、地域での「定住」ができているあかしです。
まずは、移住を考えている人たちに対しての積極的な情報発信。それぞれの人がもっているイメージと、現地を訪れたときの実感にマッチすることが非常に重要だからです。情報量が少ないと、「なんだ全然思っていたのと違うじゃないか」となりがちです。そのうえで、私たちも「慌てずにゆっくり考えてください」と伝えるよう心掛けています。
そして、もっとも大切にしている考え方は、「想いが実現できるまち」「夢がかなえられるまち」を、移住者の方々と一緒に育てていきたいという想いです。そうすることで、「移住してもらう」というより、本質的には、まちに「定住してもらう」ことを柱にしています。金銭的な補助よりも、私たちのこの価値観を通して、移住から定住までをトータルでサポートすることを中心に、想いを実現するために選んでもらえるまちづくりをしていきたいですね。