初めて宮城県古川駅に下車し、大崎市図書館を訪ねたのは2014年の4月。友人の村上さつきさんが大崎市に4月から正規採用となり、東北の旅のついでに立ち寄ったのでした。請われて地方に採用されたものの、現地の方とうまく人間関係を築けない話を耳にします。新天地でどんな感じで過ごしているのか、チョッピリ気になっていましたが、新参者と疎まれることもなく、周りの方々とも良い人間関係が作れているようで一安心。新館構想の前に、山盛りの課題を見つけて、唸っている姿を逞しく感じたのを覚えています。
次に訪れたのは2015年7月。司書の皆さんと岩手県の紫波町から東松島までのツアーで寄り道しました。大崎の図書館に来ると、皆さんが必ず記念写真を撮る「熊のはく製」があります。この「熊のはく製」は、はたして新しく建築される図書館の住人になれるのかと話題になりました。そして、2017年7月、複合施設「来楽里(きらり)ホール」の中に大崎市図書館がオープンしました。図書館運営が軌道に乗った2021年4月、村上さんは新天地を求めて大崎を旅立ちました。
今回、偶然にも村上さんに図書館を案内していただく時間がとれました。私の報告と共に、村上さんの奮闘メモ含めての紹介です。
来楽里ホールは、木版画家の大野隆司氏の大きな看板が出迎えてくれました。大野氏の作品にはこのあと、至る所でお目にかかることになります。本を入れるカートには、ラミネートで図書館の地図が貼ってあり、何気ない配慮のひと工夫。1階には図書館(対面朗読室とボランティア室を含む)のほかに、多目的ホールとカフェがあり、先ずはカフェでランチをとりました。年寄りにはありがたいハーフサイズがあった上に、障がい者雇用へのさりげないメッセージがメニューに添えられていて、なんとも温かみを感じました。
屋根付きの外テラスが幾つか区切られてあり、さすがに冬は厳しいだろうなと思いきや、若者のエネルギーは寒さぐらいでは負けないそうです。カウンターの前には、利用者登録の方が座って待てるようにと、仲良く3つの席が並んで置かれていました。図書館利用案内は英語版もあり、大崎市のガイドマップは英語のほかに中国語と韓国語もありました。BM(移動図書館)やイベントにも活躍しそうな折り畳み式本棚は、テーマ展示に使われていました。左の猫のピクトグラム、気になりませんか?村上さん作で2匹バージョンもあります。靴を脱いで子どもが寝転(ネコろ)んで本を読んでよい場所で、「ねこ1」、「ねこ2」コーナーと、案内しているそうです。文字板より優しさを感じます。
図書館全体を優しく包みこむ工夫は、他にもあります。児童コーナーの棚は低く、取り外し可能なアクリル板でできている丸い棚案内は、文字とピクトグラムでわかりやすく表示。棚案内と本のラベルは同じ色を使用しています。子どもたちが手にとってすぐに読めるコーナーには、机付きの小さな椅子が用意されていました。
一般書の各棚には、例えば、
本を守るものがいて人を守る本がある みんなはじめはこどもだった いのちのすべてに音がえし あなたをすくうのはあなた。本とだよ |
などと、ユーモアたっぷりのウィットに富んだ大野氏の版画がたくさん登場します。
「個展ができそうね」と言ったら、既にやったとのこと。このご縁については、あとで報告します。
宮城ゆかりの作家、奥の細道、こけしコーナー、郷土資料のコーナーにも、若い方々が足を止めてもらえるようなビジュアルが目を引きます。世界農業遺産にも認定されている地元の大崎耕土(注2)についても、詳しく展示されていました。ちなみに、厳しい自然環境下で食料と生計を維持するため、「水」の調整に様々な知恵や工夫を重ね発展してきた大地が『大崎耕土』です。
よく見れば、各棚に点字が施されていました。図書館を作る前のヒアリングで、目の不自由な方から「私達も本の森をさまよいたい」との意見があったそうな。こういう配慮は見落としがちです。壁には、「さわってわかる点字カレンダー」もあり、目の不自由な方への点字ブロックや朗読室以外のサービスを初めて見ました。
新聞の書評は1週間の柱展示をし、大崎市に関連する記事などは切り抜きをし、ファイリングをしています。カフェでお会いした宮城県松山高等学校の学校司書の大場真紀さんは、学校連携でお世話になった仲。今も学校図書館との連携は続いています。雑誌コーナーのバックナンバーは棚の裏側にありました。こんな保管方法もあるのですね。
