岡山県の最北東部に位置する西粟倉(にしあわくら)村。人口1,500人足らずの村は、総面積の95%を森林が占める文字通りの“山村”である。
そのうちの85%はスギやヒノキの植樹がなされた人工林。1980年代後半ごろまでは、林業で大いに活況を呈していた。
しかし林業自体の失速にともない、次第に財政は悪化。そんな中、同村が自主自立のために打ち出した起死回生の策が、「持続可能な『上質な田舎へ』」という大枠の取り組みだった。
森林などの自然資源をうまく活かし、将来的には「エネルギー自給率100%」を目指すという。同村の担当者に、取り組みの詳細を聞いた。
村域の95%を森林が占め、平地が非常に少ないのが西粟倉村の特徴です。以前までは林業を主産業としていましたが、1990年代に入り国内の林業全体が下降線を辿ってきたことで、村の財政もしだいに逼迫してくるようになりました。
平成15年頃には、平成の大合併の流れを受け、隣接する美作市との合併協議がスタート。この合併話は、役場の各部署が実務レベルで調整を行う段階にまで進み、私たち職員も「合併は時代の流れでもう避けられないのかな」という気持ちでした。当時の村長も「このひどい財政状態では合併先に失礼になる」ということで、村独自の老齢年金を廃止したり、村長・議員の給与をカットしたり。あるいは郵送コスト削減のために、役場職員が村からの通知書類を各家庭に直接配って回ることもありました。とにかく合併を前提に、あらゆる分野での行財政改革に必死に取り組んでいた状況でした。
ええ。アンケートでは反対が58.33%。賛成をわずかに上回ったんです。村民の方々は、より大きな市に吸収されることに不安を持たれていたのかもしれません。この結果を尊重し、役場でも合併前提の方向から180度舵を切る決意をしました。将来的な「自主自立」への道筋を本気で模索するようになったわけです。いま考えると、このアンケートが非常に大きな転換点でしたね。
ちょうど同時期、総務省の「地域再生マネージャー事業」を利用した3カ年の地域活性化計画に取り組み始めたところでした。その中で地域再生マネージャーとして西粟倉村に来ていただいたのが、地域資源循環のモデル構築事業などを手がける株式会社アミタの熊野英介氏です。まずは同氏の発案で役場や森林組合、観光公社などから30、40代の若手職員を10人ほど集め、月に数回のミーティングを通して、どんなものが今後の村の魅力となりえるのかを話し合うことからスタートしたんです。この集まりには私も参加しました。
最初は本当に暗い話ばかりでしたね。人口は減っている、若者は帰ってこない、そもそも村には仕事がないよね…と。西粟倉村にはこれといった特産品もありませんでしたし、観光地もない。ないものをイチからつくり上げる時間もない(笑)。
あるとき、そんな議論を聞いていた熊野氏から、「なぜ山という大切な資源に注目しないのか」という提言があったんです。最初は参加者たちも「もちろん山があるのは知っているけれど、現実はお金にもならないし、厳しいですよ」と。ところが、熊野氏は次のように話されました。「これまでの20世紀型モデルで考えていては夢は絶対に描けない。都会では木は高価なのに、なぜ田舎で二束三文になっているのか。大量生産・大量消費モデルから、新たな質的経済モデルに転換できれば、必ずチャンスはあるはず」と。この言葉を聞いて、私は「希望と勇気が湧いてきた」のを記憶してます。本来「転換」を進めていくべき役場や森林組合の若手職員ですら、じつは試合前からあきらめてしまっていた状態だったんです。
そこから数年をかけて、熊野氏とともにじっくりスキーム構築に取り組みました。これが結実したのが、平成21年4月に開始した「百年の森林(もり)事業」です。
この事業は、約50年前に植林された村内の多くの人工林の管理をやめるのではなく、あと50年かけてがんばろうというもの。将来的に「百年の森林」に囲まれた「上質な田舎」の実現を目指す取り組みです。
とはいえもっとも大切なのは、このビジョンがはたして「持続可能」なのかということ。スキーム構築の際、この部分にはとくに気を配りました。
構想の具体的な内容ですが、まず川上の部分では村役場と森林組合が中心となり、間伐や作業道の開設など森林管理・整備を担います。もちろん勝手に作業はできませんので、各森林所有者と森林管理、役場との間で三者契約を結び、村が私有林を一時的に預かって管理・整備する形式にしました。細かく所有者がわかれた森林を「団地化」することで、作業の効率も飛躍的に上昇します。
さらに間伐材の販売も行い、収益の半分は次の森林整備などの再投資に使うことに。そして収益のもう半分は、元の森林所有者に還元する仕組みです。つまり、これまでなにも生まなかった放置林が、村と契約を交わすことで、わずかでも利益を生み出す存在に変わるわけです。同時にこれまで管理されていなかった森林を手入れすることにより、行政側にも土砂災害抑止などのメリットが考えられます。
