2011年3月11日のあの時、私は松島の遊覧船に乗っていました。幸いにも私は無事でしたが、東日本を襲った大地震により発生した津波は、多くの尊い命や人々の生活を奪いました。その中で、図書館の使命を自問し、いち早く動いた図書館があります。今回は、東日本大震災の記録に取り組んだ東松島市図書館と、東北石巻の活動を幾つか紹介します。
震災直後の東松島市図書館職員は、例にもれず、避難所対応などの雑務に追われていました。そんな中、3月24日に被害状況をホームページにアップしました。図書館問題研究会のメーリングリストで紹介され、震災の一次資料の必要性を説く投稿を目にし、当時図書館に勤務していた司書の加藤氏のこころに小さな種が芽生えました。
その後、市の復興計画「東松島市復興まちづくり計画」事業の一つを図書館が担当。公益財団法人 図書館振興財団(注2)の振興助成金を元に「ICT地域の絆保存プロジェクト(注3)」を立ち上げました。「アーカイブを残すことが図書館の使命」と、司書の加藤氏が感じての構想でした。震災の翌年2012年6月からスタッフ4人で協力し、2015年までに市民150人から震災の体験談をインタビューし、被災写真や資料を収集・整理してきました。 とはいっても撮影や機材の扱いは素人です。これらのレクチャーは、「311まるごとアーカイブス(注4)」の方々に教えていただきました。また、申し込み用紙などは新潟県長岡市の事例を参考にしました。後は試行錯誤の模索の中で、知識やノウハウを身に着けていったそうです。
東松島市の多くのお店には、こうして作られた「まちなか震災アーカイブ(注5)」の「震災の伝承」パンフレットが置かれています。お店にあるQRコードを携帯で読み取ると、東松島市図書館の「ICT地域の絆保存プロジェクト」へリンクし東日本大震災の状況を見ることができます。図書館の皆さんは、パンフレットを置いていただくために300以上のお店や出先機関を訪ね協力のお願いをしました。協力してくださった210の施設には、地元のお店や公共施設はもちろんのこと、国土交通省、タクシー会社なども含まれます。まさに、「足でかせぐ」作業でした。
「ICT地域の絆保存プロジェクト」には3つの機能があるといいます。
「まちなか震災アーカイブ」作成以降は、東北大学と市が「災害協定」をタイミング良く結ばれたことをきっかけに、官民連携の活動が今も続けられています。財源のことをお聴きしたら、2013年度は緊急雇用創出事業、2014年度以降は復興交付金を利用しているそうです。2015年度については事業のステップアップを図ることをねらいとして「復興期におけるアーカイブ」とし地道な努力で取り組んでいます。商工観光課や復興政策課などとも普段から交流をはかり、事業連携や財源確保などの情報には目を光らせています。
交付金を使用しての短期採用では雇用の安定は図れないのではと個人的に思っていましたが、この作業で技術を取得して旅立った若者がいることを初めて知りました。イラストレーターを使ったパンフレットや看板のデザイン、デジタルアーカイブの収集~公開作業(写真の整理やメタデータ付与、デジタル資料化)、ホームページの作成など、ちょっとした実地での職業訓練体験になったそうです。SE経験の方や震災アーカイブへの想いに賛同し、東京からのUターンで応募するケースもあったとか。中にはその後、司書の資格を取得し、図書館で働いている方もいるそうです。若い方の可能性を広げる一役を担いました。
QRコードの活用については、本年度は東北大学と連携し、修学旅行や小中学校の防災教育教材としての可能性を探すべく、ワークショップなどの活用検証がされています。
一方、作業はこれで完成したわけではありません。現在のQRコードでは、当時の地域状況を見ることはできますが、量が膨大なうえに写真が小さい、また、比較する震災前の過去のデータがないなどの問題点も出てきました。今後は枚数を限定し、震災後の復旧状態との比較ができるように工夫をしていきたいとのことでした。そのために、来年以降も、東北大学災害科学国際研究所(注6)の研究の一環として、産学官連携を更に強化していきたいとのことでした。
「震災を忘れないためにアーカイブを作ったけれど、もしかしたら一番忘れたいのは自分かも知れない。そうしなければ前に進めないから」。彼方を見ながらつぶやいた加藤氏の言葉が今も耳に残っています。
1月末に東北で開催された集会に参加するついでに、石巻へも足を延ばしてきました。ライブラリーカフェ風な素敵なお店もありましたが、気になった幾つかの空間を紹介します。
震災後にこの地区の仮設住宅に住んでいる方々と地元の住民との交流を目的として、元農協の倉庫を改造してできた施設です。本のある空間で、住民の交流だけにとどまらず、音楽会を開いたり、まちづくりの種となるべく第一線で働く講師を招いたり、子どもたちの勉強をみたりと、様々な活動の拠点となっています。
美味しいコーヒーやランチもありますが、無料で利用することも可能。私たちが伺ったときは、小さなお子さんを持つ家族が、絵本を読んだり自由に飛び跳ねていました。
東日本大震災で大きな被害を受けた石巻に、本を届けるコミュニティスペースです。本にまつわる仕事について見識を深める「いしのまき本の教室」や企画展を開催しています。本の貸出も可能で、システムは「リブライズ(注9)」を使っていました。
石巻日日新聞は、石巻・女川・東松島限定の地方新聞です。創刊百周年記念事業として、地域の経済、庶民文化の中心として発展してきたその町に「人々が交わり、交流する新たな駅」として「絆の駅」を開設しました。その1階に地域の歴史資料を展示しながら、関連のグッズも販売する「石巻ニューゼ」があります。館内には震災直後に発行した石巻日日新聞号外の「手書き壁新聞」実物が公開されています。テレビで見られた方も多いのでは?
常務取締役の武内氏は、たたき上げの新聞記者で、「被災地の新聞社としてあの時の記録を残し伝えるのが使命」と、手書きの壁新聞作成へと突き動かされた想いを語ってくれました。壁新聞は6部作成し、5か所の避難所と小高い丘にあるコンビニ1か所に貼りました。手書きだから内容は同じでも文字の大きさはみんな違います。その時の想いだけで作っていたのだと、現物を見て、改めて感じました。被災直後の石巻市、東松島市、女川町の写真もあり、復興に向かう石巻地域の姿を随時国内外に今も発信しています。
震災から5年が経過し、被災地の状況も随分と変化しました。いまだに仮設住宅に住むことを余儀なくされている方はお年寄りが多く、精神的に不安定になっていて、「取り残され感」を感じているように思えるそうです。仕事についてもミスマッチが発生しています。復興事業の仕事はあるのですが、地に足つけての安定した雇用にはならないのです。そんな不安が影響してか、自殺者は昨年より全体では減っているのに、30歳代、50歳代などの働き盛りは増えているそうです。雇用にも復興格差は広がっているのかもしれません。
武内氏は、「津波で多くの読者を失った」と言いつつも、「津波を言い訳にする時期は過ぎた。今年は復興ではなく、地域の課題を見つめなおす再生の年」につづき、「今年は、『頑張りすぎない!』を合言葉に、目に見えない復興へも取り組んでいきたい」と、最後に語ってくれました。