「県民生活のICT化とスリムな県庁づくりを目指します――」。
平成25年1月7日、黒岩祐治・神奈川県知事の年頭定例会見で飛び出したこの「電子化全開宣言」。翌平成26年6月から1,610台(平成28年10月現在2,220台)という大規模なタブレット端末(iPad)を導入し、注目を集めた神奈川県庁の「スマート県庁大作戦」は、ここから始まった。
県庁における仕事のやり方を抜本的に見直し、県民の暮らしの利便性向上を追求する取り組みは、いまも現在進行形で続いている。3年目を迎えたこの大規模な業務改革の成果と今後の展望などについて、神奈川県スマート県庁推進課の鈴木氏、田野氏、情報システム課の土屋氏に聞いた。
田野氏 大きく分けて、ふたつありました。ひとつは、県庁内部の課題。
日々、多くの会議が設定されているなかで、議題や参加者の調整、急な内容の差し替えや会議の通知など、内部調整業務に膨大な紙資料が使用されてきました。それら調整段階で使用した紙のほとんどは、資料確定後にシュレッダーで廃棄されていました。会議後に出席者が持ち帰る資料を保管するスペースも必要です。いずれも問題でした。
もうひとつは、県庁外の業務における課題です。
たとえば、調査業務などで現場に向かう際、必要な調査資料や地図資料、関連する法規資料は相当な量になります。これらを事前にコピーし、持参しなければならない。さらに、その資料に個人情報が含まれていれば、紛失、漏えいのリスクもついて回る。これが職員の大きな負担となっていました。
こうしたことから、ICT化の必要性は庁内の多くで共通認識としてありました。
鈴木氏 ご存じのとおり、神奈川県の場合、黒岩知事の強力なトップダウンで進めたことが大きいですね。
黒岩知事が「打合せに紙を一切使用しない」と強く打ち出している以上、知事と打合せをする機会の多い局長クラスの職員は、ICTに適応せざるを得ません。局長がそうなれば、その下の部課長クラスも対応せざるを得ません。
鈴木氏 ええ。ほとんど強制的でしたね(笑)。
田野氏 新しい仕組みを導入する際に、まずは適応力の高い若手に率先させるケースは多いと思います。
しかし、責任者が使用しなければ、本当の意味で浸透しない。そのことを今回のプロジェクトでは強く実感しました。
土屋氏 情報漏えい対策上、基本的にはiPadの中にはデータが残らない仕組みにしています。
iPadは個人持ちのツールとしては便利ですが、それをいかにエンタープライズ仕様に対応させるかに配慮する必要がありました。
そこで、やや技術的な話になりますが、紛失・盗難時の対応やセキュリティ対策をするための、スマートフォンなどでよく使われるMDM(モバイルデバイス管理)だけでなく、アプリケーションやデータなどコンテンツの安全対策機能も備わっている、当時としてはなじみの薄いEMM(エンタープライズモビリティ管理)という仕組みを活用しています。
それによって、データはセキュリティを確保した領域のみで扱うことができ、県庁の庁内ネットワーク内にいるのとほぼ同じ環境を実現し、職員がストレスなく使えるよう工夫しました。
田野氏 平成26年10月の台風18号による土砂崩落の被害調査で活用した例があります。
県内で発生した土砂崩落現場に派遣された職員が、iPadを使って動画で状況を所属部署に説明。ほかの職員は庁舎にいながらにして迅速に状況を把握し、県として復旧作業にいち早く着手することができました。
鈴木氏 また、教員採用試験では、本部と会場との連絡手段として活用しています。県内外の複数箇所で実施される教員採用試験ですが、従来は連絡手段としてファクシミリを使っていました。新たにiPadのビデオ通話アプリ「FaceTime」を活用することで、本部と試験会場とがリアルタイムで情報を共有が可能に。さらに、本部からの指示もグループウェアで全会場責任者に同時送信できるので、試験問題への疑義やその対応など、試験当日の不測の事態にも迅速に対応できるようになりました。
そのほか、児童相談所や保健福祉事務所において、翻訳アプリを利用することで外国籍県民の方とのコミュニケーションを円滑に行えるようになった事例などがあり、さまざまなシーンで活用されています。
田野氏 ペーパーレスによる省資源化という効果も大事ですが、それ以上に目を引くのが、職員の意識の変化ですね。じつは導入前は、「iPadなんか無くても仕事はできる」「いままでだって、そうしてきた」という反応が多かったのです。しかし、実際に使ってみて利便性を実感する職員が増えるにつれ、スマート県庁の意義が徐々に浸透し、自らの仕事を効率化しようと見直す意識が高まっています。
鈴木氏 そうした意識の変化は、職員の現場対応力の向上という効果ももたらしています。いちいち県庁の机に戻るのではなく、「解決できるものはその場で解決する」というように、職員の行動が変わりはじめました。そもそも、「職員が積極的に現場に出ていき、県民サービスの質と即時性を向上させる」というのがスマート県庁のコンセプトですから、まさに目的に適った効果をあげているといえます。
土屋氏 技術面を支える立場から言わせてもらえば、正直、こんなに使われるとは想定していませんでした。単なる便利ツールくらいで終わるのかと思っていたのですが、仕事のやり方そのものを変えるレベルの使われ方がされているようです。いまでは多くの部署から追加導入の要望があがっています。
田野氏 iPadの活用シーンを増やしていく工夫はさらに必要だと感じています。iPadの利便性をまだ十分に活かしきれているとは思っていません。いまは従来のPCがあってiPadもあるという二台持ちの状態で、非効率な側面がないとは言えません。
もっとも、iPad はPCを代替するものではなく、補うものとして導入したので、この状態は最初から想定されたものではあります。どんな場面のどんな仕事、どんなコミュニケーションならiPadの効果が最大化できるか。さらに、iPadの活用に合わせて仕事の進め方をどう見直していくか。iPadの導入効果をより一層高めていくには継続的な業務改善が必要でしょうね。
土屋氏 その過程で同時に注視していかなければならないのは、昨今の自治体情報システム強靭化対策の要請です。マイナンバー制度の開始に伴い、総務省からは全自治体に対し、情報セキュリティ対策の抜本強化を図るよう通知があり、インターネットと庁内ネットワークとの分割など、厳格な対応が求められています。この状況のなかで、スマート県庁の大前提となる「モバイルインターネット環境の積極活用」がどうすみ分けするのか。技術的な課題も含めて今後、検討すべき課題です。
田野氏 限られた予算のなかで新しい端末を導入する際は、広く浅く配布するケースが多いです。しかし、それだと働き方が変わるまでの導入効果は、なかなか得られません。一方、仮に導入台数が限られていても、できるだけ導入部署を絞り込むことで、その部署の環境は変え、働き方まで変えることができる。先ほども指摘した「上から入れる」に加え、「まとめて入れる」というポイントで神奈川県は成功したと思っています。
鈴木氏 セキュリティ対策が重要なのは言うまでもないですが、一方で世の中ではいまやパソコンさえ使われず、スマートフォン、タブレットの活用するシーンがますます増えている現実があります。
我々もそうしたツールを積極的に利用していかないと、自治体の住民サービスはどんどん遅れてしまいかねません。時流に合わせて利便性の高いツールを積極的に活用し、仕事のあり方を見直しながら、その成果を住民サービスの向上につなげていく。そうした取り組みの重要性は今後も変わらないと思います。