山重壮一氏に最初にお会いしたのは、山重氏がまだ東京都目黒区立図書館の職員で、システム導入に関わっていた頃でした。その後、2008年に高知県立図書館に転職。高知県立図書館と高知市民図書館を合築したオーテピア高知図書館(注1:第59回コラム)は2018年7月に開館するのですが、その作業をけん引してきた当事者の一人でもあります。
山重氏は司書育成・サービス推進担当の専門企画員として、毎月の第3金曜日の休館日に館内研修を行ってきました。そんな山重氏が、2022年10月に土佐清水市立市民図書館の開館40周年記念の一般市民向け講演を行いました。3月に定年退職を迎えるにあたり、オーテピア高知図書館の職員が、その講演を土台にした締めくくりの館内研修を企画。館内研修だけではもったいないと外部にもYouTube公開してくれたおかげで、私も聴くことができました。今回は、去る人・残る人のそれぞれの想いが詰まった、山重氏の講演「人と地域を幸せにする図書館」の三章に分けた報告です。
図書館法第2条の、「一般公衆の利用」にふれ、かつての図書館は、子どもや外国人や障がい者は利用の対象から抜けていたとのこと。子どもや婦人に向けた貸出重視のサービスは日野市の図書館が先駆けだと思っていましたが、実は高知市民図書館が最初だったそうです。貸出重視・全域サービス・子どもへのサービスの3本柱のサービスモデルは、高知を皮切りに、日野市や浦安市へと発展していきました。
ユネスコの公共図書館宣言の「あらゆる種類の知識と情報をたやすく入手できるようにする」の「あらゆる」にも言及しました。知識・情報を入手し、検索できるように提供し、足りない部分は他の図書館や機関と連携し、知る権利・学ぶ権利を保障する。だからこそ、図書館にはお金をかける意義があり、あらゆる情報を仕入れるためには「お金」が必要だと断言した方がよいとの力強い言葉もありました。
民主主義を成立させるためには、「知る」「学ぶ」ことが大切で、「知る」「学ぶ」ことができるから「自由」が成立し、「自由」であることが「幸せ」の始まりと話されました。教育水準の低いところでは民主主義は成立せずに、ときに暴動になると聞き、焚書やカンボジアやミャンマーのことが脳裏をよぎりました。
興味深かったのはAIの話。単純なレファレンスはAIでもできるようになり、今はできない典拠についてもそのうちAIで可能になると予測。司書はもっと人間臭いレポートをもっと書くべきで、研究員にならないと司書は生き残れないと叱咤激励しました。「人間臭い」とは、例えばこのレポートでいえば、聴講(インプット)したものを自分なりに咀嚼し、要約し、自分の感想を伝えるアウトプットのことと解釈しましたが、皆さんはどう思われますか?
生活・仕事・健康・将来・地域・法律・人生・制度など、図書館で何を知り、何を学ぶかは人それぞれです。その場で答えが出なくても、図書館で考え方やアプローチの仕方を知り、共有することが大事と話しました。
誰でもフラットに人を呼び込むことができる図書館が、今注目されています。専門性を持った機関がそれぞれ情報公開していても、案外知られていないのです。その点、誰でも気軽に入館できる図書館は、情報のハブとしての役割を果たすことができます。また、例えば、図書館に医療書が充実していれば、事前調査ができ、忙しすぎる医師の手間を省くこともできます。図書館の最大のメリットは、ブラっと来られて、お金も使わず、何か聞けば何かが出てくる無料の気軽さの上に、思ったよりは意外と使えるところです。人とお金が付けば図書館が行政の窓口になってもいいのではと、柔軟な発想も示されました。不登校や引きこもりなどの地域の支援センターとの情報ハブとしての役割は、オーテピアはすでに果たしていると、残る人々へのエールも忘れていません。
サードプレイスとしての図書館については、ホームレスも排除しないでほしいとの要望がありました。ホームレス生活者には元経営者が多いそうで、これは世界中でその傾向があるとのこと。アメリカでは排除せずに、例えばシャワールームを設置するなど、積極的なバリアフリーの図書館を目指す姿もあります。
読書に障害のある人へのサービスが求められている説明の中で、「聴覚障がい者は文章の理解が難しい」との発言は意外でした。聴覚障がい者は見えるのだから、文章は理解できると思い込んでいました。ところが、文章は音声の体系からできているから、生まれながらに聞こえない人には文章の理解が難しいのだそうです。識字障害(ディスクレシア)や発達障害など、バリアフリーと一言でいってもいろいろなケースがあり、その対応が図書館に求められています。
少子化や過疎化などの地方の問題は、人が来ない理由から解決しようとします。それでは人が集まる解決策にはならないと、原因論ではなく、人が出ていかない・来てもらえる視点から考えてみてはと、まさにリフレーミングの着想でした。
例えば、
情報が少なくて学習環境がないため向上できないというのなら、図書館が充実すれば情報収集も学習もできる。ネットの世界だけが情報源ではないし、情報の格差は図書館でかなり埋められると力説されました。話を聴きながら、全戸にWi-Fi環境を設置している宮崎県の椎葉村(注2:第95回コラム)を思い浮かべていました。
そして、オルガン・複写機・顕微鏡などの文明開化は学校から始まったように、実は情報革命は図書館から始まったといいます。確かに、図書館は、バーコードでの蔵書の管理やシステム化はとても早かったのです。今、DXが叫ばれている中、様々な人が集まる図書館こそDXの実験場にすれば効率がよいとの発想に思わずうなりました。
高知県内の市町村立図書館の課題では、各種統計情報から、専任職員の少なさや貸出平均などが全国平均より下回っている現状を分析。資料費が同じ人口規模でも10倍以上の差があるのは、情報障害と指摘されました。図書館はおまけの娯楽施設ではないのです。
行政に図書館の必要性を説得する材料として、単純な貸出冊数の統計ではなく、スマートフォンを使ったアンケートや図書館モニターを使った評価レポートを、行政への説得材料にしてはとの意見も出されました。ITを使うシステムなら、確かに補助金が使えるかもしれません。是非どこかでやって、他の図書館も追従できたら面白そうです。
最後に、後進司書へのメッセージとして、これからなくなる職業リストの司書はアシスタントライブラリアンで司書とは違うこと。司書の専門性は、総合力で共通のプラットフォームを持っていることをきちんと説明するには、AIと協力するのもあり。むしろ図書館がAIに資源を提供してはとの斬新な提案もありました。
高知の話でしたが、図書館の原点と目指すべき姿を示してくれた講演でした。館内研修を公開してくださった度量の広さに感謝でした。