欧州で始まった「デジタル主権」改革の動向
~さよならWindowsのリアルな現状を探る~

変容と混沌の時代に情報化戦略を考える [第9回]
2025年9月

執筆者:NPO法人 地域情報化推進機構 副理事長
ITエバンジェリスト/公共システムアドバイザー
野村 靖仁(のむら やすひと)氏

私たちの職場のパソコンからWindowsが消える。あなたは、そんな日がやって来ることを想像したことがあるでしょうか。おそらく、ほとんどの皆さんが「ない」と答えるのではないでしょうか。

日本では、パソコンのOSはWindows、オフィスソフトはMicrosoft Officeが主流となっていますが、これを根底から覆すような大きな変動がヨーロッパ各地で起きています。

「Microsoft Teamsとの関係はもう終わりだ!」こんな衝撃的な言葉で、ドイツのある州がマイクロソフト製品との決別を宣言し話題になりましたが、これは単なる思い付きやコスト削減のお話ではありません。

ヨーロッパ全土を巻き込む「デジタル主権」という名の、新しい価値観をめぐる大きな地殻変動が始まっているのです。

欧州から上がった改革の狼煙

変化の狼煙は、ドイツ北部のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州から上がりました。州のデジタル化担当大臣が、州政府で働く約3万人の職員が使用するパソコンからMicrosoft製ソフトウェアを段階的に無くして、Linuxやオープンソースソフトウェアへ完全に移行すると発表したのです。

その計画では、WordやExcelは無料のオフィスソフト「LibreOffice」へ、OutlookやExchange(メールサーバー)は「Thunderbird」や「Open-Xchange」へ移行し、最終的には、OSであるWindowsをLinuxに入れ替えるとしています。

そして、北欧のデジタル先進国デンマークでも、政府がMicrosoft OfficeからLibreOfficeへの移行を発表しましたが、この背景にはデンマークの主要都市コペンハーゲンがすでにMicrosoft製品からの脱却を進めていたという実績があります。

また、フランスのリヨン市も、WindowsとOfficeからLinuxやオープンソースに移行する計画を発表していますので、この潮流はもはや個別の自治体の判断というよりはヨーロッパ全体に共通する大きな意志の表れなのかもしれません。

「さよならWindows」その理由とは

なぜ彼らは慣れ親しんだマイクロソフト製品を捨ててまで、未知の領域へ踏み出そうとしているのでしょうか。最も大きな理由が「自分たちのデータは自分たちで守る」という「デジタル主権」の考え方です。

「デジタル主権」というと難しそうに聞こえますが、要は「自分たちのデジタルインフラや大切なデータは、自分たちでしっかり管理・コントロールしたい」とする根源的な思いです。

ヨーロッパの国々が特に懸念しているのは、アメリカの巨大テック企業への過度な依存です。例えば、アメリカには「CLOUD Act(クラウド法)」という法律があり、アメリカの法執行機関は、たとえデータが国外(例えばヨーロッパ)のサーバーに保存されていても、米国企業に対してそのデータの提出を要求することができます。

つまり、EUのルール「GDPR(EU一般データ保護規則)」などに基づいて厳重に管理しているはずの住民データが、アメリカの法律や政治的な都合でアクセスされてしまうリスクがあるわけです。

実際に、過去には米国の制裁措置を受けて、マイクロソフトが国際刑事裁判所(ICC)の検察官のメールアカウントを一時的にロックしたとされる疑惑が報じられたことがあります。

事の真偽はともかく、「外国政府の意向で自分たちの行政サービスが麻痺してしまうかもしれない」という不安は、彼らにとって現実的な脅威なのです。

「エネルギーへの依存が危険なように、デジタル依存もまた危険なのだ」というシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の大臣の言葉は、まさに彼らの危機感を象徴しているのではないでしょうか。

そして、次に目指しているのは、予測不能な運用コスト増大からの脱却です。プロプライエタリ(企業が独占的に権利を持つ)ソフトウェアはライセンス料が発生しますが、その費用は提供する企業側の都合で変動するのです。

現に、デンマークのコペンハーゲン市では、マイクロソフト製ソフトウェアに支払う費用がわずか5年間で72%も急増したという報告もあります。また、Windows 10から11への移行のように、大型アップデートで追加コストが発生する可能性も常につきまとっています。

オープンソースソフトウェアは、基本的にライセンス料が無料です。これにより、数千万ユーロ(数十億円規模)の節約が見込めるとシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州は試算していますが、この節減した経費を他の住民サービスに投入できるのなら、これに勝るものはありません。

