恩納村文化情報センターと恩納村ウィキペディアタウン
図書館つれづれ [第60回]
2019年5月

執筆者:ライブラリーコーディネーター
    高野 一枝(たかの かずえ)氏

はじめに

「ウィキペディアタウンをしたいだけど、なかなか沖縄での開催がないの」と嘆く沖縄県恩納村の図書館の呉屋美奈子氏の言葉に、「私たちウィキペディアンには程遠いけど、どんなものかは伝えられるかも」と、友達と旗揚げして、恩納村へ2019年2月に行ってきました。ウィキペディアタウンを自分たちで主催することは私たち(しゃっぴいチーム)にとってもチャレンジですが、ファシリテーターの経験は、きっと各自の今後の活動に生きると思ったからでした。

今回は、恩納村文化情報センターと、恩納村ウィキペディアタウンの紹介です。

1. 恩納村文化情報センター(注1)

恩納文化情報センターは、2012年に観光に特化した情報発信拠点施設として建設が決定し、2015年に開館しました。施設の大半は図書館ですが、1階の観光情報フロアには、恩納村をはじめ沖縄北部(やんばる)の観光や地域の情報を提供しています。自分の行きたいところの恩納村マップが作成できるシステムも用意されています。2階の渡り廊下で博物館につながっていて、3階の展望室からの眺めは最高です。

図書館の呉屋美奈子氏は準備室の段階から関わり、今もスタッフをけん引しています。開館当初は、「図書館に行く人なんていないよ!」という意見もありましたが、実際には思いのほか利用されていて、今はそれが誇りになっています。

図書館の棚はとても行き届いたサービスをしています。例えば、カウンターに荷物の配達票があるのは、観光客が借りていって自宅に帰ってから返却するためのもの。学校給食献立情報は、家庭の夕食とかぶらないひと工夫です。ちょっと意外なのは農業支援コーナーがあったこと。恩納村の住民は、やはり農業従事者が多いのです。リゾートホテルの従業員は、県外の方が多く、直接雇用にはそれほど影響していないのだそうです。所蔵の特徴の一つに、「うちなー芝居」のDVDコーナーがあります。郷土資料のコーナーから博物館へつながるよう動線も工夫されていました。イベントに学芸員が関わることもあるし、レファレンスにも協力体制ができていて博物館との連携はばっちりです。3月5日はサンゴの日。「世界一サンゴに優しい村」を目指し2018年7月21日にサンゴの村宣言をしました。2017年は本を作り、2018年はサンゴのカルタを作りました。収益はサンゴの保全活動にも使われます。若い方々が呉屋氏のもと、のびのびと仕事をしているのが伝わってきました。

2. 恩納村ウィキペディアタウン

呉屋氏がウィキペディア編集に興味を持っているのは、郷土の情報を書き留めるとともに、観光客にも恩納村の遺跡などを広く知ってもらい、図書館利用を視野に入れた想いがあったためかと思います。最初に打ち合わせの会をもったのは、2018年の夏でした。その後、Facebookでグループを作成し、情報交換をしながら具体的に話を煮詰めていきました。参加メンバーの多くは何度かウィキペディア編集を経験していましたが、ウィキペディアンと名乗れるほど詳しくはありません。そこで、東京から遠隔操縦でウィキペディアンの海獺氏(第48回のコラム(注2)で紹介)にも参加してもらい、東京と現地とのやり取りはZoomというソフトを使うことにしました。ZoomはSkypeと同様のソフトで、もちろん初めての経験でした。

2-1. 現地との役割分担

役割分担の概要を以下に示します。

恩納村職員の方にお願いしたこと

  • ウィキペディアの記事の候補を選んでもらい、資料の有無を調べてもらい、絞り込むこと
  • 出典として使えそうな資料を用意しておくこと
  • 散策コースの設定と案内(雨天の場合の配慮も含む)
  • お昼の手配(時間節約のため)
  • 開催日前に、東京と恩納村間でのZoom通信テスト

