オーバーツーリズムのその先にあるもの
~サステナブルツーリズムという希望の光~

変容と混沌の時代に情報化戦略を考える [第6回]
2025年6月

執筆者:NPO法人 地域情報化推進機構 副理事長
ITエバンジェリスト/公共システムアドバイザー
野村 靖仁(のむら やすひと)氏

日本政府観光局(JNTO)の公表によると、2024年のインバウンド(訪日外国人旅行者)は前年比47.1%増の3,686万9,900人に到達し、コロナ禍前の2019年の年間3,188万人を超えて過去最高となりました。

そして、年間の訪日外国人旅行消費額も、旅行者数の増加に加え、円安などを背景に一人あたりの旅行支出が増加し、過去最高の8兆1,395億円を記録しています。

しかしその一方で、特定の観光地では、観光客の急激な増加が地域住民の生活や自然環境、景観などに対して負の影響を与える「オーバーツーリズム」と呼ばれる現象が問題視されています。

特定の地域や時間帯に観光客が過度に集中することで、交通インフラの麻痺、ゴミ処理能力の限界、文化財や自然環境への負荷増大、住民生活への悪影響などの弊害が生じます。これらの問題は有名観光地だけでなく、他の多くの地域にとっても切実な課題となっています。

現状のまま対策を講じなければ、地域が誇る観光資源、文化財や自然環境は回復不能なダメージを受け、住民の不満は蓄積し、結果として観光客自身の満足度を著しく低下させるなど、負のスパイラルに陥る危険性をはらんでいます。

問われているのは「受け入れ能力」の限界

「オーバーツーリズム」の本質は、単純にインバウンド観光客の「個数」が多いことが原因ではありません。より本質的な問題は、その地域が持つ物理的・社会的な許容量である「受け入れ能力(キャパシティ)」を超えてしまう点にあります。

道路や公共交通機関、宿泊施設、トイレなどの物理的なインフラの限界はもちろんのこと、自然環境が持つ自己回復力、地域固有の文化や景観の感受性、そして心理的・感情的に住民が許容可能な、ソフト面における「キャパシティ」の飽和が様々な軋轢を生み出していると思われます。

これまでの観光政策では、しばしば「交流人口の拡大」「インバウンド誘致目標〇〇万人」などのスローガンが叫ばれ、「いかに多くの観光客を呼び込むか」という「数量」の追求に重点が置かれてきました。

経済効果を最大化するためには、それも一つの有効な手段であったことは理解できますが、「オーバーツーリズム」という「成長の痛み」を経験している今、私たちは観光に対する基本的な考え方、すなわちパラダイムそのものを転換する必要に迫られているのではないでしょうか。

それは、「量」の最大化から「質」の最適化へ、そして何よりも「持続可能性」をあらゆる施策の根幹に据えるという、未来志向へ向けた政策のシフトチェンジにあると思われます。

「サステナブルツーリズム」という希望の光

この大きな転換期において、私たちが進むべき方向を示す新たな指針となるのが「サステナブルツーリズム(持続可能な観光)」という理念です。これは、国連世界観光機関(UNWTO)が提唱するように、「訪問客、産業、環境、受け入れ地域の需要に適合しつつ、現在と将来の経済的、社会的、環境的影響に配慮した観光」を目指す考え方です。

端的にいえば、3つの側面「環境」「経済」「社会文化」の健全なバランスを常に意識し、互いに良い影響を与え合いながら、観光という営みを未来永劫にわたって続けていくためのアプローチです。

まずは、観光地の生命線である美しい自然景観、貴重な生態系、清浄な水や空気を守り、資源(エネルギー、水など)の効率的な利用、廃棄物の削減、CO2排出量の抑制など、気候変動対策にも貢献する「環境の保全」が重要になります。

つぎに、観光がもたらす経済的な恩恵が一部の大資本だけでなく、地域社会全体、特に地元の中小企業や個人事業主、住民に公平に分配され、地域経済が内発的に循環・発展していく「経済の持続性」を確保する仕組みの構築が必要になります。

そして、何よりもそこに住む人々の暮らしや価値観を尊重しながら、異文化理解の促進を図り、観光客と住民との良好な関係の構築に向けて、「社会文化の尊重」に基づく課題解決に繋げる観点を持つことが肝要ではないでしょうか。

データとテクノロジーの戦略的活用

具体事例としては、旅行費用が割安になる平日や、オフシーズンの観光を促進するための限定イベント開催などの特別な体験や、割引を組み合わせた魅力的なプロモーション展開が考えられます。

「早朝の静寂を楽しむ禅体験」「地元ガイドと巡る夜の街歩き」「満天の星空の下での特別なディナー」など、混雑時間帯を避けた時間帯だからこそ提供可能な、付加価値の高い体験プログラムの開発など、時間的分散の巧みな誘導戦略も有効ではないでしょうか。

