いま我々が置かれている、かつて経験したことのないコロナ禍という状況において、政策を立案する際の根拠は何処にあるのか論議される中、証拠に基づいて合理的・論理的に政策を評価し策定する、「EBPM(Evidence-Based Policy Making)」が再び注目を集めています。
限られた財源・リソースを最大限に活用して、各種データを正確に分析し効果的な政策を立案する「EBPM」の推進は、2021年(令和3年)12月開催の第2回デジタル田園都市国家構想実現会議の資料においても、「デジタル田園都市国家構想」成功の鍵として、関係者全員で実践することの必要性が明示されています。
このように注目されている「EBPM」ですが、その意味合いについて公式な定義はなく、内閣府の文書では「政策の企画立案をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化した上で政策効果の測定に重要な関連を持つ情報やデータ(エビデンス)に基づくものとすること」とされています。
また、最近の資料では2021年(令和3年)11月4日に開催された、デジタル庁EBPM推進委員会(第1回)の資料では、(1)政策目的を明確化させ、(2)その目的のために本当に効果が上がる行政手段は何かなど、政策手段と目的の論理的なつながりを明確にし、(3)このつながりの裏付けとなるようなデータ等のエビデンス(根拠)を可能な限り求め、「政策の基本的な枠組み」を明確にする取り組みとされています。
「EBPM」の推進に真っ先に取り組んだのは、1990年代後半から今世紀への転換期の英国で、サッチャー政権・メジャー政権と長期継続した保守党政権から、「第3の道」を標榜する労働党のブレア政権に政権交代した時期と重なります。この新たな政権は、サッチャー政権の特性でもある、イデオロギー色の強い「信念による政治」から決別するための戦略として「EBPM」を選択したのです。
そして、米国内でも「変革」を掲げたオバマ政権において、州政府や自治体レベルでも保険・貧困問題など、社会的課題を解決するためのツールとして、様々な政策領域でデータ活用が進み「EBPM」が積極的に展開されるようになっていきます。
日本国内では、2017年5月に閣議決定された「世界最先端IT国家創造宣言・官民データ活用推進基本計画」に「EBPM」推進の必要性が明記されたことに始まりました。同年8月に「EBPM」推進委員会が、2018年度には各府省における「EBPM」の取り組みを主導する政策立案総括審議官が新設されるなど、経済・財政再計画の点検・評価、政策評価、行政事業レビューの取り組みを通じた「EBPM」の実践が進められています。
一方で、「EBPM」の推進体制が整備されたとしても、それが直ちに政策立案に直結するものではありません。実際にデータを利活用するためにはノウハウ・スキルが必要です。政策の効果をエビデンスに基づいて検証するには、政策立案時にその政策がもたらす効果を明確にする、論理的な「ロジックモデル」を作成する必要があります。
ここでいう「ロジックモデル」とは、資源の投入による「インプット」、その政策を実行する「アクティビティ」、その政策が生み出す「アウトプット」、そしてその政策による影響や成果「アウトカム」など、各要素の論理的関係を簡潔に表現した設計図のような存在です。
またこの時、その政策がもたらす効果を定量的に判断できる指標を同時に定義しておく必要があります。そして政策を実施した後、定義した指標に沿ってエビデンスを収集し、「ロジックモデル」に当てはめることで、その効果を検証することになります。
ただし、効果を示すエビデンスを導き出すことができても、想定外の要因によって、指標が好転する可能性もあるため、慎重に判断する必要があります。そこで「EBPM」では、検証する対象を無作為に抽出し、政策を適用する範囲と適用しない範囲を設定することで、結果を比較検証する手法「RCT(ランダム化比較試験)」がよく使用されています。
政策の遂行による「成果」を検証するためには、対象者の政策実施前後の結果を比較・検証する必要がありますが、検証手段としての「RCT」については、医学研究の分野ではゴールドスタンダートと呼ばれるなど、政策効果を正確に評価できる手法として優れているといわれています。
「RCT」による検証は難解な印象を受けますが、コンセプトはシンプルで、小学生の理科学習のように、植物が発芽する時の条件として、光・水分・酸素・温度などの必要性について、2つのグループに分類して検証するような方法です。
例えば、高齢者が要介護状態になることを防止する施策で推奨するものとして、ウォーキング、タンパク質の摂取、積極的なコミュニケーション等の中から、「RCT」では1つの条件について、積極的に取り組むグループと取り組まないグループに分類し、数年後2つのグループの間で、要介護状態になる割合に違いが出るかを検証する手法です。