ウィキペディアン・海獺氏にお願いしたこと

  • イベントのアウトラインの相談
  • 編集する項目についてのアドバイス
  • 参考にできそうな記事の紹介
  • Zoom実験
  • 当日、Zoom経由でサポート

しゃっぴいチームで用意したこと

  • タイムスケジュールを作る
  • 編集の候補を恩納村の方と相談
  • 海獺氏にヘルプを要請
  • Zoomの通信テスト
  • 説明用資料(パワーポイント)の作成
  • 当日の説明役
  • 各グループでのファシリテーター役 (前日に飲みながらペアと携わる項目を決めました)
  • 事前にWikipedia編集の練習会開催

2-2. 当日のスケジュール内容

あいにくの雨の中、以下のスケジュールで決行しました。

午前 9:30~11:30 まち歩き

社会教育課の長浜健一課長が自らドライバーをしてくださり、司書で学芸員の資格も持つ仲村星来さんが、以下のスポットを案内してくれました(幾つか省略)。

真栄田の一里塚 → フェーレー岩 → 寺川の石矼 →  山田城および子孫の墓 → 山田谷川の石矼 → 仲泊遺跡

午後 12:30~16:00 ウィキペディア編集

12時半から開始の前にPC環境を確認していたら、Zoomの音声が出ないハプニング発覚。急きょスマホでZoom対応することにしました。

参加者は、しゃっぴいチーム10人(内、一人未経験)に、図書館や観光課を含む恩納村から9名(全員初体験)の総勢19名。博物館の皆さんは、博物館内の作業と重なり参加を断念したのでした。そして、東京の海獺氏にも登場してもらい、長崎と神奈川からZoom観戦2人を含め、以下のスケジュールで編集作業を行いました。

12:30~自己紹介、Wikipediaの説明、編集のことなど

13:00~15:20 恩納村職員の皆さんとの合成チーム4つに分かれて編集しました。編集内容は、以下のとおりです。

  • 国頭方西海道(新規)  6人で編集
  • 山田城(加筆)  4人で編集
  • 仲泊遺跡(加筆)  4人で編集
  • 万座毛(加筆)  4人で編集

1名は、Zoom担当でスマホでの中継に頑張ってもらいました。

15:20~15:50振り返り やったこと、大変だったことなどをシェア。

今回は時間の都合で16時に終了しましたが、振り返りの時間がやはり足りませんでした。

振り返りの時間に、「聞いておきたいことがあるのに質問しないのは、知りたい他の人の知る機会を奪うことになる」と、海獺氏は指摘します。

2-3. 実際の編集を終えてみて

今回新規に作成した「国頭方西海道」の編集した概要です。

  • 参考になるWikipediaの記事をベースに記事をどう構成するか相談
  • 定義、概要、史跡の構成にして、史跡の中の項目も分業
  • まずは資料を見て、書けることを各自下書きして、出来上がった人からアップ
  • ベースができたら次々できた順にアップしてもらう。
  • できたそばから海獺氏に見てもらってアドバイスをもらう

加筆組は、出典を補うのを中心に、撮ってきた写真をアップロードし、項目の追加をしました。必要な資料は、恩納村職員の方が用意してくださり、順次すらすらと提供してくれて、普段の図書館業務で行っているレファレンスの実力を発揮していました。同じ本を取り合うシーンもあり、必要なところをコピーしてもらって解決しました。ちなみに、今回加筆・修正した項目のビフォー・アフターがこちら。

仲泊遺跡

イベント前   イベント後

万座毛

イベント前   イベント後

山田城 (琉球国)