複合部分の2階には研修室(有料)学習室(無料)があり使用料の管理は、図書館の管理担当が行っています。吹き抜けを挟んでの長い長いYA(ヤングアダルト)コーナーは、今まで見た中でも一番長いかもしれません。 図書館は程よい大きさで、本を入れるカートに図書館の地図が貼ってあるのもうなずけました。そうそう、「熊のはく製」は、しっかり図書館に存在していました。
採用早々の村上さんを気遣ったのは私だけではなく、友人でもある大御所の元図書館員からも「いろいろあると思うけど、1年は我慢するのよ」と言われたそうです。とはいえ、私でも感じたほど棚は本であふれていて、友人も、「これは、黙っていられないね」と言ったとか。その危機を脱出できたのは、当時の職員も「でしょ~、どうにかしたいのだけど、どうしたらいいかわからなくて」と同じ思いであったこと。当時の館長が、「自分は司書をずっと昔にとったけど、よくわからないことが多いから、司書さんの言うことは信じる。だから、良いと思うことはどんどんやれ。」と、後押ししてくれたのも大きかったといいます。赴任直後に産休・育休から復帰した佐々木紀子さんをはじめ、会計年度任用職員の皆さんの話を聞いて、それまでのことをねぎらいつつ、いくつか選択肢を出しながら、自分たちで考えて決める方法をとりました。大きなポイントは、利用者を管理することに力を注ぐのではなく、利用者を信用する穏やかな管理に変えたことでした。アイデアや企画は雑談から生まれました。仕事に支障が出るような雑談はNGですが、笑いの中から、みんなのいろいろなアイデアが出て、「やってみよう!」になったことはたくさんあるそうです。そして、無意味なことは減らし、大事なところは手を抜くことなくメリハリをつけ、まさに、「神は細部に宿る」です。非正規時代の長かった村上さんの人徳も大きかったでしょうが、上司同僚のバックアップやサポート、センスやユーモアなど、職員それぞれが力を発揮してできた図書館は、彼女が去ったあとも基本路線は変更することなく、さらに進化をしています。
私が気になっていた版画家大野氏との縁についても聞きました。それほどたくさんの作品が図書館内にあったのです。
大野氏との出会いは、宮城に来たばかりの村上さんに、当時の新任副館長が月曜の休館日を利用して鳴子の名所案内に誘ってくれた鳴子ツアーが最初でした。街の至る所にある大野氏の「ねここけし」の作品は、ダジャレをきかせて戒めたり、ほっこりしたり、素敵な作品ばかりでした。大野氏は、宮城の鳴子こけしが気に入って、ねここけしの作品を作るようになり、震災後応援をしてくれたご縁で、大崎市の観光大使「おおさき宝大使」に任命されていたのでした。
しばらくして、大野氏の作品展と版画イベントが、市内のカフェで行われました。館長と司書3人で伺うと、作品の販売もしていました。「図書館で購入できないか」と、係長や複数の上司に相談しました。館内に禁止事項を掲示するよりも、ダジャレをきかせた作品の方がはるかに穏やかで効果的と閃いたのでした。そして、館長の了承を得て、当時10~15作品くらいを受け入れたそうな。でも、私が目にした作品は、明らかにそんな数ではありません。「宝大使」の大野氏は、玄関の看板をはじめ、いろいろと図書館に協力くださっています。図書館も、新館オープンのエコバッグとクリアファイルを記念にと、作品の依頼をお願いしました。大野氏とのすばらしい関係は、村上さんがいなくなっても続いています。
村上さんは、図書館を去るとき、「もっといろんなことができたのでは」と、後ろめたい想いがあったそうです。それでも、あとを任せるチームを信頼し、去ることにしたのでした。
すれ違いで2021年4月に図書館に赴任してきた高橋誠明館長が、私にまでわざわざ挨拶に来てくれたり、司書の方が気を遣ってくれたりと、良好な関係は今も続いています。何より、「今も大崎市図書館に来ると私自身が勉強になる」という村上さんの謙虚さが、皆さんとの関係を維持していると感じました。
諸事情で「禁止」の文字で埋まってしまった図書館の方には、是非見学に行ってほしい図書館でした。