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【歴史編】「三好長慶/前編」 元NHKアナウンサー 松平定知 歴史を知り経営を知る

元NHKアナウンサー 京都造形芸術大学教授 松平定知 連載 「三好長慶/前編」編

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父の非業の死を受けて三好家を継いだのはこの、嫡男・長慶だったが、その父の死後に仕えた彼の主君は、なんと、父を死に追いやった張本人・細川晴元だった。あの時代、あの地域でそれは選択の余地のない、宿命ともいうべきもの、だった。晴元、長慶。共に、お互いの胸の中には強烈な「思い」が交錯したことだろう。しかし、「そういう主従関係」の中で、先に手を差し伸べたのは、年下の長慶の方だった。長慶の父を死に追いやるため晴元が起こさせた一向一揆は、その晴元をもってしても抑えきれな勢いに拡大していく。一揆の火付け役の細川晴元当人が、それを抑えることができないという、晴元にしてみれば、相当みっともない経過になってしまった。そしてこの騒動は、やがて、享禄・天文の乱に広がっていく。ここで登板したのが長慶だった。

父の死の翌年、三好家を継いで2年目、長慶は、晴元と本願寺との和睦に立ち上り、それを成功させたのだが、その時、長慶はなんと12歳だった。もちろん長慶を支える「大人たち」は存在したが、それでも、この「乱」は長慶が「おさめた」。晴元は長慶の働きに大いに感謝をしたことは言うまでもない。しかし、長慶にしてみれば、晴元は父の仇、晴元も長慶の父・元長を殺したのは自分であることから逃れられない。双方のこの『蟠り』は、特に長慶にこれまでとは異質の主従関係の感覚を産ませた。平たく言えば、主君を主君とも思わない、場合によっては主君排除も可、という考え方、つまり「下剋上」の精神構造である。しかし、こういう「感覚」は長慶のみならず、晴元、義輝、義維といった当時の為政者に共通する感覚であった。彼らと長慶は、一体何回、離合集散を繰り返したことだろう。

父の仇・晴元は、最後は幽閉されていた寺で死んでいくが、彼らをみんな駆逐した後、長慶は息子の急死に遭って、何かがぽっきり折れたかのように、心身ともに体調を崩してしまう。やがて、側近の武将・松永久秀の讒言にのって弟の安宅冬康を殺してしまい、それがもとで長慶の身心の病は進む。長慶は『武』だけでなく、極めて優れた教養人でもあった。彼のそうした「心身の病」は、このことと無関係ではないかもしれない。結局、長慶は43歳の若さで病死するが、あの時代のそういう「混沌としたいきさつ」は、コアな歴史ファンや地元の好事家以外の「一般人」には、一回、聞いたり読んだりしただけでは、到底整理しきれない。大体、名前からしてそうだ。長慶は、父・元長の「長」の字を貰って、初名が利長、そのあと範長、やがて長慶と、同じ「長」の字を3度使う。また、彼の兄弟は、何と『姓』が違うのだ。三好実休、十河一存、安宅冬康。これはみんな、血を分けた兄弟たちである。まあ、こうした兄弟別姓も、毛利、吉川、小早川という、毛利三兄弟の例もあるけれど、いずれにせよ、「分かりにくさ」は否めない。当時、世の中は混沌としていたが、三好家も同じく、だったのだろう。

その人物の人気は「わかりやすさ」に比例するものだから、長慶を巡る複雑な人間模様を解き明かそうと、彼を取り巻く社会状況全体を頭に叩き込もうとトライすることは、「一般人」にとっては相当に高いハードルになってくる。そして、案外、こんなことが、長慶のような極めて高い才能を持った人物でありながら、そして事実、信長よりはるかに早く「日本一」の武将の座を射止めてた人物なのにも関わらず、その実績に見合うほどの「認められ方」を、いま、世間から受けていない最大因の様に私には思えるのである。

それにしても、長慶が今のような立ち位置で歴史の中に存在するのは、いかにも勿体ない。彼が極めて優れた教養人だったことは先に述べた。

泰然・端然と座る長慶の「正座」の姿は、かの細川幽斎や松永貞徳が模範にしていたという。長慶は万葉や古今の歌を幾つも諳んじていたし、連歌の技も、万人が認める「優れもの」だった。つまり、当代超一流の文化人であった。

そして、長慶のそうした教養人としての側面が、あの乱世にあって、「非情に徹しきれない優しさ」を醸し出したのだと指摘する向きがある。そしてそれは、何が何でも成り上がってやるぜという「覇気」の欠如と、無関係ではない、と。

物事に寛大に過ぎたことが、いざという時での決断力に欠ける甘い武将としての評判につながり、結果として下剋上されてしまった凡庸な君主という評価につながっていくとするならば、それは極めて残念なことである。

私は、「寛大な教養人」の三好長慶が好きだ。

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元NHKアナウンサー 京都造形芸術大学教授
松平定知

1944年東京生まれ。69年早大卒。同年、NHK入局。「連想ゲーム」や「日本語再発見」を経て、ニュース畑を15年。「ラジオ深夜便 藤沢周平作品朗読」を9年。「その時歴史が動いた」を9年。「NHKスペシャル」は100本以上。2010年、放送文化基金賞を受賞。元・理事待遇アナウンサー。