データが語る「オーバーツーリズム」の真実
~「観光立国」へ向けた成長戦略を考える~

シンギュラリティ前夜に描くDX戦略の核心 [第1回]
2026年1月

執筆者:NPO法人 地域情報化推進機構 副理事長
ITエバンジェリスト/公共システムアドバイザー
野村 靖仁(のむら やすひと)氏

最近、テレビやSNSで毎日のように見聞きする「オーバーツーリズム」というキーワードですが、京都や鎌倉、富士山など人気の観光地が、海外から押し寄せる観光客でパンク寸前の状況で「観光公害」いう厳しい言葉まで飛び交っています。

たしかに、私たちの穏やかな日常が脅かされるのは、決して気持ちのいいものではありません。しかし、その「公害」とまでいわれている現象が持つパワーが、日本経済を力強く成長させる大きな可能性を秘めているとしたらいかがでしょうか。

実は、いま我々が直面している「オーバーツーリズム」の問題は「観光客が多すぎて困る」という単純な話ではないと思われます。本コラムでは、少しだけ感情のボリュームを下げて、客観的なデータを頼りに、この複雑な問題を解き明かしていきたいと思います。

「インバウンド」がもたらす経済効果

観光庁の発表によると、2024年の訪日外国人旅行消費額は、8兆1,395億円に達し、過去最高となりましたが、これはコロナ禍前の2019年と比較して、約1.7倍という驚異的な数字を記録しています。

「8兆円」といわれてもピンとこないかもしれませんが、これは日本の年間国家予算(一般会計)の約7%に相当する規模で、日本の主要な輸出産業と比較すると、可能性を秘めていることがよくわかります。

2024年のデータでは、日本の輸出品目トップが「自動車」約10兆7,000億円で、これに次ぐのが「インバウンド消費」8兆1,300億円、「半導体など電子部品」4兆9,000億円や「鉄鋼」約4兆7,400億円を大きく上回っています。

近年、記録的な円安が私たちの生活を直撃し、輸入品の価格高騰に悩まされていますが、海外から多くの資源を輸入に頼る日本にとって、円安はコストプッシュ型インフレを引き起こす大きな要因となっています。

ここで注目されているのが「インバウンド」による外貨獲得なのです。例えば、2024年に日本の原油輸入総額は約10兆7,000億円、海外のITサービス利用などで支払う金額「デジタル赤字」は約6兆6,000億円となっています。

これに対して、「インバウンド」がもたらす約8兆1,300億円の外貨は、日本円を売ってドルなどを買う「円売り」の圧力を緩和し、過度な円安の進行にブレーキをかける重要な役割を果たしていると思われます。

もし「インバウンド」消費がなければ、円安はさらに進み、ガソリン価格や電気代、食料品価格はもっと高騰しているかもしれません。そう考えると、少し見方が変わるのではないでしょうか。

日本は「観光客で溢れている」は本当なのか

2024年の訪日外国人数は、過去最高の3,687万人を記録していますが、観光庁の消費動向調査によると、インバウンドの平均滞在日数は約9日ですので、日本全国で1日あたりの滞在しているインバウンド客を推計すると、3,687万人 × 9.0日 ÷ 365日 = 約91万人となります。

この、約91万人という数字は、2024年の日本の総人口約1億2,380万人に対して、僅か0.74%に過ぎません。政府目標である6,000万人が達成されたとしても、1日あたりの滞在者は約148万人で、人口比1.2%になります。

もちろん、これは全国に均等に分散した場合の数字であり、特定の場所に集中しているのが問題なのですが、「日本中が外国人観光客で溢れている」というイメージは、少し誇張された表現といえそうです。

世界に目を向けると、2024年の外国人旅行者数1位のフランスでは、人口約6,844万人に対して、インバウンドは約1億人で人口の1.5倍、2位のスペインでは、人口約4,910万人に対して、インバウンドは約9,400万人で人口の1.9倍、アジア圏では7位の香港が、人口約753万人に対して、インバウンドは約4,450万人で、人口の5.9倍にもなります。

これらの状況と比較すると、日本の場合は政府目標の6,000万人を達成したとしても、人口約1億2,380万人の約50%であり、世界的に見れば、日本が「オーバーツーリズム」状態にあると断言するのは、言い過ぎかもしれません。

では、なぜ私たちは「混雑」や「過剰」だと感じるのでしょうか。問題の本質は、外国人旅行者の「数」ではなく、京都・鎌倉・富士山などの有名観光地や、春の桜・紅葉シーズン・山開きなど、特定の場所・特定の時期に観光客が集中することではないでしょうか。

このような視点に立つと、やるべきことは「観光客を追い出す」ことではなく、いかに「集中」を避けて他の地域へ「分散」させ、「平準化」を図るかかが重要な課題であることが見えてきます。