イベント前   イベント後

国頭方西海道 【新規項目】

イベント前(ページなし)   イベント後

短期間でもウィキペディアンの指導のもと、適切なアドバイスがあれば、これだけの記事が作れます。

最後に、Zoom経由で海獺氏から「今日は何をしたのだろう?」とまとめていただきました。

  • あのウィキペディアに貢献した!
    自分が手掛けたものが記載されるというのは、世の中の役に立つ経験につながります。
  • 様々な資料から要点を抜き出し、自分で文章を作成した!
    コンテンツ化したという経験は、論文やレポート作成に役立ちます。
  • なんとなく著作権について 学んだ気がする
    コピペによる文章作成は誰のためにもならず、著作権侵害は重罪です。
  • なんとなく百科事典の役割がわかった気がする
    調べたい人の視点を経験しました。
  • 様々な資料の情報を 精査し、比較した!
    情報源、情報、比較、採用 情報リテラシーがアップしました。
  • 情報源を記載した!
    発した情報が 何によるものかの紐づけをする経験をしました。

「ウィキペディアは息の長いプロジェクトで、たくさんの善意によって、より良いものになる努力が続けられている」と、結びました。

2-4. ウィキペディア編集の感想

後日、恩納村職員の皆さんから感想をいただきました。抜粋してお伝えします。

  • 一つの項目が、自分の言葉で文章を作成する、元になる文献を記載するなどきちんと作られていることを知り、ウィキペディアのイメージが変わりました。また、そのことで情報発信するという事の重みも考えさせられました。一人では難しいかもしれないが、地域の情報をまとめ発信できるならば定期的にウィキペディアタウンを行うことはとても価値のあることだと思います。
  • 今回、ウィキペディアタウンに参加して、地域の歴史・文化について改めて学ぶ機会を得ることが出来てよかったと思います。誰もが見られるページを作るという責任を負うことで、今後情報を届ける、提供するという立場で仕事を行う身として勉強を続けなければならないという思いが強くなりました。ウィキペディアのページに自分が考えた文章と、自分で撮った写真が載っていることが本当に嬉しく、新鮮な気持ちでした。
  • 何か調べるときにネットで上位にあるウィキペディア。そこから自分が情報を発信するという経験が初めてで新鮮でした。実際に現地へ赴き、自分の目で見ることから始まり、話を聞き、資料を読んでいくなかで、自分の言葉でまとめたり、文の整理、参考文献を確実に記したりと、難しく感じました。誰かが自分が発信した情報をみるということに責任があるのではと思い、緊張もしました。一人では絶対やらないことだったのですが、今回参加してみて、プレッシャーのかかることではありますが、恩納村を知ってもらえるための1つの方法として良いと思えました。周りの方々に助けてもらい、楽しかったですし、学ぶことができたので、参加できてよかったです。

呉屋氏からも、「Wikipedia の編集に関しては、思ったより決まりごとが多くて大変でしたが、慣れれば大丈夫かな?という気がしています。慣れるには数をこなすこと!少しずつでも頑張りたいです。1階の観光フロアのキオクボード(街歩きをして地域の人から聞いた情報を追加するコンテンツ)とも連動していければ活動の幅も広がるのかなと思い、新たな企画を考えてワクワクしています。」と、感想をいただきました。

感想を読んでもわかるように、皆さんしっかりウィキペディアの意図をくみ取ってくださったようです。ウィキペディア編集は本来一人でおこなうものです。でもウィキペディアタウンのように、みんなでまちをあるき、一緒に編集することで敷居はぐっと低くなるし、情報リテラシー教育の場にもなるし、なにより一人でやるより初心者は楽しく学べます。

グループで学ぶイベントは、ウィキペディアンが一人いればできるというものではありません。ちょっとでも経験した人がいてファシリテーターをするだけでウィキペディアンの負担も軽減します。私たちも今回の説明役やファシリテーターの経験を、今後につなげたいと思います。

後日談として、海獺氏から呉屋氏に「『国頭方西海道』の範囲を、イラストが得意な方に簡単な案内図的な地図を書いてもらって、Wikipediaにアップするといいですよ」と、アドバイスがあったとか。こうやってつながっていくのが嬉しいですね。

図書館つれづれ

執筆者:ライブラリーコーディネーター
高野 一枝(たかの かずえ)氏

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