長年にわたりお笑いの第一線で活躍しながら、突然他界してしまった志村けんさん。
お笑いだけでなく、その生き様やキャラクターは世代を問わず共感を呼び、大きな喪失感や悲しみを味わったという人も少なくありません。
今回は、その志村けんさんの有名なキャラクターにまつわる話です。
1950年東京都東村山市にて、教師であった厳格な父、踊りや芸ごとが得意な母という両親の下に3人兄弟の末っ子として生まれた志村さん。家庭内が厳しく緊張感があり、空気を和ませ人を笑わせたいという想いから、コメディアンの道を志します。当時人気のあったドリフターズのリーダー・いかりや長介さんを訪ね、付き人になったという話は有名ですね。24歳の時(1974年)にドリフターズの正式メンバーとなり、「東村山音頭」や「カラスの勝手でしょ」「アイーン」などのギャグを連発し、社会現象にもなるほどの注目を浴びました。
志村さんは多くのキャラクターを生み出したことでも知られています。中でも、「バカ殿」や「ひとみ婆さん」と並び、強烈なインパクトがあったのが「変なおじさん」。女性を追いかけ回すなど怪しい行動をしながら、陽気なフレーズとリズムでお茶の間に笑いをもたらす、幅広い世代に愛されたキャラクターです。
実はこれは、沖縄の歌謡曲「ハイサイおじさん」のアレンジから生まれたものなのです。「ハイサイ」とは沖縄弁で「こんにちは」。オリジナル曲は1976年に販売されて当時大ヒットとなったもので、沖縄ブームの火付け役にもなった歌として知られています。少年と酔っ払いのおじさんのやりとりが、うちなーぐち(琉球言葉)で描かれた内容となっています。
歌詞からすると、このおじさんは毎日酒浸りで、清潔感のないおじさんのようですが、これにはモデルがいるといわれています。当時、沖縄は太平洋戦争で多くの犠牲者を出した後で、精神的に厳しい時期を過ごしていました。モデルとなったおじさん自身も身内の不幸があるなど壮絶な運命をたどっており、周囲からも愛想を尽かされ、孤立しつつも毎日酒を飲んで陽気に笑っていたというのです。有名なギャグの元に、こんな奥深い過去があるとは…なんだか意外ですね。
嫌われながらも全く意に介せず、自分の好きなように生きるおじさんの姿には、どこか悲しさや哀愁もあり、まさに志村さんが演じる「変なおじさん」と重なると思いませんか。辛く孤独な境遇を大らかな気持ちで生き抜く、沖縄の人の心が謳われているのです。この人物をお笑いのキャラクターにアレンジしたということに、志村さんがもつ他人への慈愛を感じずにいられません。
実際、志村さんの名言にはこんな言葉があります。「これまでつき合ってきた自分じゃうまくいかないなら、心の中で『変なおじさん』にヘンシ~ンって掛け声をかけてみたらいい。臆することなく思いきって、やれるよ」。
人は誰でも恥ずかしい部分をさらすのは嫌なもの。でも、そのせいで壁を感じるならば、別のキャラクターになりきるつもりで演じて乗り切ればいい。うまく生きることができずにプレッシャーを感じる人に、志村さんはそう言いたかったのかもしれません。今となっては思いを馳せるしかありませんが、そんな志村さんの生き様は、今なお多くの人の心に感動を呼び起こしています。