恩納村のウィキペディア編集ツアーの際に、沖縄科学技術大学院大学と沖縄県立図書館も見学させていただきました。今回は、その2つの報告です。
沖縄科学技術大学院大学(以下、「OIST」)は、恩納村が無償で貸与した敷地に、内閣府が設立した大学です。扱いとしては私立大学になるのだそうです。国際的に卓越した科学技術に関する教育及び研究を実施することにより、 沖縄の自立的発展と、世界の科学技術の向上に寄与することを目的としています。内閣府設立という背景も沖縄の歴史を感じます。
私が最初に訪れたのは2013年。今回も准副学長の森田洋平氏とマネヴァ・ヤナ氏が出迎えてくれ、お二人が案内してくれました。ちなみに森田氏は、1992年に日本で初めてホームページを公開した方です。それからわずか四半世紀ほどで、世界はさま変わりしました。
OISTの棟は自然の地形を壊すことなく立てられていて、棟と棟はつり橋の廊下を渡っていきます。下は谷、台風の時などは強風が吹くと揺れることもあるそうです。今、第2期の工事中で、その工事が終わると、当初の倍の建坪面積になるのだそうです。
世界中からノーベル賞に匹敵するような優秀な教授陣が集まっていて、学部を設けずに枠を超えてさまざまな研究に取り組んでいるのが特徴です。電子顕微鏡など、どこの研究室でも利用するものは、大学院の予算で調達し共同利用します。研究者同士が分野を超えて交流が図れるよう研究棟が設計されていて、廊下のあちこちにテーブルと椅子が置かれています。教授陣も自分の専門性を超えていろいろな人とディスカッションをすることで刺激を受け、新しいアイデアが生まれ、コラボへとつながっていくのだそうです。当日のセミナー案内は電子掲示板に表示され、その研究室の人でなくても興味があれば受講できます。通りすがる人たちを見ていても、人と会えば、なにがしかの会話をしています。実際に飲み物を片手に話し合っている様子は、ラーニングコモンズを超えた空間に見えました。
授業は全て英語。OISTの看板も全て英語が優先です。日本人学生の割合は当初からあまり増えずに、はやり2割程度とのことでした。日本人が決して優秀でないわけではなく、英語の壁とコミュニケーション能力の違いが大きいとか。
OISTのライブラリーには普通の図書館と違い、2000冊ほどの、主に授業で使用される英語の科学技術の蔵書しかありません。それは、この図書館が電子図書館だからです。主なコレクションは電子ジャーナル、電子ブックとのことでした。大半の利用者は、研究者や博士課程の学生です。既に研究の仕方はわかっているので、調査援助等のレファレンスはほとんどなく、図書館の利用・コレクションに関する問い合わせや所在調査が多いとか。電子資料を主に扱う電子図書館は、学内のニーズに合った状態で維持していくことが大変なようです。紙媒体の資料よりも管理及び契約が複雑になっているので、それにかかる予算の確保、インフラの維持、電子資料の管理に苦心しているとのことでした。現在は2017年2月より機関リポジトリを公開したので、学内研究成果物の登録に力を入れているそうです。
そんな図書館に、恩納村文化情報センターの絵本の案内パンフレットが置かれていました。恩納村の図書館担当者と交流があり、展示会や図書館の情報を定期的に送ってもらう連携もされていました。
海が見えるすてきな場所には、リゾート地かと思えるような赤煉瓦の学生寮や職員社宅があります。同じ敷地内に保育施設があり、研究者や職員、学生も利用できます。大学内にクリニックもあり、ちょっとした小さな町の体裁です。キャンパスは、一般の方も自由に訪れることができ、年間通じて一流の演奏家などのイベントが無料で開催されています。科学の体験プログラムなども用意されていて、未来の科学者も育てています。
OISTの理念の中に、「沖縄の自立的発展」と「地域に開かれた大学」というのがあります。教職員や学生はもちろん沖縄に溶け込んで生活していますが、OISTを訪れる科学者や企業の方々も沖縄の経済に貢献しています。年間通じて開かれる数々のイベントは、沖縄文化の発展にも寄与しています。最初は、恩納村が無償で土地を貸与というのに違和感を覚えましたが、長いスパンで見れば、村に大きく貢献している政策なのだと感じました。
