東京都中央卸売市場内図書室「銀鱗文庫」
図書館つれづれ [第121回]
2024年6月

執筆者:ライブラリーコーディネーター
    高野 一枝(たかの かずえ)氏

はじめに

2018年10月、築地から豊洲に移転した東京都中央卸売市場の中に、「銀鱗文庫」という図書室があるのをご存じでしょうか?豊洲市場管理施設棟3階というアクセスの良い場所に、市場と水産に特化した書籍や、築地時代に集めた大福帳などの市場に関する道具なども展示されています。絵本も置いてあり、子どもたちも利用します。今回は、「人が行きかうアーカイブズ」を目指す「銀鱗文庫」奮闘記のお話です。

銀鱗文庫のあゆみ

銀鱗文庫を運営しているのは、水産仲卸・大学の先生・新聞記者・料理研究家などで構成されるNPO法人築地市場銀鱗会(以下、銀鱗会)。豊洲市場唯一の文化団体だそうな。前身は、昭和4(1929)年に創設された「東京魚市場青年会」と、歴史はとても古いのです。戦争中に一旦自然消滅したものの、戦後に「築地魚市場銀鱗会」として復活。昭和36(1961)年、創立10周年の記念事業として図書室「銀鱗文庫(注1)」を創設しました。当時は高度成長期で、書棚には全集や百科事典などを贅沢に揃えたものの、あまり利用はされていませんでした。昭和46(1971)に創立20周年を機に一般公開し、市場で働く人へ蔵書の貸出を始めました。ベストセラーや歴史小説などの蔵書を増やし、本を読むというより余暇の楽しみ場として活用されていました。そして、昭和63(1988)年の魚の入荷のピークとともに、利用者は激減していきます。

福地享子さんと銀鱗文庫の出会い

福地さんは、婦人画報社で料理記事を担当していた方で、結婚を機に退社後は、フリーの記者として料理関係の記事を書いていました。平成10(1998)年春に築地市場を初めて訪れて、市場の現場に魅了され、長靴を履き、仲卸しの現場で働いた経験もあるユニークな方です。福地さんが出会った頃の銀鱗文庫は、事務の方が辞めて普段は鍵がかかっていて、開いている日に行ってみれば、市場の人のたまり場で酒瓶が転がっている状態でした。そんな状態の中、福地さんは、平成21(2009)年より事務員兼留守番役として銀鱗文庫と関わることになります。「本というのは、読んだり、触ってあげたり、あるってことを意識してあげないと、死に体だ」というのが、資料フェチの福地さんの持論です。そこで、思い切り舵を切り、小説や全集などは自由に持ち帰ってもらい、市場に関する歴史資料を集める場所にすべく、資料の収集に走りました。古い資料が集まってくると、学生アルバイトを雇い、データベース化していきました。ときどき「市場名物の定食で釣った」とは、本人の弁。もちろんポケットマネーです。2年ほどかけ、築地時代に、銀鱗文庫は資料室へと転身・変換を遂げました。

築地から豊洲への移転

銀鱗会での福地さんの肩書は、編集部長および図書部長兼任です。平成28(2016)年の豊洲市場への移転が具体化し、銀鱗文庫をどうするか役員会で話し合いが行われました。銀鱗会の台所事情は決してよくはなく、支出の6割を占める銀鱗文庫の運営は大きな負担になっていました。移転費用や今後の運営費用を考えると、閉館を望む声もかなりありました。そんな危機を救ったのは、2015年11月、役員会で閉館を巡る議題で白熱する最中に、見学に来ていた若い5人ほどの司書でした。帰り際の「銀鱗文庫は希望の星、市場の中にささやかだけど図書館があるのは素敵」という感想に、役員一同衝撃を受けました。この外からの見学者(司書)の一言で、銀鱗文庫の価値が再発見され、閉館を免れたのです。

とはいえ、費用がないのに変わりはなく、ここから福地さんの奮闘が始まりました。まず、置いてある資料は市場に関する公的資料だと主張し、東京都に施設使用料の免除要望書を3回出すも3回とも却下されました。次に、本が並んでいるのだから、事務使用料ではなく倉庫使用料ならば安くなると掛け合います。都も歩み寄りを見せてくれましたが、本当に倉庫に本を置くよう指示が出たのです。「アーカイブズはいつも人の目に触れ、手に触れられ、気にかけてあげなければ死に体」を信条とする福地さんは、東京都に頼ることは止め、攻めの方向転換を図ります。

彼女が作りたい新しい図書室は、一般的な図書閲覧や資料の提供はもちろんのこと、情報提供や市場の研究や発表会、そしてギャラリーのある場所でした。築地時代の本棚と同じ木のぬくもりを感じる場所にすべく、古民家再生に力を入れているグループにたどり着きます。移転費用の概算を聞くと、とても会で払える額ではありません。

