政府の「観光戦略実行推進会議」は2020年7月27日、新たな働き方としてリゾート地などで休暇を楽しみながら仕事をする、「ワーケーション」を普及・促進していく考えを示しました。「ワーケーション」とは「Work(仕事)」と「Vacation(休暇)」を組み合わせた造語で、2000年代にアメリカで生まれた概念だと言われています。
明確な定義はありませんが、「リゾート地や地方等の普段の職場とは異なる場所で休暇を取得しながら働く」就業の形態です。労務管理の観点からは「休暇中の一部の時間帯に所属企業の承認を得た上で、通常の勤務地や自宅とは異なる場所でテレワーク等を活用して仕事をする」ことを意味しています。
日本国内では、2015年に和歌山県白浜町にセールスフォース・ドットコムがサテライトオフィスを設置するなどの動きがあり、2019年11月には「ワーケーション」の全国的な普及を目指す自治体によって「ワーケーション自治体協議会(WAJ)」が設立されました。本年9月の時点で107自治体(1道12県94市町村)が参画しています。
コロナ禍によって再び注目されている「ワーケーション」ですが、その要因としては、自治体が「ワーケーション」の誘致に力を入れ始めたこと、昨今のテレワーク・リモートワークの拡大で「地方で暮らしながら都会での仕事を続けるライフ&ワークスタイル」に興味を持つ人々が増加したことが挙げられます。
欧米地域における「ワーケーション」の実践は、数週間から数ヶ月単位の休暇・バケーションを楽しみながら、リゾート地で仕事するようなスタイルが想定されていますが、このような運用には、長期間の「Vacation(休暇)」取得が前提になっています。
日本国内で、これまでの価値観・働き方のまま「ワーケーション」を導入した場合、欧米のような長期休暇ではなく、平日働いた上で土日・祝日またはゴールデンウイークなど、限られた休日に「ワーケーション」を実践することになり、単に「労働時間を増加させる」結果を招くことになります。
これまで、「仕事」と「休暇」を分離して考えてきた日本型企業にとっては「ワーケーション」を導入し制度化する場合、労務管理等の仕組み・規定を見直す必要があります。また、交通費や通信費、宿泊費などの実費負担の取り扱いや、労務災害時の適用など多くの課題が山積していると思われます。
「ワーケーション」の普及・展開に向けては、「仕事」か「休暇」を選択するのではなく、「仕事」も「休暇」も並行して進める方向へ、私たちの考え方をシフトする必要があるのではないでしょうか。
ポーランド出身の社会学者「ジグムント・バウマン」は自らの著書の中で、企業の終身雇用に象徴される「みんながより豊かな生活を実現できる」ことが信じられた既存の社会「ソリッド・モダニティ」から、既存の秩序がなし崩し的に解体していく不確実な社会「リキッド・モダニティ」への変遷という枠組みで現代社会を論じています。
そして「バウマン」は、モビリティの高度化によって移動性が増し、多様性が高まった社会においては、「柔軟な働き方」と「移動の自由」の実現が、自由に移動できる者とできない者「強者」と「弱者」の階層化を招き、新たな格差が発生することを示唆しています。
「テレワーク」や「リモートワーク」の話になると、誰もが「ネットとパソコンがあれば仕事ができる」時代になったと主張する人がいますが、「ワーケーション」が実践できる環境を裏で支えている、「ネットとパソコンだけでは仕事が完結しない」人々の存在を忘れてはならないと思います。
「ワーケーション」を推進する自治体のWebサイトなどには、「気軽に利用できるコワーキングスペースから、Wi-Fiなど快適な仕事環境でビジネスパーソンの多様なニーズに応えます」などと記載されています。しかし、ここで想定しているのは、通常の勤務地を離れて「コワーキングスペース」や「Wi-Fi」があれば仕事が可能な「特定の職種」の人だけが実践可能な働き方なのです。
このことは、他の地域からITに関する高度な知見を持つ人材を獲得したい地方自治体の思惑と重なりますが、これによって、「地元住民」や「ネットとパソコンだけで仕事が完結しない」人々を「ワーケーション」から排除することになり、新たな階層・格差を発生させることにつながります。
言い換えれば、「モバイルな生活」がもたらす階層化は、「移動可能な人々」が生み出す労働需要と、それを満たすために低賃金・単純労働に従事する「移動不可能な人々」の労働供給の関係性の中で構築されているとも考えられます。
子育て中の人達や親の介護をしている人々、低所得等その他の要因で社会的弱者と呼ばれる人達の多くは、移動に関する自由を享受することは難しいと思われます。また、地方で農業に従事する人々や地域で重要な役職に就く人たちは、その地域から移動することは容易ではなく、地域密着型の企業やその企業に依存する下請け事業者についても、その地域から移動することは困難で「ワーケーション」とは対極にあると思われます。
「ワーケーション自治体協議会(WAJ)」の設立趣意では、「テレワークを活用し、普段の職場や居住地から離れ、リゾート地や温泉地、さらには全国の地域で、仕事を継続しつつ、その地域ならではの活動を行う」と記載されています。