また、オープンソースの特徴の一つに「透明性」がありますが、ソースコード(プログラムの設計図)が公開されているため、誰でもその中身を検証することが可能なところが最大の魅力になっています。

「見えないところで何をしているかわからない」「バックドア(秘密の侵入口)が仕掛けられているかもしれない」などの疑念を抱く必要がないことは、住民の機密情報を扱う公共機関にとって非常に重要なポイントになります。

また、特定の企業の製品やサービスに囲い込まれて、そこから抜け出せなくなる「ベンダーロックイン」状態を避けられることも大きなメリットではないでしょうか。

企業の方針転換やサービス終了に振り回されることなく、自分たちの手でシステムを維持し、自由にカスタマイズしていく環境の構築が可能になるのです。

オープンソースへの移行とそのリスク

ここで、忘れてはならない事例があります。ドイツのミュンヘン市では、今回の動きに先駆けること約10年前の2004年、「LiMux」というプロジェクト名で大規模なLinuxへの移行に挑戦しました。しかし、結果としてLinuxを10年以上使った後、もう一度Windowsに戻るという決断をしたのです。

この「失敗」と呼ばれる10年に亘る貴重な経験は、オープンソース移行の難しさを示す例として挙げられますが、職員の不満や互換性の問題、そしてマイクロソフト本社を誘致したいという、ミュンヘン市の政治的な思惑などが絡み合った結果ではないかといわれています。

また、ミュンヘン市も完全にオープンソースへの移行を断念したのではなく、今でも多くの場面でLibreOfficeなどを活用していることも知っておくべき事実です。

そして、もちろん失敗例だけでなく、輝かしい成功例もあります。その代表格が、フランスの国家憲兵隊(Gendarmerie Nationale)の事例です。

彼らは、10年以上も前からLinuxへの移行を進め、2024年6月の時点では、実に10万台以上のパソコンで「GendBuntu」というカスタマイズされた「Ubuntu(Linux)の長期サポート版ディストリビューション」が稼働しています。

具体のソフトウェアでは、オフィススイートをMicrosoftから「OpenOffice」に、デフォルトブラウザを「Internet Explorer」から「Firefox」に、さらに電子メールは「Thunderbird」を採用しています。

この事例は、世界でも最大規模の成功事例の一つと語られていますが、フランス国家憲兵隊の取り組みから学べるポイントは何でしょうか。

「特定ベンダーへの依存からの脱却」という明確な目的意識があったこと、そして、一気に全てのシステムを入れ替えるのではなく、長期間に亘って計画的に移行と改善を続けた、段階的かつ継続的な取り組みにあると思われます。

「GendBuntu」という自分たちの業務に特化したOSを開発し、現在もアクティブにアップデートを継続していることも称賛に値しますが、欧州諸国における現状の「脱マイクロソフト」の潮流は、これらの成功と失敗の教訓の上に成り立っているのです。

「デジタル主権」時代の幕開け

ヨーロッパ諸国におけるオープンソースソフトウェアの台頭は、私たち日本の行政機関や企業、そして個人にとっても決して無関係ではありません。

日本の行政機関や多くの企業も特定の巨大テック企業にITインフラを大きく依存している状況は同じで、「デジタル主権」や「ベンダーロックイン」の問題は日本にとっても潜在的なリスクではないでしょうか。

実は日本でもオープンソースを活用する動きがあり、東京都の新型コロナウイルス感染症対策サイトはオープンソースとして開発され他の自治体で活用されるなど、成果を上げましたが、この事例は行政分野でオープンソースソフトウェアを活用することの可能性を示した好例ではないでしょうか。

また、私たち個人レベルでも、無料でありながら高機能なLibreOfficeを試してみることや、古いパソコンに動作の軽いLinuxを入れて復活させることなど、そんな小さな一歩が、テクノロジーとの新しい付き合い方を発見するきっかけになるかもしれません。

ヨーロッパで起きている「脱マイクロソフト」の動きは、単なるOSやソフトウェアの移行ではありません。それは「自分達の未来は、自分達で決める」という「デジタル主権」時代の幕開けを告げる「鬨の声(ときのこえ)」ではないでしょうか。

我々はこの歴史的な転換点の証人として、この壮大な挑戦がどのような未来を描き出すのか、その行方を見守りながら、自分たちのデジタル環境についてもう一度「熟考」するよい機会なのかもしれません。

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