借金をするか、流行りのクラウドファンディングも考えましたが、なぜかピンとこない。そんな時に思いついたのが、お寺の「瓦寄進」でした。あとで発見するのですが、実は銀鱗文庫の古い書棚の下を開けてみると、書棚を寄贈した旦那衆の名前が書いてあったのです。昭和36年は市場が一番景気の良かった時代。古い書棚は、当時の旦那衆の小遣いで寄進されたものでした。これを錦の御旗に、「ほら、ここ、お父様の名前が書いてありますよ!お父様が守ってきた図書室を閉ざしてよいのですか!」と、閉館賛同役員を説き伏せにかかります。父親の名前を出されると、さすがに皆さんの心も少しずつほどけていきました。根気よく足で稼ぎ説得し、気が付けば、目標額の700万を突破していました。

豊洲市場内の銀鱗文庫

図面に慣れてないこともあり、設計変更を繰り返すこと5回。その上、東京都のルール「不燃であること」に木材はそぐわず、設計を認可する事務所へは何度も通いました。手間暇かけた銀鱗文庫のお披露目が市場より2週間遅れたのは、そんな経緯があったのです。

銀鱗文庫の正面には、築地から持ってきた古い書棚が並びます。新しい棚は、古い書棚にマッチするよう木のぬくもりを大切した栗の木を採用。大きなテーブルも栗の木の一枚板です。私達が伺ったときは、ちょうど「築地考」の写真イベントをやっていて、天井からは売り物のTシャツが掲げられていました。

書棚の裏には、寄進してくださった方の名前とメッセージがしっかりと記録されていました。古い棚同様に、銀鱗文庫がある限り残ります。

一面だけ残した白いギャラリー用の壁は無償ですが、物品の売り上げの一部は会の収益になります。銀鱗会でもオリジナルのタオルを作ったり、会議室を借りて研修会をしたりと、新たな収入源を増やしています。この大きな栗のテーブルを囲んで、市場の方や市場に卸す皆さんの企画会議や相談会も開かれていて、アーカイブズの常識を覆す賑やかなスペースになっています。

ほかの図書館との関わりについて

私が銀鱗文庫を知ったのは、市場にも詳しい銀座で生まれ育った友人からの紹介でした。築地時代にも友人と何度か訪れ、いつか紹介したいと思っていた図書室でした。

2023年春、「銀鱗文庫の古い本が傷んでいるので修復したい」と、友人が福地さんから相談を受け、連絡をくれました。図書館関係者に募ったら、東京タワーの前にあるBICライブラリ(注2)の宇賀田織部さんが手を上げてくれました。「築地の定食」に釣られ、6月に伺ったときの様子がこちら。

作業は数時間で終わるような代物ではなく、自宅に修理本を送ってもらい修復をしたいきさつがあったのです。ボランティア作業にも関わらず、織部さんは、「本の修復作業が夢だった」と、夢をかなえた至福の時間にご満悦でした。

公共図書館との定期的な連携も行われています。豊洲市場近くの江東区豊洲図書館(注3)では、年に2回、市場に関わるイベントが開催されています。指定管理になって二代目の館長が地域を散策しているときに銀鱗文庫を知り、飛び込み営業をしたのだそうな。もちろん二つ返事で福地さんも引き受けました。小学生以上が対象で、市場の魚の専門家による話に子どもたちも大喜びとのこと。

例えば、どんな話かというと、

  • ホタテ博士に聞く!市場とホタテのおいしいおはなし
  • およぐ寿司だねたちの世界
  • さかなの口のひみつ etc.

市場の仲卸の方や水中カメラマンなど、プロの話に子どもたちも目を輝かせて聴いているそうです。

今後の課題

現在は、水産、市場関係の書籍だけでなく、日本橋時代からの鑑札類、売買契約書、印刷物、旧組合の日誌、写真ほかの歴史資料も保管され、図書室をかねた資料室への脱皮を図っています。とはいえ、福地さんは還暦を過ぎ、「文庫のアーカイブス資料は、築地市場のアイデンティティであり、それを銀鱗会だけで守るのは限界がある」と、会員の皆さんも危惧しています。そんな状況に、救世主が現れました。古い貴重な地域資料は、築地市場のあった中央区立図書館でデジタルアーカイブ化を検討することになったそうです。

見学を終えて

「市場の中の図書室は市場に関わる人々で守る」姿勢が、新旧の本棚の裏に記憶されているのが感動的でした。市場と市場の資料を集めた銀鱗文庫への限りない愛が感じられる素晴らしいスペース。豊洲市場に行ったら、是非訪ねてみてください。

図書館つれづれ

執筆者:ライブラリーコーディネーター
高野 一枝(たかの かずえ)氏

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