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【歴史編】「渋沢栄一/第2回」 元NHKアナウンサー 松平定知 歴史を知り経営を知る

元NHKアナウンサー 京都造形芸術大学教授 松平定知 連載 「渋沢栄一/第2回」編

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さて、従兄と言えば、もう一人、これは惇忠とは別の親戚ですが、栄一の2歳年上の喜作(成一郎)がいます。彼は「東の家」の当主・宗助がすぐ下の弟・文左衛門の分家を許した結果できた「新屋敷」と呼ばれる家の長男です。年齢的にも、格好の遊び相手。彼らは、少年時代、例えば近くの諏訪神社のお祭りの際には、獅子舞を一緒になって踊り興じました。「獅子舞好き」は少年時代だけではありません。栄一少年が、のちに日本資本主義の父と言われるほどの人物になっても、年に一度のこの諏訪神社の獅子舞祭りの時は、日程をなんとかやりくりして必ずここを訪れました。喜作・栄一は、共に遊び、学び、議論をし、行動も共にした大親友でした。こうした、父母の愛や二人の従兄をはじめ親戚の愛も一身に受けながら、家業に、学問に、闊達な少年時代を送っていた栄一は、17歳の時、世の中の仕組みに深い疑問を持つ体験をします。

或る日、栄一は土地の岡部藩の代官から急な呼び出しを受けます。栄一は、病床にあった父の名代として、その代官屋敷に赴きました。その時、栄一はその役人から理不尽な「命令」を受けます。いきなり「金500両、申し付ける」と厳命されたのです。栄一は「自分たちは、年貢をきちんと収めているし、毎日まじめに働いている。それなのに、巨額の出金を、いきなり、無理やり、説明もなしに命じるとは!」栄一は怒りを抑えてこう言います。「私は今日は父の名代として出席しているため、即答は出来かねます。帰宅して、父の指示を受けた上で、お答え致します」。これを聞いてその代官は激高。「17歳の小童めが」といったところでしょうか。でも、どう考えても、借り手が貸し手に対して居丈高になって「命令する」のはおかしいだろうと栄一は思います。

結局この件は、父が500両を出して決着するのですが、栄一には深い憤りが残りました。「この代官のような、その地位にふんぞり返って威嚇するだけの男が何を言ってもお咎めなしという世の中は変えねばならない」と栄一は思いました。彼の著書「論語と算盤」には、この時、栄一は、「自分は断然、武士になる。武士になってこの国をよくしたい」と決意したとあります。さらに、栄一はこういう思いをさせる現下の「士農工商」という身分制度に胡坐をかく「幕府の政治」がよくないのだと、だんだん「反幕」の立場に傾いていきます。

この頃、日本は、日米修好通商条約を巡って、天下の統治者である王室を尊崇し、異民族を打ち払うという尊王攘夷思想が高まりを見せていました。その政治論に最も影響を与えた「水戸学」に傾倒していたのが栄一の学問の師、前出の尾高惇忠でした。彼らと一緒になって、日夜、国政を憂え、時勢を論じる栄一の行く末を案じた父・市郎右衛門は、世帯でも持てば栄一の反幕熱も少しは衰えるかと、栄一の師・尾高惇忠の妹・千代を嫁に迎えます。が、それはソレこれはコレで、栄一の「反幕に滾る志」が萎えることはありませんでした。

結婚の3年後、栄一は江戸に出て北辰一刀流の千葉道場にも出入りし、思想に共鳴する志士たちを味方に引き入れる活動を行っていました。やがて帰郷した栄一は師・尾高惇忠らと、攘夷実行計画を進めるのです。高崎城を乗っ取って、横浜の外国人居留地を焼き討ちする、という計画。それは、相当、練りに練ったものでした。しかし、当時の情勢判断のため京に上って情報収集をした惇忠の実弟・長七郎の帰郷報告を聞き、大激論の末、「今はその時期ではない」と、結局は惇忠の裁断で、この計画は取りやめになりました。

しかし、蹶起はせずとも、そのための武器準備罪などで関八州周りの役人に咎められ、その累が父母や妻や親戚に及ぶことをおそれた栄一は、故郷、血洗島を出ます。いつも一緒の、従兄の喜作も同行します。栄一24歳、喜作26歳の時でした。目指すは攘夷運動の中心地・京都ですが、二人はこの時、水戸経由江戸経由で京都を目指します。水戸行は尊王攘夷思想の中心拠点の水戸の同志と旧交を温め、攘夷の決意を再確認するため。江戸経由は、栄一がある人物を訪ね、あるものを手に入れるためでした。訪ねた人物の名は、平岡円四郎。水戸藩主・徳川斉昭の7男、将軍後継職の一橋慶喜の側近です。何をしに、態々、彼の家を栄一は尋ねたのか。この平岡円四郎なる人物との交流が、その後の栄一の人生に大いに影響するのですが、この続きは、次号に。

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元NHKアナウンサー 京都造形芸術大学教授
松平定知

1944年東京生まれ。69年早大卒。同年、NHK入局。「連想ゲーム」や「日本語再発見」を経て、ニュース畑を15年。「ラジオ深夜便 藤沢周平作品朗読」を9年。「その時歴史が動いた」を9年。「NHKスペシャル」は100本以上。2010年、放送文化基金賞を受賞。元・理事待遇アナウンサー。