2019月6月5日、楽天ペイメントとJR東日本は2020年春から「楽天ペイ」アプリ内でJR東日本の「Suica」の発行やチャージが可能になるサービス提供を開始すると発表して話題になりました。対象となるスマホは、「おサイフケータイ」に対応したAndroid端末で、iOSについては「今後検討する」としています。この二つのサービスの連携によって、全国の交通機関5,000ヵ所の駅やバス約50,000台、約600,000万の店舗で電子マネーによる決済サービスが利用できるようになります。
このニュースでも注目されたように、JR東日本の「Suica」に代表される通称「10カード」と呼ばれる交通系ICカード「FeliCa」の電子決済サービスは、いまでは我々の日常生活にすっかり定着した感があります。
非接触決済ICカード「FeliCa」を利用した交通カードシステムは、1997年に香港で「Octopus(八達通)」の名称でサービスを開始しました。その後、2001年にJR東日本が「Suica」の運用を開始すると、日本国内でも交通系ICカードシステムが普及しました。ICカードを駅の改札機にタッチして通過する光景や、駅構内の売店での買い物の際にICカードをレジのリーダーにかざして支払いすることは生活シーンの一部になっています。
その後、2004年に携帯電話に「おサイフケータイ」機能が搭載されてからは、電話をリーダーにタッチすることも我々にとって身近な日常の光景になっていきます。
我々が毎日のように電車・バス等の公共交通や駅周辺の店舗で使用しているICカード「FeliCa」の仕組みですが、世界的に見るとこのような電子決済サービスが、地域を超えて全国レベルで相互利用できるような環境は、非常に稀なサービスモデルなのをご存知でしょうか。
現在、世界の多くの国々の交通系ICカードシステムでは、地域ごとに大都市を中心にした各エリア単位で、それぞれの地域が異なるシステムを運用しているのが一般的です。日本国内のICカードシステムのように地域間で連携するような運用は実現できていないのが現状です。
このような状況を改善し、よりユーザー側に寄り添った運用へ進化させる手法として注目されているのが、ロンドン交通局「TfL(Transport for London)」で採択され、世界の都市で導入が検討されている「オープンループ(Open Loop)」方式のICカードシステムです。
我が国の「Suica」など、特定の交通系ICカードを使用する料金決済システムは「クローズドループ(Closed Loop)」と呼ばれています。それに対して、ロンドン交通局「TfL」が採用した「オープンループ」方式では「TfL」の交通系ICカード「Oyster」に加えて、クレジットカードの「Visa」や「Mastercard」など国際ブランドの非接触決済「EMV Contactless」に対応したICカードで地下鉄・バスに乗車することが可能になっています。
この、イギリス国内における公共交通機関の「オープンループ」化への取り組みは、世界の他の国々においても広がりを見せ始めています。例えば、シンガポールの交通局「LTA(Land Transport Authority)」では、「Mastercard」と共同で「オープンループ」システム導入に向けたトライアルを開始しています。また、米国ではシカゴの「Ventra」、ポートランドの「TriMet」、ロシアではモスクワ地下鉄や、サンクトペテルブルクの交通機関などで、地域交通のICカードを所持しない旅行者に対して、クレジットカード・デビットカードを改札機にタッチするだけで地域の公共交通で利用することが出来る仕組みが構築されつつあります。
電子決済の仕組みを「オープンループ」化することによって、利用者の側から見れば普段使いのカードで公共交通機関を利用できるようになります。そして、観光政策の面からは地域住人ではないインバウンド旅行者が特に意識することなく、初めて訪れた観光地であっても自分のスマホを改札機にタッチするだけで、鉄道等の交通機関を利用することが出来るようになります。
今後、我が国が2020年、2025年、そしてその先も、真の意味で観光立国を目指すのであれば、「Suica」に代表される「クローズドループ」システム一辺倒の運用ではなく、世界に目を向けた「オープンループ」化への取り組みについて、検討することも必要ではないでしょうか。
『全国どこでも「Suica」が使えたら便利だ!』という意見もありますが、これは首都圏エリア側の論理のように思われます。JR東日本を中心とした首都圏側には「Suica」の経済圏が広がるメリットもありますが、地方の側から見れば、地方には地域の特性や独自の事情があります。最低でも数億円レベルと言われている導入経費と、その後も継続して発生する高額なシステム運用コストは、地方の交通事業者・自治体にとって経費の増大につながり、やがてはそれが利用者の負担増を招くと思われます。
「Suica」の要求仕様では、公共交通機関の混雑時に対応するため、ICカードとリーダー・ライターの距離が85mm以内で、1分間に60人が改札を通過する処理性能があり、改札の処理が200ミリ秒以内に終了することを求めています。また、この仕様に対応するためには「フル規格」と呼ばれる自動改札機の導入に加えて、駅情報を含んだICカードの共通仕様を定める「サイバネ規格」への参画が必須であり、システム連携の他にライセンス費用が発生するため多額の経費が必要になります。