また、有名観光スポットではなく、隠れた名店、美しい里山風景、ユニークな文化体験、地元の人々との交流など、まだ注目されていない、地域に眠る「お宝」を発掘し、テーマ性を持たせた周遊ルートとして提案するストーリー的な施策展開も必要です。

そして、新たな観光スポットへの移動には、AIを活用した最適なルート提案により、カーシェアリング、デマンド型交通、レンタサイクルを活用したシームレスで環境負荷の少ない移動手段を提供することで、空間的分散による魅力の再発見が可能になります。

今後は、需要と供給に応じて価格を変動させる「ダイナミックプライシング」の導入によって需要の平準化を図ることや、繁忙期は高く、閑散期は低廉な価格を設定することで、オーバーツーリズムを抑制しつつ、年間を通じた安定的な誘客を目指す「責任ある観光」を育む文化の醸成も必要ではないでしょうか。

地域のルールやマナー、文化、環境への配慮事項などを一方的な「禁止事項」として伝えるのではなく、ICTの利活用によってその背景にあるストーリーや地域住民の想いを伝え、共感を促す形で、かつ魅力的に発信することで、訪問者自身が「責任ある観光客」として行動したくなるような働きかけを行うことも重要です。

新たな観光施策の展開に向けては、スマートフォンの位置情報から得られる人流データ、SNS上の発言や、宿泊・交通機関の予約データなどを複合的に分析し、観光客の具体的動態、関心の対象、消費傾向、混雑の発生状況を客観的に把握するリアルタイムデータに基づく的確な判断も必要になります。

これらの分析結果に基づくことで、交通誘導策の最適化、効果的なプロモーション戦略の立案、新たな観光コンテンツの開発、受け入れ体制の改善など、データドリブンな政策の策定に繋がると思われます。

未来への投資としての「サステナブルツーリズム」

ここで挙げたような取り組みは、短期的に見れば、関係各所との複雑な調整や新たなシステム導入のための初期投資が必要となり、従来からある施策よりも手間やコストが掛かるように感じられるかもしれません。

しかし、これらは決して単なる「コスト」ではなく、地域の未来を持続可能で豊かなものにするための、極めて重要かつ効果的な未来への投資なのです。

「サステナブルツーリズム」を着実に推進していくことで、目先の利益だけを追うのではなく、長期的な視点に立った時、既存の価値観では計り知れない新たな地域創生モデルが誕生するのではないでしょうか。

例えば、地域文化や自然環境を重要視することで、質の高い旅行体験を求める高付加価値顧客をターゲットにすることができます。これにより、先進的な地域としての高い評価を得て、価格競争から脱却した独自の地域ブランドを確立することが可能になります。

そして、自分たちの住む地域が、その固有の価値を内外から認められ、大切にされながら持続的に発展していく姿を発信することで、住民の地域に対する誇りと愛着が深まり、地域活動への参加意欲が高まるなど、「シビックプライド(住民の誇りと愛着)」の醸成に繋がると思われます。

気候変動に伴う自然災害リスクの増大や、新たな感染症などパンデミックの発生、経済情勢の変化など、将来予測が困難な危機や外部環境の変化に対して、柔軟に適応し速やかに回復する強靭な地域社会を構築することで、「レジリエンス(変化にしなやかに対応する能力)」の強化が可能になります。

観光を単なる「集客装置」と捉えるのではなく、地域資源の活用や新たな価値創造のプラットフォームとして再認識することで、多様な産業(ICT、農業、漁業、製造業など)との連携による新たなビジネスモデルの創生にも繋がるのではないでしょうか。

未来志向の観光政策へ向かって

「サステナブルツーリズム」は、「オーバーツーリズム」への対症療法的な「対策」に留まるものではありません。むしろ、地域の持つ潜在的な魅力を再発見し、磨き上げて、より質の高い心に残る観光体験を提供することで、地域全体の価値とブランド力を高めていくための積極的かつ創造的な「戦略」そのものなのです。

目指すべき本来の姿は、地域を訪れる全ての人々に忘れられない感動と深い満足を提供し、地域経済を持続的に潤すことです。そして何よりも、地域に暮らす住民一人ひとりが心からの笑顔と誇りを持って豊かに暮らし続けられる地域を確立することではないでしょうか。

「サステナブルツーリズム」への舵取りは、決して平坦な道のりではありません。多様なステークホルダーとの粘り強い対話と合意形成、既存の慣習や制度の見直し、そして時には痛みを伴う勇気ある決断も必要になると思われます。

「オーバーツーリズム」という課題は、我々が現状の観光のあり方を根本から見つめ直し、より人間的で、より地球環境に優しく、そしてより地域に貢献する、真に持続可能な社会の構築に向けて飛翔するための「試練」なのかもしれません。

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