声のSNS「Clubhouse」の時代が到来するのか
~時代のトレンドと「SNS」の変遷を考える~

新時代に向けた地域情報化政策の方向性 [第15回]
2021年4月

執筆者:NPO法人 地域情報化推進機構 副理事長
ITエバンジェリスト/公共システムアドバイザー
野村 靖仁(のむら やすひと)氏

コロナ禍のなか、2020年4月にアメリカで誕生した、音声・会話のみで交流する新たなSNS「Clubhouse(クラブハウス)」が注目を集めています。ユーザー数は、同年12月時点で60万人規模となり、日本国内でも今年1月にサービスを開始すると、「クラブハウス」関連のキーワードが「Twitter」でトレンド入りするなど、大きな盛り上がりを見せています。

「Clubhouse」が話題になっている理由として、既存の「SNS」とは異なり「いいね」や「コメント」などの機能がなく「完全招待制」であることや、アーカイブ配信(録音配信)が不可であるため、ユーザーがネットワーク上の「時間・場所」を共有しながら、音声を配信・会話することで、リアルタイムに交流することを第一に考えていることが挙げられます。

声の「SNS」とも呼ばれている「Clubhouse」ですが、これまでの「SNS」と決定的に違う点は、リアルタイムな会話を音声で配信することのみに機能を限定しているところです。18歳以上で実名登録することが利用条件になっていますが、顔出しする必要もなく、誰かの会話を聞くだけであれば、気軽に参加することが可能です。

日本でもサービスが開始されて以降、新しモノ好きの芸能人などを中心に、ユーザー数が伸びている「Clubhouse」。ソーシャルディスタンスの確保と不要不急の外出自粛が新しい生活様式となった現在、会うことができなくても繋がっていたい、会話したいと思う気持ちを具現化したような「SNS」の登場は、今後どのような展開を見せるのでしょうか。

時代の進展とメディアの変遷

19世紀ドイツの哲学者「ゲオルク・ヘーゲル」は、物事の「変化」や「発展」、「進歩」や「進化」は、螺旋階段を登るように進展するという「事物の螺旋的発展の法則」を提唱しました。

「螺旋階段」を登っていく人を真横から見ると、上に向かって階段を回りながら登っているように見えますが、この動きを真上から俯瞰するように見ると、この人物は中心から同心円状に回転しながら、階段を登るにつれて元の場所に戻っていくように見えます。

しかし、よく見れば、ただ元の場所に戻っているのではなく、螺旋階段を上ることによって、必ず一段高い場所に登ることで、「進歩・発展」と「復活・復古」が、同時に起こっていることに気づきます。つまり、物事は一通り変化・発展し尽くすと原点に戻るように見えますが、次元的には上昇・進化して、新たな価値を持って復活するのです。

ラジオ(音声)からテレビ(映像)、そして「YouTube」(動画)という流れは、「進化」であり、不可逆的なものに思えます。映像・動画の方が、より多くの情報を届けることができ、可能性が広がるからです。しかし、「YouTube」で動画コンテンツが世の中に溢れ「情報過多」になったことで、「動画」から「音声」へと「復活・復古」する現象が起こっているのかもしれません。

「Clubhouse」が注目される背景には、動画コンテンツがネット上に溢れかえる現状に対する不満や反動があると思われます。この一見すると、「後退」したかのような現象は、ただ元に戻ったのではなく「創造的後退」なのです。

「Clubhouse」は、単なる「音声が聴けるメディア」ではありません。音声版「Twitter」とも呼ばれる「Clubhouse」が目指すものは、友達やその友人たちと「Room」と呼ばれるネット上の空間を共有して、繋がることができる「SNS」であるところが重要なポイントです。

「YouTube」は、あくまでコンテンツを消費するメディアで、「SNS」的要素はそれほど強くありません。これに対して、「Clubhouse」は本質が「SNS」であり、コミュニケーションの手段が「音声」なのです。

かつて、テレビがメディアの王座に君臨していた頃、誰もがネットで気軽に「動画」や「映画」を視る時代が来ることを、想像することができたでしょうか。それが今では、「YouTube」の登場によって、映画・アニメや、その他の動画コンテンツを、我々は日常的に楽しんでいます。

そして、「YouTuber」と呼ばれる人達の登場によって、芸能人や著名人が参入するようになり、それによって人々のテレビ離れが加速し、若者たちの多くが「YouTube」へ移行していったのです。

さらに、その後「ニコニコ動画」がサービスを開始し、「Hulu」や「Netflix」などの動画配信サービスが次々に誕生しています。なかでも、「Netflix」は多くのユーザーが加入することで、低廉な価格設定でハイクオリティな作品提供を可能にする、サブスクリプション(月額課金)サービスの仕組みを作り出すことに成功しています。

時代のトレンドと「SNS」の関係

日本で最初に注目を集めた「SNS」が「mixi」です。その仕組みは「完全招待制」で、メンバーだけが参加する、「クローズド制」を採用していました。そして、友達(マイミク)になると、その人の日記を見ることができたのです。