沖縄県立図書館(以下、「図書館」)は、2018年12月に、那覇市モノレール旭橋駅のバスターミナルがある「カフーナ旭橋」ビルの中に移転しました。開設が戦前の1910年という歴史ある図書館は、7つの基本方針のもとに生まれ変わりました。
ビルの3階から5階が図書館ですが、図書館への出入り口は3階のみ。貸出返却コーナーも3階にしかありません。最近の流行りの吹き抜けのエントランスがゆったりとした気持ちにさせます。
3階は、賑わいを演出するコーナー。最近は図書館の中にカフェを作るのが流行っていますが、ここは雑居ビルの利点を活かし、併設された隣のカフェを利用して、ゲート前には椅子や机が用意され飲食可能エリアがあります。図書館内には120名収容できるホールがあります。オープンから3か月は、図書館に来館したことがない層をターゲットにしたイベントが目白押しで、私たちが伺う前日には、東京大学大学院の渡邉英徳教授のデジタルアーカイブの講演が開催されていました。今後も郷土(沖縄)史講座、ビジネス関連や将棋大会などの行事に力を入れて行きたいとのことでした。面白いところでは、「セラピードッグにお話会」というのもやっていました。こどもの読書推進エリアは本棚も低く、サインには沖縄の動植物などが描かれています。机がまたしゃれていて、ディスプレイも何となく沖縄っぽい雰囲気です。学校の教科書を揃えていました。
4階は一般閲覧エリア、ビジネスエリア、多文化エリアなどからなります。ランプシェードは、琉球絣をイメージしていて、机と椅子の数も含めて半端じゃない数でした。放送大学の資料もありました。ビジネスエリアの一角には「ビジネスルーム」があり、企業の名刺交換会、相談会や、ビジネス英会話教室などを開催予定とか。沖縄の新聞をはじめ9種類のデータベースを無料提供しています。面白かったのは、保健所とコラボして大腸がんキャンペーンで作った「Dr.ウンチ トイレットペーパー」が、観光客も目にする場所に置かれていました。「ご自由にどうぞ」とのことでしたが、貰い損ねました。多文化エリアには、アメリカ、上海、韓国などの情報が並び、貸出はしていませんが、DVDを観たいときは利用カードと引き換えに観ることができます。
5階は郷土資料、移民・沖縄コーナーなどがあり、色合いもシックで落ち着いた雰囲気です。実は、太平洋戦争の沖縄戦により、設立以来図書館が収集していた3万冊もの郷土資料は、灰儘に帰してしまったのだそうです。その後、さまざまな機関や個人の協力を得て現在では、山之口獏文庫など7つの特殊文庫コレクションがあります。東恩納寛淳文庫の「琉球国の図」は、図書館内の階段でタペストリーのように見ることができます。薩摩藩調整の琉球図と琉球国が保存していた図では、同じ図でも記入の細かさに違いがあり、当時の2国間の関係性に想いを馳せました。地域誌コーナーでは、地域ごとの資料がずらりと並んでいました。沖縄県に関連した文学や研究資料のほか、市町村・県・国などの行政機関が発行した冊子や書籍も収蔵しています。ブラジル、ペルー、ボリビアなどの展示がされていて、沖縄に移民の歴史があることも初めて知りました。
5階の図書館専用の出口は、立体駐車場と面していて本の配送や集配用の車がつけるようになっています。50万冊収納できる自動書庫がありますが、それとは別に閉架書庫もあります。
「空飛ぶ図書館」と呼ばれる広範囲な県下の離島に本を届けるサービスは、全ての県民へ本に触れる機会を提供しています。これだけの広域をサポートするには大変な努力と苦労があると感じました。
図書館は新しく生まれたばかり。案内いただいた垣花副参事と仲尾涼子氏に、これからの課題などを伺いました。今まで県立図書館を利用しなかった層(親子連れ、家族連れ、学生)の来館が増えたのは嬉しい誤算の一方で、「司書・学芸員の確保を行い、収集した資料を活用できるような体制づくりと、企画・広報を継続的に行える人材の確保」の言葉に、どの図書館も課題は共通するものがあるのだと感じました。
恩納村でウィキペディアタウンをやってみて、沖縄県立図書館の、あのホールで是非やってみたらと勝手に妄想しています(笑)