しかし冷静に考えてみると、この大都市圏近郊の通勤通学時における混雑状況を想定したオーバースペックとも言える要求仕様を、人口規模が異なる地方都市周辺の交通機関に適応させること自体、無理があるのではと疑問を感じてしまいます。
現に、欧米を中心とする海外の鉄道事業者等が要求するICカード仕様では、処理時間は500ミリ秒以内、改札機からカードまでの距離は20mm以内という、比較的緩やかな要件定義の範囲内で、なんら支障なく公共交通での運用がなされています。
最近ではインバウンド旅行者への対応を視野に入れた、沖縄「ゆいレール」の「OKICA」のように「1日乗車券」と「区間乗車券」を「セキュアQRコード」で提供するなど、「サイバネ規格」ではない地域独自の仕組みで決済系サービスを展開する、交通事業者が現れています。
沖縄の「ゆいレール」では、開業当初は磁気カード乗車券を使用していましたが、2014年に「OKICA」を導入した際に、切符型の磁気カード乗車券を「QRコード方式」に切り替え、改札機の運用コスト削減を図りました。それと同時に「セキュアQRコード」を採用し、「静的QRコード」の弱点である「複製」を防止することで、一定の安全性を確保することに成功しています。
そして、QRコード方式の採用によって、「Alipay(支付宝)」や「WeChat Pay(微信支付)」など、海外で普及している「QRコード決済」を使用して公共交通機関に乗車することが可能になり、インバウンド観光客に対応すると同時に切符の発券コスト削減など、システム運用経費の削減にもつなげています。
また、「QRコード決済」が様々な生活シーンで利活用されている中国では、「Alibaba Group」の本社所在地「杭州」の公共交通において「交通系ICカード」だけではなく、「QuickPass」と呼ばれる非接触通信に対応した「銀聯カード(China UnionPay)」や、「Alipay(支付宝)」の決済サービスがスマホから利用できるようになっています。
最近の日本国内の事例では、北海道の「くしろバス」「阿寒バス」が、イオンの電子マネー「WAON」を利用してバスに乗降できるサービスの提供を、2019年2月から初めています。
「WAON」でのバス乗車を可能にしたシステムでは、地域に根付いた電子マネーを日常の足である公共交通で利用できるようにしたものです。バスに乗車した際に読み取り機にカードをタッチして「WAON」内部の記憶領域に出発地の情報を記録し、降車時にその差分を計算して「WAON」残高から差し引く仕組みを採用することで、通常の交通系ICと遜色ない処理速度を実現しています。
この事例のように、「イオン釧路店」と「イオンモール釧路昭和」2つのイオン店舗を経由して釧路市内を走る、「くしろバス」と「阿寒バス」の乗客とイオンの店舗利用者が重複する地域特性に着目した、独自の決済サービスの提供は、新たな公共交通政策を思考する他の自治体等においても大きなヒントになると思われます。
キャッシュレス先進国と呼ばれる北欧の国々では、キャッシュレス社会が急速に進展し、スウェーデンでは現金決済比率が数%台にまで低下しています。しかし、スウェーデンで最も使われているモバイルウォレット「Swish」のサービスを利用するためには、スウェーデン国内の銀行口座や国民IDが必要になるなど、外国人観光客が旅行先で気軽に利用できるような環境にはなっていません。
このような状況から考えると、事前に登録する必要のない「オープンループ」や「QRコード決済」の仕組みは、インバウンド観光客の誘致を目指す地方自治体や企業にとって、使い勝手の良いシステムであり、多くの可能性を秘めていると思われます。
今後、キャッシュレス化の動向は「クレジットカード」、「交通系ICカード」、「ポイントカード」、「QRコード決済」、これらのサービスを提供する事業者が、互いの事業モデルを連携させ、合従連衡を繰り返しながら推移していくと思われます。
冒頭にご紹介した「楽天ペイ」と「Suica」による「QRコード決済」と「交通系ICカード」の連携は、社会全体がキャッシュレス化へ向けて動き出す、大きな胎動の序章なのかも知れません。
かつて、我が国の携帯電話の独自進化が「ガラパゴス」と揶揄されたことがありますが、今後の日本国内におけるキャッシュレス化の進展は、またしても「ガラパゴス」と呼ばれるような特異な展開へ向かうのでしょうか。
インバウンド対策の視点から考えると、訪日外国人旅行者が特段に意識することなく、初めて訪れた観光地であっても、地元住民と同じ仕組みを利用して、自国で使っているスマホを改札機にタッチするだけで、公共交通機関を利用できるようなシステムが望まれています。
願わくば、今後は世界の動向を取り入れながら、我が国のお家芸とも言われる「モノ」や「コト」をより洗練・進化させる特性を活かして、日本発の事業モデルが世界のデファクトスタンダードとなるような、サービスモデルの展開が成されることを祈るばかりです。