先日、友人たちと鳥取の岩ガキを食べに行き、いくつかの図書館見学をしてきました。
今回訪問した市町立図書館の特徴は、県立図書館からのサービスやアドバイスなどを素直に受けいれて、素晴らしい利用者サービスを展開していることです。棚の配置や案内は県立図書館を見習って、どこの図書館もとても見やすいものでした。外国語図書コーナーにはロシア語があったのも共通しています。普段目にする地図ではなくて、日本海を中心にすると、確かにロシアは隣国なのです。市や町では揃えることが難しい専門書は県立図書館から貸出されます。高額で市町村立図書館が購入しにくい大型活字本は、長期的な貸出も行っています。ジュニア司書の講座も県が市町村立図書館と一緒に実施できるように企画しています。人口60万に満たない鳥取県ならではの、決して押しつけではない普及活動の創意工夫がありました。それでいて、市や町の図書館では地域にあった独自性もちゃんと出しています。県立図書館と市町立図書館の素晴らしいハーモニーをお伝えします。
利用者に寄り添ったサインが分かりやすく、すみずみまで工夫がありました。ビジネス支援の一環である、「図書館で夢を実現しました大賞」のポスターコーナーでは、最優秀賞を受賞した「セブンハンドル」のマンガが目に飛び込んできました。雪国では雪かきは重労働です。スコップに“7”の形をした取っ手を取り付けることで肩や腰の負担を減らしすことで、ギックリ腰などにならないように工夫された道具です。発明って、ほんのちょっとの気遣いや心遣いなんだなあと感心!ほかにもビジネス支援は充実していて、官報情報検索サービス、日本海新聞記事検索サービス、市場情報ナビMieNa(特定地域の商圏分析が可能)のデータベースを無料で使えます。
山上憶良が国司として伯耆の国(ほうきのくに 今の鳥取県中部・西部)に5年赴任していたことがあり、平成24年からは「山上憶良短歌賞」の作品募集も始まっています。棚の裏側にあった「短歌創作のお役立ちコーナーは裏側にあります」と書かれた表示には、微笑ましいものがありました。
鳥取県の地元紙、日本海新聞社が発行するタウン誌「ウサギの耳」東部版も置いてあって、図書館が情報の収集場所であることを意識されています。
案内にも工夫がありました。「元気!はつらつ!コーナー」という名称は、「シニアコーナー」よりポジティブになれます。子どもたちへの支援も、「おでかけおはなし隊」や「出前図書館」などユニークな名前のサービスがありました。
YAコーナーでは、真っ赤なYAポストや進学・就職支援コーナーの体系だった見出しが目を引きました。目にしたYA編集者募集のポスターのことをお聞きしました。中学生・高校生のボランティアを募集し、年に4回、中高生向けの図書館ニュースの編集をするための募集だそうです。ニュースのテーマも自分たちで考えて、郷土出身の作家や有名人にメールで質問やインタビューもします。図書館が仲介してのことですが、直接会って生のインタビューをすることもあります。「倉吉のYAをみてきて!」と、言われた理由がわかりました。
余談ですが、倉吉市内でB級グルメの牛骨ラーメンもいただきました。なんでも戦後満州からの引揚者が持ち帰ったものだとか。この地域では、ラーメンは牛骨が一般的なんだそうです。これも地域文化ですね。
北栄町はマンガ「名探偵コナン」の作者・青山剛昌氏の出身地ということで、コナンを題材としたまちづくりを進めています。外国語の名探偵コナンのマンガを揃えている他、貴重なセル原画や色紙などの展示コーナーも開設しています。公用車はコナンのラッピングカー!利用者の掘り起こしを兼ねた読書手帳にもコナンのイラスト!コナン好きにはたまらない図書館です。
館内で最初に目に飛び込んできたのは、地元の書道家が書かれた棚の案内。とても新鮮でした。
平成28年に柳田邦男氏の講演会を開催したのがきっかけで、「今こそ絵本を!」推進事業と銘打って、子どもから大人まで絵本の読み聞かせ活動が活発に行われています。町長が小学校に出向いて読み聞かせをしたり、町長おすすめ絵本コーナーもあるのです。私たちも茂木町で柳田氏の講演を聴いたことがあるので、とても納得しました(柳田邦男氏講演会の様子は、第41回のコラム(注3)で報告しました)。おなかの赤ちゃんにも絵本を読み聴かせてあげようと、「マタニティファーストブック」も始めています。
「大栄スイカ」は北栄町が産地。図書館に、農業や食生活に関する情報をまとめた「ルーラル電子図書館」というデータベースを導入しています。
いつまでも健康で若々しく、人生をイキイキと楽しむための資料を集め、図書館が居場所になれるようにと始めた「百歳文庫」は北栄町が発祥の地です。生涯学習出前講座の一環で、図書館が自治体へ出向く「あたまイキイキ音読教室」も実施しています。名前の発想がユニークですね。
