「ウィキペディアタウンをしたいだけど、なかなか沖縄での開催がないの」と嘆く沖縄県恩納村の図書館の呉屋美奈子氏の言葉に、「私たちウィキペディアンには程遠いけど、どんなものかは伝えられるかも」と、友達と旗揚げして、恩納村へ2019年2月に行ってきました。ウィキペディアタウンを自分たちで主催することは私たち(しゃっぴいチーム)にとってもチャレンジですが、ファシリテーターの経験は、きっと各自の今後の活動に生きると思ったからでした。
今回は、恩納村文化情報センターと、恩納村ウィキペディアタウンの紹介です。
恩納文化情報センターは、2012年に観光に特化した情報発信拠点施設として建設が決定し、2015年に開館しました。施設の大半は図書館ですが、1階の観光情報フロアには、恩納村をはじめ沖縄北部(やんばる)の観光や地域の情報を提供しています。自分の行きたいところの恩納村マップが作成できるシステムも用意されています。2階の渡り廊下で博物館につながっていて、3階の展望室からの眺めは最高です。
図書館の呉屋美奈子氏は準備室の段階から関わり、今もスタッフをけん引しています。開館当初は、「図書館に行く人なんていないよ!」という意見もありましたが、実際には思いのほか利用されていて、今はそれが誇りになっています。
図書館の棚はとても行き届いたサービスをしています。例えば、カウンターに荷物の配達票があるのは、観光客が借りていって自宅に帰ってから返却するためのもの。学校給食献立情報は、家庭の夕食とかぶらないひと工夫です。ちょっと意外なのは農業支援コーナーがあったこと。恩納村の住民は、やはり農業従事者が多いのです。リゾートホテルの従業員は、県外の方が多く、直接雇用にはそれほど影響していないのだそうです。所蔵の特徴の一つに、「うちなー芝居」のDVDコーナーがあります。郷土資料のコーナーから博物館へつながるよう動線も工夫されていました。イベントに学芸員が関わることもあるし、レファレンスにも協力体制ができていて博物館との連携はばっちりです。3月5日はサンゴの日。「世界一サンゴに優しい村」を目指し2018年7月21日にサンゴの村宣言をしました。2017年は本を作り、2018年はサンゴのカルタを作りました。収益はサンゴの保全活動にも使われます。若い方々が呉屋氏のもと、のびのびと仕事をしているのが伝わってきました。
呉屋氏がウィキペディア編集に興味を持っているのは、郷土の情報を書き留めるとともに、観光客にも恩納村の遺跡などを広く知ってもらい、図書館利用を視野に入れた想いがあったためかと思います。最初に打ち合わせの会をもったのは、2018年の夏でした。その後、Facebookでグループを作成し、情報交換をしながら具体的に話を煮詰めていきました。参加メンバーの多くは何度かウィキペディア編集を経験していましたが、ウィキペディアンと名乗れるほど詳しくはありません。そこで、東京から遠隔操縦でウィキペディアンの海獺氏(第48回のコラム(注2)で紹介)にも参加してもらい、東京と現地とのやり取りはZoomというソフトを使うことにしました。ZoomはSkypeと同様のソフトで、もちろん初めての経験でした。
役割分担の概要を以下に示します。
あいにくの雨の中、以下のスケジュールで決行しました。
社会教育課の長浜健一課長が自らドライバーをしてくださり、司書で学芸員の資格も持つ仲村星来さんが、以下のスポットを案内してくれました(幾つか省略)。
真栄田の一里塚 → フェーレー岩 → 寺川の石矼 → 山田城および子孫の墓 → 山田谷川の石矼 → 仲泊遺跡
12時半から開始の前にPC環境を確認していたら、Zoomの音声が出ないハプニング発覚。急きょスマホでZoom対応することにしました。
参加者は、しゃっぴいチーム10人(内、一人未経験)に、図書館や観光課を含む恩納村から9名(全員初体験)の総勢19名。博物館の皆さんは、博物館内の作業と重なり参加を断念したのでした。そして、東京の海獺氏にも登場してもらい、長崎と神奈川からZoom観戦2人を含め、以下のスケジュールで編集作業を行いました。
12:30~自己紹介、Wikipediaの説明、編集のことなど
13:00~15:20 恩納村職員の皆さんとの合成チーム4つに分かれて編集しました。編集内容は、以下のとおりです。
1名は、Zoom担当でスマホでの中継に頑張ってもらいました。
15:20~15:50振り返り やったこと、大変だったことなどをシェア。
今回は時間の都合で16時に終了しましたが、振り返りの時間がやはり足りませんでした。
振り返りの時間に、「聞いておきたいことがあるのに質問しないのは、知りたい他の人の知る機会を奪うことになる」と、海獺氏は指摘します。
今回新規に作成した「国頭方西海道」の編集した概要です。
加筆組は、出典を補うのを中心に、撮ってきた写真をアップロードし、項目の追加をしました。必要な資料は、恩納村職員の方が用意してくださり、順次すらすらと提供してくれて、普段の図書館業務で行っているレファレンスの実力を発揮していました。同じ本を取り合うシーンもあり、必要なところをコピーしてもらって解決しました。ちなみに、今回加筆・修正した項目のビフォー・アフターがこちら。
イベント前(ページなし) イベント後
短期間でもウィキペディアンの指導のもと、適切なアドバイスがあれば、これだけの記事が作れます。
最後に、Zoom経由で海獺氏から「今日は何をしたのだろう?」とまとめていただきました。
「ウィキペディアは息の長いプロジェクトで、たくさんの善意によって、より良いものになる努力が続けられている」と、結びました。
後日、恩納村職員の皆さんから感想をいただきました。抜粋してお伝えします。
呉屋氏からも、「Wikipedia の編集に関しては、思ったより決まりごとが多くて大変でしたが、慣れれば大丈夫かな?という気がしています。慣れるには数をこなすこと!少しずつでも頑張りたいです。1階の観光フロアのキオクボード(街歩きをして地域の人から聞いた情報を追加するコンテンツ)とも連動していければ活動の幅も広がるのかなと思い、新たな企画を考えてワクワクしています。」と、感想をいただきました。
感想を読んでもわかるように、皆さんしっかりウィキペディアの意図をくみ取ってくださったようです。ウィキペディア編集は本来一人でおこなうものです。でもウィキペディアタウンのように、みんなでまちをあるき、一緒に編集することで敷居はぐっと低くなるし、情報リテラシー教育の場にもなるし、なにより一人でやるより初心者は楽しく学べます。
グループで学ぶイベントは、ウィキペディアンが一人いればできるというものではありません。ちょっとでも経験した人がいてファシリテーターをするだけでウィキペディアンの負担も軽減します。私たちも今回の説明役やファシリテーターの経験を、今後につなげたいと思います。
後日談として、海獺氏から呉屋氏に「『国頭方西海道』の範囲を、イラストが得意な方に簡単な案内図的な地図を書いてもらって、Wikipediaにアップするといいですよ」と、アドバイスがあったとか。こうやってつながっていくのが嬉しいですね。