「祭りだけじゃない」岸和田の魅力を、本市の観光担当者の辻諭氏が熱く語ってくれています。私は同じく岸和田市の『郷土文化室』という部署にいます。その名のごとく歴史や文化を守り、郷土愛を育んでいくための部署です。私自身は岸和田で生まれ育ち、半世紀を越えてしまいました。
私は、「祭りだけじゃない」といいつつも「やっぱり祭り。」の岸和田が、本当に求めるコンセプトではないかと思っています。少し永く自治体職員をしていると、コンテンツはあるがコンセプトがないという場面に多々遭遇します。「岸和田は、こんなもんもあって、あんなもんもあって、祭りだけちゃうねん、みんな知らんだけで、いろいろいっぱい、いいもんあるんやで。」と言いつつも、これらをつなぐのは「祭り」だと思っています。
一つ一つのコンテンツを、祭りを核として有機的につなげていくためのツールとして情報技術の可能性を考えてみたいと思います。「何ができる・何がしたい」を求めて、私の自問自答を聴いてください。
今から20年近く前になります。当時「情報化」というとまだまだ概念が未成熟だったように思います。「高齢化」は社会現象であるように「情報化・IT化」も社会現象です。社会に起こっていることに対して行政としてどのように対応していくかの議論が少なかったように思います。
特に役所では「電算化」を「情報化」であるという狭義の議論に終始することも多く、そういった議論の中からはITや情報ツールを使って「まちづくり」「文化」と情報化という発想は深まりませんでした。通信速度が○メガで、モデムがどうのこうのと論じている中では大きな視野に立っての「情報化」「IT」で「何ができる・何がしたい」は見えてきませんでした。情報化とITが手段であって目的ではないことが少しずつ理解が深まってきたのは、道具が行き渡ってきてからではないでしょうか。
では、本市にとって、「祭り」をコンセプトに、歴史と伝統、文化を後世にも伝えていくために何ができるでしょうか。便利な道具が行き渡ってきています。今や一人1台、小学生までスマホが行き渡っています。人のつながりが祭りの歴史や伝統、文化を支えています。地域コミュニティが「祭り」を支え、伝えていることは辻諭氏のコラムでお伝えできていることかと思います。
例えば、今、よその子供を叱るという大人が少なくなっています。祭礼団体のつながりは、顔の見える関係ができていたりするので、危ないときや悪いことをしたら「叱れる」人とのつながりがあります。また、自分たちの祭りを自分たちで運営していくために「自主運営・自主規制・自主警備」という3大原則によって子供からお年寄りまで幅広い世代が関わりあうことができるのも「祭り」の産物です。
地域の清掃活動や廃品回収、ある町では年末に祭礼組織が餅つき大会をして、地域のお年寄りや子供たちを集め、だんじりを小屋から出してきて身近に親しんでもらうなどの機会を作っています。さまざまな取り組みが地域で行われています。
このような活動を支えるツールとしてスマホを始め情報機器を活用することによって、何かできそうですよね。何ができるんでしょうか。ローカルでもいいと思っています。文化財のデジタルアーカイブとか今はやりの3Dとか、いろいろ考える余地はあるのですが、岸和田でしかできない何かがあるような気がしてなりません。
私は、文化財の専門職ではありません。歴史が好きで興味があるかといえば、正直、そうでもないです。歴史や文化、伝統を伝えることが私の業務になるのですが、本当に伝えたい歴史や文化、伝統は地域の日常にあるささやかなことの中に、ヒントがあると思っています。
少し永く自治体職員をしている私ですが、どんな職場にいてもいつも浮かんでくることがあります。自治体の風土とでも言うのでしょうか。イソップ童話の『すっぱいぶどうの論理』です。のどの渇いたキツネが上から垂れ下がったおいしそうなぶどうをみつけて、飛びついて取ろうとするが高くて取れない。キツネは「どうせ、あのぶどうはすっぱいから食べない方がいいんだ」と自分に言い聞かせ立ち去っていくという話です。
これは、人間の心理の防衛機制の「合理化」という働きを基にしています。キツネが自分の本当の気持ちを合理化しなければどうなっていたか。自分のふがいなさに直面して苦しみ、一念発起してジャンプの練習をして、ぶどうが取れるようになっているかもしれません。ただ苦しんで、自己嫌悪にとらわれたキツネになっているかもしれません。合理化することによって、このキツネは何もなかったように歩いていったのです。
少し永く、自治体職員をしているとこのような場面を何度か経験します。「こんなことをしてみたい」「あんなことをしたい」でも、自分の力ではできそうにない。「どうせやってみてもうまくいかないや。しない方がいいかも知れない」と自分に言い聞かせ、やらない理由ばかりを探し出している。・・・いや、ちょっと待って。キツネは何もなかったように歩いていけたけど、私はやってみたいと思います。
自己嫌悪にとらわれ、苦しみばかりかもしれないけどやってみないと、私には何ができて、どこができないのか、何が足りないのかさえ、わからないままです。ジャンプの練習が必要なのか、たとえば、ぶどうの木に届く長い首を持ったきりんのような友達はいないか、この話は「何ができる」「何がしたい」を求める私へのメッセージになっています。
祭りを核として、人がつながる。それが岸和田らしさであり歴史や文化でもあります。
コンテンツは例えば、「お祭のご馳走」「祭りファッション」「だんじり」といろいろあります。お祭りのときの女子の編みこみヘアは、全国の美容師さんができるわけではないそうです。(ちなみに私が祭り女子だった頃は編みこみヘアの女子はいなかった)いつからこうなったのかな?!
岸和田から発信して「祭り女子のファッション」のトレンドを創られへんかな?・・・結構、郷土愛が満ちてきました。