企業が「ワーケーション」を取り入れることで、オフィスとは異なる環境でリフレッシュしてモチベーションを高める効果が期待できるほか、長期休暇を取りながら重要な会議だけにテレビ会議で出席するなど、柔軟な働き方・休暇の取得が可能になると考えられます。
地方自治体の側から見れば、「ワーケーション」を通して都市圏の企業とのつながりが生まれることで将来的に移住者が増えたり企業を誘致したりできることで税収が増える可能性があります。そのためには、ワーケーション推進のために整備した施設・設備等の環境を、地域住民に開かれたものにするなど、地域住民への便益が見えるかたちで「ワーケーション」の恩恵を示すべきではないでしょうか。
地元の既存リソースを最大限に活用して、空き家となった施設・店舗等を自治体が買い取り、リノベーションによって「ワーケーション」の拠点兼地域住民も利用できる公共施設とすることができます。これにより、地域での新たな事業の創出につなげることや、「ワーケーション」従事者を対象に地元限定の「地域通貨」を発行して、地域内店舗での利用促進やマネタイズを図るなど、持続可能なワーケーションを実現するための施策展開が考えられます。
2014年に「消滅可能性都市」が注目され、その後全国の自治体において様々な施策が推進されました。しかし、人口の減少は止まらず、総務省は2019年度、「関係人口創出・拡大事業」モデル事業に全国44団体を指定し対策を続けていますが、地方の人口減少には歯止めがかからないのが現実です。
このような状況の中で、最近では「定住人口」ではなく、観光で訪れる観光客等の「交流人口」でもない、地域や地域の人々と多様に関わることで関係性を構築する、「関係人口」に着目した施策に取り組む自治体の活動が話題になってきました。
受け入れる自治体のメリットは、「関係人口」の創出や「地域ブランディング」の形成につながり、「ワーケーション」を実践する側から見れば、「休み」か「仕事」という従来の枠組みから解放され、「休み」も「仕事」もという選択肢が増加することが挙げられます。日常的に暮らす都会から離れ、異なった環境の中に身を置くことで、地域住民との交流が生まれ、クリエイティブな感性が刺激されるのです。
実施する企業側のメリットとしては、「働き方改革」が求められ、社員のウェルネスや健康の向上、社員の意識・価値観や志向性が多様化する中で、社員が働きやすい環境をつくることで、「柔軟な働き方」を尊重する企業風土を醸成するなど、企業のブランドイメージ向上につながることが期待できます。
今後、多くの自治体が「ワーケーション」に力を入れていくことが予想されますが、施策の立案については、地域の現状と目指すべき未来の姿や、「関係人口」の創出によって解決・改善しようとする地域の課題、「関係人口」に期待する役割等、自治体自らが検討し明確化することが重要になります。
また、「ワーケーション」に取り組む地域においては、自治体を中心にデジタルセキュリティ対策に配慮した通信インフラ等のシステム環境の整備、既存の商店街、空き家、宿泊施設等をリノベーションした、コワーキングスペースの設置や、二拠点居住の支援など、「関係人口」拡大を意識した地域全体での受入体制の構築が求められます。
「ワーケーション」の普及・展開に向けての課題として、自治体側が受け入れのための施設や環境整備に投資する予算確保が厳しい現状や、「観光客以上」「移住未満」の人々を呼び込む取り組みについて、「関係人口」の創出・拡大に向けて先行きに不安な要素があることも事実です。
しかし、都市部に居住する住民の中にも、豊かな自然の中に暮らしてその地域に関わりたい、地域に貢献したいと思う人達が少なからず存在しています。「関係人口」の獲得に向けては、単なる情報発信ではなく「関係人口」候補者の属性を絞り込んだターゲティングと、アプローチ方法について検討する必要があると思われます。
「関係人口」候補者のターゲティングについては、都市部に在住する住民の中で、特定地域の住民、特定の団体に所属する住民など、「地域」「所属団体」を対象にするもの、特定の職種の住民、特定の趣味を持つ住民など、「職業」「趣味」を対象にしたもの、地方に関心を持つ住民、地方で働くことに関心を持つ住民など、「地方に関心を持つ」人々を対象とするなどが考えられます。
そして、地域への関心・興味・理解を持った「関係人口」との「関係性の継続」を維持させることで、「ワーケーション」を一過性のイベントにするのではなく、継続可能なものにする、ターゲットとの関係性を持続させ、より深化させるような仕組みづくりが重要になります。
新たな生活様式の中で、再び注目されている「ワーケーション」ですが、我々に働くこととは何か、働くことの意味について、もう一度考える機会を与えてくれたのかもしれません。
我が国には、古くから「百姓」という言葉がありますが、本来は「おおみたから(慈しむべき天下の大いなる宝である万民)」そして、「百の生業(なりわい)」を持つことを意味しています。
かつて、庶民は農耕的営みを中心に暮らしながら、様々な「生業」に挑戦していたのです。いま我々に求められているのは、「令和時代の百姓」となって、本業を中心に据えながら多様な「生業」「働き方」にチャレンジすることなのかもしれません。