生産量で世界一を誇ってきた日本の魚介類は、生産量の低下を受け、輸入物や養殖物が欠かせない現状となっている。
安心で安全な魚を、海水を使わず、海から遠く離れた山地で養殖するシステムに注目が集まっている。
今年2月16日、岡山で「山育ちのベニザケ」という魚が初出荷され、話題となった。紅鮭の稚魚であるヒメマスは通常河川で生まれ、海に出て紅鮭となる。「山育ち」というのは、海から離れた山地に設置されたプラントで養殖された紅鮭であるということだ。海を泳いだことがない「山育ち」の養殖を可能にしたのは、「好適環境水」である。
かつて日本は1972年から1987年まで魚介類生産量(漁獲量と養殖生産量の合計)で世界一を誇り、漁業大国であった。が、世界中で健康志向の高まりなどを受け魚類の消費が拡大したが流れにのれず、2017年以降は養殖がさかんな中国やインドネシア、インド等に生産量で抜かれ、7位となった。日本は四方を海に囲まれた島国であるにもかかわらず、バブル期以降は魚資源の減少や漁業環境の悪化等で生産量がふるわず、今では国内で消費する魚介類の半分を輸入で賄っている状態だ。こうした経緯を受け、養殖での魚の生産量増加に向け様々な試みが進められており、特に注目を集めているのが好適環境水だ。
好適環境水は、岡山理科大学での研究の中で誕生した水だが、特徴を聞くとまるで魔法の水かのように思えてしまう。まず、海水魚と淡水魚が同じ水槽で生育できる。また海水での養殖と比べても代謝がよく、魚の成長が早い。寄生虫や魚病などのリスクが皆無なので、抗生物質やワクチンが不要。人工海水に比べコストは60分の1で抑えられる。
この魔法のような好適環境水は、岡山理科大でのある実験から生まれた。海産プランクトンを淡水で育てる実験だ。どうせ淡水でプランクトンは育たないだろうと思われていたところ、予想に反して培養に成功。のちに、培養容器に少量の海水が残っていたことから、極度に薄い濃度の海水で、プランクトンが育ったということが判明した。
このことから、海水の成分に目を向け、海水自体や生命の歴史を踏まえて分析していくと、海水中の約60種の成分の中には、魚の生育に不必要な物質が多く含まれていたことがわかった。不必要なものをどんどん削り、残ったナトリウム・カリウム・カルシウムというわずか3種の成分とそれぞれの濃度比率を導き出すことに成功。こうして誕生したのが、好適環境水だ。
2012年12月には好適環境水で養殖されたクロマグロの解体や試食会が行われ、報道関係者もその品質には太鼓判を押した。「おかやま理大ふぐ」「森のマグロ」などのネーミングで試験的に出荷されると、脂ののりがよく、しかも安全であることから、高い評価を得たものもあるという。「山育ちのベニザケ」は岡山や首都圏でも店頭に並び、今後も随時販売される。
好適環境水での養殖を実用化するにあたり、2010年には別の課題が発生していた。魚を生育した廃水は岡山市の条例で、下水道に流せないことが判明。プラントから出る大量の廃水の処理ができず、業者に引き取ってもらうと膨大な費用がかかってしまう。水の入れ替えが十分にできず、多くの魚が犠牲となった。
水の入れ替えが不十分になると、魚の排泄物に由来する硝酸イオンなど有害物質が蓄積。一定濃度を超えると魚たちに臓器不全が起きてしまうのだ。これは研究メンバーにとって、大きな試練となった。様々な手段を試みて2年が経過したころ、偶然にも、有害な硝酸を窒素に還元するバクテリアを発見。これが発想の転換となり、新たな試みのきっかけとなる。魚を生育した水に含まれるリン、バクテリアによって還元された窒素を肥料として野菜の栽培に役立てようというのだ。つまり、好適環境水を使って魚と野菜を同時に育て収穫する。海水では野菜は育たないが、好適環境水だからこそ可能なシステムだ。
このシステムは「アクアポニックス」と名付けられ、実用化に向け実験が重ねられている。海水魚のクエの水槽と小松菜のプランターをつなげた実験では、1kgのクエと同時に小松菜12~13株が収穫できたという。魚を生育した水を野菜の栽培に使い、また有害物質が取り除かれた水で魚を育てるという具合に循環させるので、現在では水を替えること自体がほとんど不要になっている。
魚の陸上養殖が実用化することは、私たちの魚への感覚にも大きな変化をもたらす。海から離れた土地や、都心のデパートの地下などに魚のプラントができたとしたらどうだろう。新鮮な魚をいつでも食べられることができるようになるかもしれない。同時に野菜を育てることで、環境への負荷も少ない方法で食生活はもっと豊かに変化するかもしれない。
一つの実験から始まった好適環境水は、今までの感覚とは違ういろいろな発見をもたらしてくれそうだ。これからどんな壮大な未来を私たちに見せてくれるか、楽しみにしたい。