2018年10月20日、国立オリンピック記念青少年総合センターで開催された、第104回全国図書館大会の第18 分科会「地域の読書をほりおこす」に参加してきました。出版社と書店との関係については何度も話題にあがり、ときには険悪なムードになることもありました。それでも、両者は出版文化を守るパートナーであることは間違いなく、今回は少し視点を変え、書店と図書館の連携が2つ紹介されました。既に大会の公式サイト(注1)に報告されていますので、今回は、気になった部分と、出版文化に関わる最近のエピソードを紹介します。
山梨県立図書館(注2)は、2012年に新県立図書館を開館するにあたり、作家の阿刀田高氏を館長として招きました。その時に、3つの目標をたてました。
そして、2014年度より県立図書館や県の社会教育課が中心になり、やまなし読書活動促進事業「やま読」が立ち上がりました。「やま読」は県民一人一人の読書習慣の確立を図る事業です。
その幾つかをあげると、
その他にもビブリオバトルや、山梨らしいワインに関するイベントなども立ち上げました。
そんな事業の連携について、初めに、山梨県立図書館副館長の小尾きよこ氏から、県立図書館として読書活動を推進する事業主旨や事業概要の説明がありました。次に登壇された、「やま読」実行委員会副委員長でもある、地元の春光堂書店の宮川大輔氏からは、具体的な取り組みの紹介がありました。
この取り組みの特長は、行政が関わっていることにあります。山梨県教育庁社会教育課課長補佐の河手由美香氏からは、まるで、政治演説を聴いているような説得力のある語りで、市ではなく、県レベルでの取り組みの報告がありました。県の役割は、イベント関連のチラシやポスターの作成・配布・事業周知や運営など。図書館と書店が連携するだけの場合より、県が絡むと住民に対する説得力も違います。一方で、色々な機関を通さなければならないためスピードの遅さは否めません。行政が関わる意味やメリット/デメリットを含めたお話と、県民の中での財政の使い方の優先順位も説明され、苦しい中での予算のやりくりを伺うことができました。
塩尻市の市民交流センターえんぱーく内にある塩尻市立図書館(注3)については、コラム第21回で紹介したことがあります。
館長の上條史生氏から、出版文化を守るために、著者、出版社、図書館が連携した「信州しおじり本の寺子屋」と、古田晃記念館の紹介がありました。塩尻は、筑摩書房の創設者で、偉大な古田晃氏の出生の地なのです。塩尻書店組合などとの連携として、書店員と図書館員が一緒にお薦め本の情報誌を作ったり、読書手帳には図書館で借りた本だけでなく書店で買った本など全てを記録できる工夫がされています。図書館は原則複本を持たず、できるだけ書店で買ってもらえるよう仕掛けています。「本の帯コンテスト」では、自分がデザインした帯をつけた本が本屋さんに並びます。本を読む人がいなければ成立しない書店と図書館。それぞれが地域や読書環境のためにも役割を分担し、少しずつ歩みよって出版文化を守りたいと話されました。
ところが、ここから空気が一変しました。地元の中島書店の中島康吉氏からは、具体的な現状が報告されました。市立図書館ができて9年目。8年で売り上げが半減し、書店からお客様が消えたといいます。塩尻の図書館は巨大です。「お客も売り上げも奪われた」の言葉に会場が一瞬にして凍りつきました。断っておきますが、お二人は前日も一緒に飲むほどの仲で、決して犬猿の仲ではありません。それでも、書店の現実は私たちの想像をはるかに超え、図書館との温度差を見せつけられた気がしました。中島氏からは、「図書館の貸出で料金はとれないのか?公共のサービスは全て有料なのに、なぜ図書館だけが無料なのか」という悲痛な意見も出ました。その一方で、「そうだ、図書館へ行こう!」や「自宅に本棚をおこう!」などの前向きなキャッチフレーズも披露してくださいました。中島氏は、図書館が大好きで、いろいろと献身的に貢献もされているからこそ、書店の苦境が残念でならない、中島氏の語りにそんな想いを感じました。
全体のシンポジウムでは、書店は高価本やアーカイブは持っていないなど、それぞれの役割の違いを再認識し、認め合って終了しました。
一番心に残ったのは、中島康吉氏の言葉「巨大図書館の怖さ」でした。塩尻の図書館ができて、書店の売り上げは大きく減少しました。巨大図書館は、読書の生活習慣を、「買うから借りる」に変えたといいます。子どもたちは、本屋に来ても、「本を借りていく」というのだそうです。一方で、宮川氏からは、「家業が書店といえども、我が子に、図書館を利用しないで全ての本を買い与えることができない」との話もありました。塩尻では書店組合が絵本を直接取引して図書館に納品することで粗利益を向上できたという話には、取次店の意味は何なのかと素朴な疑問も浮かびました。
まちから書店が消えていく話を聴いていて、私が頭に浮かんだのは、さびれた商店街の現実です。車社会になって、大きなショッピングモールが郊外にできて、地元の商店街はどこも閑古鳥が鳴いています。一方で、最近は、高齢者が車の運転ができなくなって、近くにお店がなく、都会でも買い物難民があちこちで話題になります。でも、考えてみれば、どちらも住民が選択した結果。安ければ何でもよいと、地元でお金を回すという地元の経済の活性化など全く眼中になく突っ走った結果です。目の前の利益だけ追い求めていくと、最後には悲惨な状況が待っています。図書館の本もシステムも、1円でも安ければよいと入札の傾向が増えています。巨大図書館の話を聴きながら、人を大事にしない今の世相のことを考えていました。
私事で恐縮ですが、今年、皆さんの協力で、2冊の本を出版しました。知人に本を薦めると、「図書館で買ってもらうから」と返ってきました。確かに、「本は買うものでなく借りるもの」の感覚です。図書館に勤める知人からは、「館内で回し読みします」という返事。手元に置いて置く価値のない本ということにもつながりますが、‘本が売れない!’を実感しています。
この分科会の数日前に、トーハンのブックフェアで見た光景も驚きでした。たとえば、字体。今はお役所のような公文書でも丸文字ゴシックが好まれるとか。明朝体の本は、若い子ほど手に取らない傾向があるのだそうです。著者も内容も素晴らしいのにイラストが幼稚すぎると手に取ってもらえない。子どもたちの本は5分が勝負とばかり、「5分でわかる….」のタイトルが並んでいました。良い本だから読まれるわけではない今の世相と、生まれたときからインターネットと付き合っている世代にどうやって本の文化を伝えていくのか、解決のアイデアは浮かびませんが、今までとは全く違うアプローチを考えなければと漠然と思ったりもしています。