この時、2つのグループの作り方が「RCT」の重要なポイントになります。本人の意思に基づいてウォーキングする人と、ウォーキングしない人に分類した場合、健康志向の強い人がウォーキングする傾向があるとすると、日常生活での食事の仕方などウォーキング以外の要素が、検証結果に反映されてしまう可能性があります。
こうなると、条件を1つだけ変えるという対照実験の前提が崩れてしまいます。そこで「RCT」では、2つのグループを作る際に対象者を無作為抽出するなど、ランダム化することで、グループ分けを偶然に任せることが肝要になります。
「RCT」の事例としては、デンマークで行われた健康指導がよく知られていますが、デンマークでは「CPR(国民中央個人登録番号)」制度によって、全国民に付与されている10桁の「CPR」番号を活用して、対象者をランダム化することで、健康診断・指導プログラムを送付した個人と、プログラムを送付しなかった個人の、2つのグループを比較し、健康指導の効果を検証しています。
日本国内の事例では広島県呉市において、国民健康保険のレセプトデータと、住民健診等の健診データを分析することで、医療費の増加要因となり得る持病を持つ人を抽出。同様の傾向を示す個人の将来の健康状態を予測し、医師が食生活の改善等を指導・フォローすることで、糖尿病での腎臓透析移行者の減少と医療費の削減に繋げています。
政策を立案・策定しそれを実施するには、それなりの運用コストが必要になります。またその政策を実行することによって、これまで問題視されていない事柄が顕在化する可能性もあります。このため、立案された政策と効果の因果関係がはっきりしない状態では、無難に過去の慣例を踏襲する傾向がありました。
また、民意によって選ばれた議員の意見や、住民アンケートの結果、学識経験者等の意見を参考にしながら、何らかの根拠に基づき政策を策定・実行してきました。しかし、政策立案時に民意や社会の状況を詳細に把握することは困難で、エビデンスとなるデータを収集するにも予算や資源・人材面で限界があります。
しかし近年、ICTの進展はビッグデータの収集・分析や、「IoT」、「AI(人工知能)」の利活用によって、膨大なデータの中から今まで見えなかった傾向を抽出することや、SNS等のネット上の情報を精査することで、実社会の動向を克明に把握することが可能になってきました。
こうした「ICT」の進歩により、サイレントマジョリティーともいえる、地域に埋もれた民意や、見えにくい社会課題を見出すなど、優先度の高いエビデンスを抽出することが可能になったと思われます。
「EBPM」を端的にいえば、政策の目的を明確化にして、その目的のために効果が上がる手段は何かを考え、「政策の基本的な枠組み」を証拠に基づいて明確にするための取り組みと言い換えることもできます。
ポストコロナ時代において、我々を取り巻く環境は今後も絶え間なく変化し続けると思われます。先が見えない不確実な時代である今日において、これまでと同じ組織カルチャーの中で、同じ事業を繰り返していては、組織の存続にも疑問符がつきます。
一方で課題となっているのはデータの利活用です。地方自治体等の行政機関は、「最大のデータホルダー」であり、その施策展開が社会全体に大きな影響を及ぼす「プラットフォーマー」でもあり、また、住民基本台帳、法人登記簿、不動産登記簿など、社会の基盤となる基本データ「ベース・レジストリ」を保有する機関でもあります。
これからの時代の自治体には、既存事業の強みの維持・強化を図りながら、新規の価値を創出する、柔軟な自治体運営が求められています。いまこそ、我々は「データドリブン」ではなく「デマンドドリブン」に向けて、達成したい目標や解決したい課題を明確にした上で、それを成し遂げるため、保有データをどのように「EBPM」に活用するか思考していくことが重要ではないでしょうか。
新たな情報化施策を推進する上で、デジタル社会の「石油」とも呼ばれているデータについて、各自治体がネット上の情報も含めて様々なデータの利活用を起点に「EBPM」を推進することで、お互いのノウハウを共有しながら政策課題の解決に向けて動き出していけば、より良い地域社会の実現につながると思われます。
「EBPM」 はオープンガバメント「開かれた行政」の一環をなす理念であるとともに、立案された政策とその効果を結びつける「ロジック」でもあります。ICTによって可視化されたデータから、多様な政策論議を呼び起こす仕組みとして「EBPM」が機能することで、新たな時代の自治体運営のすがたが見えてくるのではないでしょうか。