しばらくして「Twitter」がサービスを開始しますが、コンテンツを作り込んで、それを友達にだけ見せる方式の「mixi」に対して、「Twitter」は、思い付いたことをその瞬間に発信し、それを「シェア」することで、友達以外にも広く拡散させる仕組みを採用しました。「mixi」と「Twitter」は、真逆の「SNS」を目指すことで、共存することができたのです。

しかし、その後登場した「Facebook」の仕組みは、「mixi」に近い「クローズド」なメディアで「友達」という感覚が強い反面、「Twitter」のように「シェア」できる機能もあり、「mixi」を上位互換する「螺旋的発展」させたような媒体です。そして、「Facebook」の流行とともに、「mixi」は急激にユーザー数を減少させていきます。

このように「SNS」が広く認知されるようになると、人々が最も速く情報を得ることが出来るメディアは、「新聞」「テレビ」から、「SNS」へと移り変わりました。「SNS」では、ネット上で「面白い!」と話題になった情報が、拡散(シェア)されていきます。こうなると、「テレビ」は圧倒的に不利になります。なぜなら、視聴者が「面白い!」と思ったと同時に、放送は流れ去っていきます。

「連続ドラマ」の場合は、「面白い」と認知した人が次回の放送から視聴することもできますが、単発の番組では「口コミ」によって後から「バズる」という現象が、「テレビ」単体では起こせない仕組みなのです。

一方で、「YouTube」などはコンテンツが残るために、面白いコンテンツは口コミによって瞬く間に全世界に拡散され、これが既存メディア「テレビ」に対する、大きなアドバンテージになっています。

「テレビ」はリアルタイム重視で、コンテンツが残らない一方、「YouTube」ではリアルタイムである必要はなく、コンテンツが残る特性があります。しかし、テレビの「その瞬間」しか見ることができない、「リアルタイム感(ライブ感)」が、ここにきて見直されつつあります。

「YouTube」の動画は、「後から視ることができる」という心理が働くため、「リアルタイム感」が生まれにくいのです。我々は「テレビ」の生中継のように、その場で予期せぬ話が飛び出すような、リアルタイムで体感するライブの「わくわく感」を、心のどこかで求めているのかもしれません。

そこに、音声コンテンツを主体として、生配信する媒体「Clubhouse」が登場しました。この「SNS」の最大の特徴は、「リアルタイム」でしか聞くことができないところです。そして、メディア変遷の観点から見れば、「音声」の時代から「映像」の時代へ、そしてまた「音声」の時代へ戻ってくる「螺旋的発展」です。

動画コンテンツは情報量が多くなり、長時間の視聴は脳が疲労するとも言われています。特に、コロナ禍によって在宅時間が増加し、映像を視聴する時間が増加して情報過多になり、我々の脳の情報処理能力が限界に近づいているのかもしれません。その結果、再び「音声」が求められているのではないでしょうか。

さらに、音声メディア「Clubhouse」の持つメリットとして、「ながら」聴きが可能なことも挙げられます。「YouTube」はその特性から、「ながら」視聴には向いていませんが、「Clubhouse」であれば、家事をしながら、散歩しながら、通勤・通学中でも聴くことが可能になります。

Withコロナと「Clubhouse」

「Clubhouse」は、コロナ禍の今だからこそ求められる「SNS」なのかもしれません。「YouTube」では、誰かとの対談を動画配信する場合、同じ場所・空間を共有して、対談を収録する必要があります。しかし、「三密」の回避を意識しないといけない今、それが非常に難しくなっています。

「Clubhouse」は、音声だけ(顔出し不要)で、リモートで利用するのが基本のため、「三密」になる心配は無用です。そう考えると、物理空間で「三密」な空間を作れない現在の状況の反動として、人々は情報空間での密接な関係を求めているのかもしれません。

いま、世界は混乱の渦中にあり、世の中のあらゆるものが激変し、私たちは「新しい生活様式」を求められています。これに背中を押されるような形でデジタル化が大きく進展し、仕事や会議がオンラインで行われることが当たり前の社会が急遽到来しました。

Withコロナ時代のデジタル化した社会では、これまでオフラインで行われていた生活行動は、オンラインに置き換わりました。人と人とのコミュニケーションにおいても、「SNS」などを活用したオンラインでの接点が増加して、オフラインのリアル世界は、オンラインのデジタル世界に対して存在感が減少していく傾向にあります。

真にデジタル化した社会においては、「純粋なオフライン」は存在しなくなり、オンラインはオフラインに浸透し、リアルはデジタルに抱合されていきます。オフラインはオンラインの一部分になり、リアルとデジタルの主従関係が逆転するのかもしれません。

新型コロナウイルスの発生が報告されてから約一年が経過しますが、未知のウイルスとの戦いも長期戦になり、ワクチンの開発と接種の開始によって、収束までの道筋も見えるように感じられます。いまの状況が終了した時、afterコロナの世界は、どのような時代を迎えているのでしょうか。

新時代に向けた地域情報化政策の方向性

執筆者:NPO法人 地域情報化推進機構 副理事長
ITエバンジェリスト/公共システムアドバイザー
野村 靖仁(のむら やすひと)氏

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