その通りです。そこで、これまで一次産業に過ぎなかった林業を、加工・販売も含めた六次産業化することで、村内で付加価値を生み出し、利益を最大化することを目指しています。このためスキームの下流部分に「西粟倉・森の学校」と名づけた間伐材の商品開発、販売を担う株式会社を設立。森から出る間伐材は全て「森の学校」へと販売し、ここで木製の家具や小物、建材などに加工して消費者の元に届ける仕組みになっています。
川上である森林をしっかりと管理・整備し、川下の「森の学校」で付加価値を付けて利益を確保。その収益を森林所有者と新たな森林管理の予算へと還元していく。これが「百年の森林構想」を将来へと持続させていく西粟倉の“ビジネスモデル”なのです。
そうですね。「百年の森林構想」は、あくまで林業を中心とした地域振興施策です。将来の村のあり方を考えたとき、自然を軸とした地域振興を波及させるとともにエネルギー活用の必要性を感じ、新たに「低炭素なむらづくり」というキーワードを設定しました。「バイオマス産業都市」などの各認定は、この方向性への一環として取得したものです。もちろん補助金を事業推進の資金にあてることも目的なのですが、なにより「西粟倉村が自然を軸にした村づくり」をしていると内外にPRすることが、認定取得の大きな狙いのひとつとなっています。
まずは森林に関してですが、森林の管理・整備を進める中で切捨て間伐材など相当量の林地残材が発生します。本来は搬出コストに見合わないため放置されるのですが、数年前からはこれを積極的に搬出するようにしています。残材は薪ボイラーを使って熱エネルギーに変換。これを利用して、平成26年から村内3ヶ所の温泉施設に薪ボイラーを整備し木質バイオマス燃料として利用を開始、平成29年からは役場新庁舎やデイサービスセンターなど村の中心にある村内6つの施設で暖房設備や給湯設備のための熱供給を行う「地域熱供給システム」を整備します。コスト削減にもつながり、かかる費用も残材購入費がほとんどですので、地域にお金を還元することにもつながります。
もうひとつ「低炭素」という点では、小型の水力発電施設の存在があげられます。もともと西粟倉村では昭和41年完成の村営小水力発電所を保有していました。これを平成25年に全面改修し、発電の最大出力も280KWから290KWへとリパワーさせています。現在、売電による収益は年間7,000万円以上。今後、最大出力199KWの第二発電所の新設も予定しており、これらをあわせると、村内の総消費電力の約50%をまかなえる計算になります。
また各家庭での新エネ・省エネも進めていて、住宅用太陽光発電設備の新設や省エネ型電気冷蔵庫の買い替え、電気自動車(EV)の購入など16項目を対象とした「低炭素なむらづくり推進施設設置補助金」を平成25年4月からスタートさせています。森林事業、小水力発電事業、家庭での省エネルギーをあわせて、将来的な「エネルギー自給率100%」に向け、さまざまな取り組みを進めているところです。
百年の森林構想が動き始めた当初は、村民の方には懐疑的な声は数多くありました。これに対し、たとえば当時の村長が各地区を回って直接説明をするなど、当初よりトップが先陣を切って動いたことと実際に山に手が入るようになると山そのものが良くなってきたのが大きかったですね。
近年、西粟倉村の人口減少は近隣の自治体と比較しても、曲線が非常に緩やかです。また林業関連のベンチャー企業も増加し、それにともなってIターン、Uターンの就業者も増えました。子育て世代が増えると、もちろん子どもも増えます。これまで閑散としていた村の公園に子どもたちの声が響いている様子を見るだけでも、村民の方には地域振興の効果を実感いただいているのではないでしょうか。また環境モデル都市となったことで、全国からの視察受け入れなども増え、観光産業の振興にもつながりつつあります。
今後は森林の間伐だけでなく、新たな植樹もしていかねばなりませんし、場所によっては自然林に戻していく作業も必要になります。経済面だけではないく、生態系をも考慮した「持続可能性」をつねに意識していきたいですね。
人口1,500人という非常に小さい村だったからこそ、外部の声を取り入れることは必要不可欠でした。役場職員は、時代の流れを追うプロフェッショナルではありません。私たちが「こんな節まみれの木は使えない」と思っていても、じつは都会で大きな需要が生まれつつあるかもしれない。このあたりのセンスやスピード感という面では、外部の、しかもとくに30~40代のチャレンジングな方々の発想には、とうてい勝てません。
大切なのは、これら外部の見識を積極的に取り入れながら、行政が得意な全体像を描く能力、公平性を担保する調整能力を最大限に発揮し、民間が力を発揮できる舞台装置を整えていくこと。村の50年先、100年先の将来を見すえるうえで、このスタンスは絶対に忘れてはならないものだと考えています。