前回は、バイタルレコードとは何か、BCP(事業継続計画)とは何かについて説明させていただきました。VRM(バイタルレコードマネジメント)が、リスクマネジメントの一つの分野として、住民(企業住民を含む)を守り、職員を守り、そして事業を守るために極めて重要なものであることをご理解いただけたでしょうか。
リスクマネジメントは、主にリスクアセスメントとリスク対策で成り立っています。勿論、対策の基本的考え方は、人命第一です。第二が地域住民の生活確保、第三は平常生活への復帰です。従って、リスクマネジメントは、行政組織の全業務を対象に実施されるものであり、VRMという名の「文書管理」に限定されるものでないことは言うまでもありません。
しかし、巨大地震や大津波に直面するかもしれない可能性を考えれば、平時における文書の保管・管理だけでは十分とは言えません。「文書管理」や「ファイリングシステム」で日常取り扱われている文書の中には、バイタルレコード、すなわち、決して失われてはならない文書や、もしも失われた場合、災害復旧に重大な支障をきたす文書も多数存在しているからです。
文書管理の主管部門だけではなく、各課の文書管理責任者・担当者、「ファイリングシステム」等の文書管理システムの主管部門もこうしたリスクに向き合うことが求められているのではないでしょうか。今回のコラムでは、全庁的なリスクマネジメントの一環として、巨大災害によるバイタルレコード消失リスクへの対応ステップを考えます。
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が起きるまでは、地震被害は倒壊・火災によるものだと考えている人が多かったと思います。まさか、地震による津波でこのような甚大な被害に遭うとは…‥悪夢としか言いようがありません。もし、南海トラフ大地震が発生したら、一体どうなるのでしょうか。
これまでの「地域防災計画」は行政機能そのものが失われるリスクを想定せず、自らは安全であるとの前提のもとに、住民や事業者の救援に全力を上げる計画であったと思います。しかし、前述の4つのリスクへの対応が盲点になっていました。
阪神淡路大震災の際の、神戸市や西宮市での人的、物理的被害の実態から、「被災後も自治体業務を継続可能にする対策・計画」が必要であると判断した国が主導して生まれたのが「業務継続計画(BCP)」です。
さて、文書は、基幹文書、重要文書、有用文書、一般文書の4つに層別されます。このうちの基幹文書がバイタルレコード(Vital Records)と定義されていますが、個人的には、上述「2.情報資産の消失」に記載のとおり、重要文書も含めてバイタルレコードにすべきと考えています。
「基幹文書」とは、現在の自治体組織の存続に不可欠な財務上、法律上、事業運営上の記録や文書です。「重要文書」とは、基幹文書に相当するが代替の記録や文書の入手や再生・復元が不可能なものであり、過去と未来を繋ぐために必要不可欠だと考えるからです。
先ずは、過去を現在に繋ぐこと。自治体が行ってきた事業、事務の詳細等の行政資料、地域の歴史的資産等、自治体の存続には直接的には影響しないが、いわゆる「コーポレート・アイデンテティ(Corporate Identity)」(自治体のメモリー)を維持するために不可欠で、喪失または破壊が発生した場合、二度と再生又は復元できない文書や記録です。
もう一つは、現在を未来に繋ぐこと。「ゴーイング・コンサーン(Going Concern)」(いうなれば、自治体が将来にわたって継続するという前提)を保証するために、将来の構想、事業計画等に関する文書、自治体が存続するためになくてはならない文書や記録です。これらを滅失すれば、自治体組織は受容しがたいレベルのリスクを背負うことになるでしょう。
従って、私自身が「バイタルレコード」を再定義するのであれば、過去・現在・未来を繋ぐ文書・記録ということになるでしょう。
VRMはリスク管理の一環なので、首長(自治体トップ)の強いリーダーシップが必要です。危機管理室等リスクマネジメント担当部局とのイメージ合せを先にして、推進力のあるプロジェクト事務局を立上げることです。最終的には、現場を巻き込み実効性を担保する仕組みを作り上げることです。
VRMの推進ステップは次のようにするとよいでしょう。
第1ステップはバイタルレコードの特定化です。
第2ステップは、第1ステップで抽出したバイタルレコードの保護です。
第3ステップは、VRMの維持活動です。継続は力といいますが、ここはトップの強い意志が色濃く反映されるステップです。
被災したら、ただちに行う活動です。
1年間続いた「行政文書管理の改善」についてのコラムも今回で無事に終了いたしました。
連載するのは初めてでしたが、多くの皆様から激励をいただき、大変勉強させていただきました。
本当にありがとうございました。
また機会があれば、どこかでこの続きを書きたいと思います。