各地で始まった具体的施策の最前線

一部の観光地では、これまでの「来てくれてありがとう」という受け身の姿勢から「ルールを守って楽しんでください」そして、「そのための対価はいただきます」という、より毅然とした対応にシフトしつつあります。

富士山の山梨県側・吉田ルートでは、2024年夏から、登山者数を1日4,000人に制限し、午後4時~午前3時までゲートを閉鎖する規制を開始し、さらに1人2,000円の通行料の徴収を始めています。これによって、登山者数は前年比で約2割減少し、混雑緩和に一定の効果を上げています。

京都市では、住民の利用と観光客の利用を分離した、主要な観光地をノンストップで結ぶ「観光特急バス」の実証運行を開始し、AIを活用してリアルタイムの渋滞を予測するなど、ITを活用することで、混雑を緩和する対策を進めています。

また、他の観光地においても、海外では一般的な「インバウンド」向けと地元住民で料金を分ける「ダブルプライス(二重価格)」も選択肢の一つとして、導入に向けた動きが始まっています。

「ダブルプライス」については、賛否両論ありますが、観光客から適正な対価を得て、その収益を地元の環境保全などに還元することは、持続可能な観光地を目指す合理的な手法ではないでしょうか。

現在、訪日客の宿泊は東京、大阪、京都などの大都市圏に集中しています。しかし、国内には海外に知られていない魅力的な地域が数多く存在しています。そう考えると「オーバーツーリズム」対策の最も有効な処方箋は、地方への「分散」「誘客」です。

また、「ラフティング」や「トレッキング」など、手つかずの自然の中での体験を求める富裕層に、地方の魅力を発信する「アドベンチャーツーリズム」の推進、伝統工芸の体験や、特別な食文化に触れるツアーなど、地方の活性化に繋げる高付加価値観光も注目されています。

「インバウンド」と共存する未来へ

人口減少と高齢化が急速に進む日本にとって、内需の縮小は避けられない未来ですが、海外の多くの国々では移民を受け入れることで労働力や消費を維持しようとしています。しかし、移民の受け入れは、文化の違いによる摩擦や社会保障コストの増大など、様々な社会的コストを伴うことも事実です。

ここで、「移民代替」という視点から考えると「インバウンド」は非常にユニークな解決策になると思われます。つまり「定住」ではなく、「インバウンド」に向けたリピーター戦略を展開し、再度の「来訪」へ繋げることで消費行動を促進、内需を活性化させるというアプローチです。

移民を受け入れることなく、それに匹敵する経済効果を得られる「インバウンド」戦略は、日本の人口構造問題を乗り越えるための、極めて巧妙な「移民代替」策なのかもしれません。

円安を背景に、「日本は安く旅行できる国」として人気を集めてきました。しかし、このままでは労働力は疲弊し、観光資源はすり減っていくばかりです。今後は、単に「数量」を追うのではなく「質の高い観光」でしっかり「マネタイズ」する、発想への転換が不可欠ではないでしょうか。

観光によって得られた利益を地域に公正に分配し、観光客だけが満足するのではなく、そこに住む人々が「観光客が来てくれて豊かになった」と心から思える地域を創る、これこそが、「オーバーツーリズム」問題の根本的な解決策と思われます。

出国税の引き上げや、質の高いサービスや体験には、それに見合った対価を支払ってもらう。そうして得た収益を地域の環境保全、文化財の保護に再投資していく。この好循環を生み出すことが、持続可能な「観光立国」への道筋ではないでしょうか。

感情論を乗り越えた先にある日本の未来

「オーバーツーリズム」は、間違いなく解決すべき喫緊の問題です。「迷惑だ」「来てほしくない」と感情的に排除するのは簡単です。しかし、そうなれば「インバウンド」がもたらす経済効果などの恩恵を得ることはできません。

大切なのは、この問題を「観光公害」と断罪するのではなく、これからの新たな時代へ向けた「成長の痛み」と捉え、知恵を絞って乗り越えていくことではないでしょうか。

今後は、スマホの位置情報の活用や、公共交通機関の乗降客データの解析など、AI技術やITの進展によって「MaaS」が高度化することで、訪日観光客の満足度を高めながら、地方へ「誘客」することが可能になると思われます。

政府や自治体は、集中を緩和するための「分散化戦略」や、「価値ある支出」を徴収する仕組みづくりを加速させる必要があります。そして私たち一人ひとりが、この課題の多面性を理解し、冷静な目で議論に参加していくことが重要です。

課題を一つひとつクリアし、「インバウンド」と住民が笑顔で共存できる仕組みを構築できたとき、日本は安くて「安心・安全な観光地」から、世界が羨む真の「観光先進国」へ生まれ変わるのではないでしょうか。

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