妻由館長は、25年間一度も図書館を離れたことがありません。そのことをどう思われているか、意地悪な質問もしてみました。幸い町長をはじめ上司や職場の仲間に恵まれたから何とかやってこれたけど、やはり事務処理は苦手とか。一度は図書館を離れたほうがよかったかもと、本音を話してくれました。今、北栄町は県と人事交流をしていて、係長は県から派遣された方でした。代わりに町のホープが県立図書館で仕事をしています。双方の連携の良さは、介する人がいればこそと感じました。
米子市立図書館は、鳥取県立米子図書館から市立図書館に平成2年に移管された図書館です。ちょっとびっくりしましたが、移管は、県立図書館では珍しくない話なんだそうです。運営は市の直営で、館長ともう一人は市の職員、一部文化財団による委託業務です。学校支援は平成13年から行ない、市の公用車で図書館の本も一緒に配送していたというから歴史があります。平成25年にリニューアルオープンした図書館は、利用者が来たらすぐに対応できるように、職員の動線を考慮してカウンターと事務室を一体化するなど、利用者に寄り添った工夫がすみずみにありました。
棚はNDC分類だけに頼らず、利用者の使い勝手を優先したテーマ配架の融合です。ビジネス支援コーナーや法律情報コーナー、健康情報コーナーのほかに、ハートフルコーナーでは、鳥取県ライトハウスが点字に協力し、司書も点字を学んでいます。
市民の読書活動と生涯学習支援のコーナーには、市長から「教養書をPRしては」とのアドバイスを受け、館長の発案でできた「大人のための100選」が光っていました。ベテラン司書が作成した大人のための100選リストの解説は、ホームページにもアップされています。
子どもの支援も充実しています。図書館には、学校から毎日たくさんのリクエストが寄せられます。その中でも、とくに希望の多いテーマについてはブックリストを作成しています。子ども用のふるさとガイドブックや年に数回発行する「ふるさと米子探検隊」は読み応えある郷土資料です。全てWeb上にも公開されています。Web上のビジネス支援リンク集も充実しています。
特設文庫には、「たたら文庫」をはじめ、地域の遺族や研究者から寄贈された郷里に関する資料があり、郷土を学ぶうえで大きな力を発揮します。
戦前・戦後から保存されているぼろぼろになった山陰日日新聞は、特殊加工して保存されていました。 これも貴重な郷土資料です。山陰日日新聞など古い郷土の新聞のデータは、マイクロフィルム資料で見ることができます。
図書購入費には、ふるさと納税が活用されていて、図書館への行政の理解を感じました。
図書館入口のパスファインダーの数は、以前伺った時よりずっと増えていました。その横には、鳥取県統計課による「鳥取県の賃金、労働時間などの動き」のグラフが大きく表示されていました。入口にこんなディスプレイ、見たことありません。人口の少ない鳥取県が、県立図書館をはじめ市町村の図書館でビジネス支援に力を注ぐのには、それなりの理由があるのです。鳥取県の覚悟を感じました。
棚の配置は、例えば、就労支援のコーナーであれば、どんな仕事があるの?→それには、どんな資格が必要?→その資格を取得するための学校は?など、システマティックに計算され、系統的に配置されていて、利用者に分かり易い見出しが表示されています。そして、これらの棚表示は、市町村の図書館にも、独自性を生かしながら浸透しています。この計算された背景にあるのは何かと考えていたら、“教育的視点”にたどり着きました。
高額な資料も必要であれば購入し、惜しみなく貸出します。市場調査の報告書なども必要であれば貸出します。学校も市町村図書館も全面的に支援します。児童書は一部を除き全てを購入し、市町村の図書館がいつでも現物が見られるように配慮しています。手話の勉強会のお知らせもさりげなく事務室に張られていて、強制ではないけれど自主的に必要な学びも忘れない環境がありました。そして、東日本大震災の被災地の新聞を今も取り続け、倉吉市、米子市にも送付して、全県をカバーする配慮もありました。
そんな県立図書館にも「百歳文庫」がありました。百歳文庫は北栄町が名付け親。良いものはプライドを捨てて、ちゃちゃっと真似る寛大さがまた信頼につながっていきます。
訪問中に北栄町立図書館で、東京都が発行する「東京くらし防災」が目に止まりました。女性版があることを伝えると、購入したいとのこと。後日、この話を県立図書館の小林課長にしたところ、女性版「東京くらし防災」を県下の全ての市町村立図書館に配布したいと直ぐに申し出がありました。いつも県全体の視点で動く県立図書館と、そんな県立図書館に絶対的信頼をおきながらも地元の文化を守り独自性を追求する市町村立図書館。
食べ物を貯蔵する技術の無かった縄文時代、人々は狩猟や採集で得た食べ物を分け隔てなく食べていて、人の階級はなかったといいます。縄文時代のように、人は窮極に置かれるほど、やさしくなれるのかもしれません。