井伊家と言えば、多くの皆さんのご認識は、滋賀県の、あの国宝・彦根城の井伊家だろうし、井伊家の有名人と云ったら、幕末に日米和親条約をまとめ、それがもとで桜田門外で殺された大老・井伊直弼をお挙げになるだろう。
しかし、皆さん。2017年のNHK大河ドラマの井伊は、その「彦根の井伊」ではない。「遠州・浜松」の井伊である。主人公は「直虎」であって「直弼」ではない。この直虎は遠州・井伊谷城の城主である。井伊家を相続した城主だが、男じゃない。事情あって男に「なった」女性であり、しかも、この「遠州井伊」の「女城主」は、「彦根井伊」の初代、井伊直政の養母である・・・・・・!!
いっぱい、ありすぎて、一度聞いただけでは、何が何だかさっぱりわからない。だから、ここで、いったん、整理してみる。
浜名湖の北のあたりは、かつては「井の国」と呼ばれていた。清らかな水が流れる国、といった意味であるが、「イ」と云う「一音」だけでは聞き取りにくいから「イイ」と、「二音」で発声するようになり、それに「井伊」という漢字を充てたといわれている。井伊家の家譜は、自分たちは平安時代以来の家系と伝えている。彼らの住む土地は「井伊谷」と呼ばれ、井伊家に伝わる古い文書によれば、その井伊谷の井戸辺で生まれたのが、井伊家の始祖・共保で、彼には「水の化生」伝説がある。
その遠州・井伊家の第20代当主(井伊谷城主)に、直平と云う人物がいる。いや、この「直平」だけではない。「井伊家」には「直」の付く名前が、やたら多いから、これからこの小文を読み進まれる過程での混乱を避ける意味で、登場人物と、今日の主人公「直虎」との関係と名前を、まず列記しておく。
井伊家歴代の20代当主・直平の嫡孫が直盛で、その娘が、今回の主人公・直虎である。直虎は、のちに家督を相続して井伊谷城の城主になった時、世間から女性と思われないためにつけた男名。その経緯は後述するが、要するに、女性に生まれながら、一時期、男として生きた。それまでは単に「女子」としか記されず、仏門に入ってからは、「次郎法師」と名乗っていたから、「直虎」と呼ぶのは、随分、あとの事だが、わかりやすさを優先して、本稿では彼女のことを、始めから通して、直虎と書く。
さて、遠州・井伊家直系の直虎の父の直盛には男の子がいなかった。直盛は従弟の直親を娘・直虎の婚約者にして、その時期が来たら、井伊家を継がせようとした。直親9歳の時であった(直虎は女子だからか、生年不詳。直親より二つほど年上、らしい)。
しかし、井伊家の主家筋・今川家の中での権力抗争に、この縁組に不服な井伊家の一部の家臣を巻き込んだ「内紛」で、彼らが直親の父・直満に関する讒言をした結果、彼らの思惑は当たって、直満は、主家・今川義元の逆鱗に触れ、自死に追い込まれる。
その直満の実子、直親にも敵の手は及ぶかもと、直盛は、叔父・南渓瑞聞(井伊家の菩提寺・龍譚寺の和尚。直平の二男とも三男とも、養子ともいわれる)らと語らって、直親を信州に逃がすのだった。この信州での亡命生活は、その後10年ほど続くのだが、婚約者・直虎には、直親の身の安全のためにと、亡命場所はもちろん、その生死すら、一切、知らされなかった。