新宿区立図書館から、連携のためのウィキペディア発進!
図書館つれづれ [第48回]
2018年5月

執筆者:ライブラリーコーディネーター
    高野 一枝(たかの かずえ)氏

はじめに

図書館でのウィキペディア編集イベントは、本コラムでも第43回(注1)でウィキペディア編集体験をお伝えしました。でも、今回は、今までとは志向がちょっと違います。ウィキペディア編集を、図書館主催ではなく、他の部署との連携で試みた、新宿区立図書館(東京都)からの報告です。

新宿区立図書館から、連携のためのウィキペディア発進!

平成20年に図書館法が改正されたのを受け、平成24年に「図書館の設置及び運営上の望ましい基準」が全面的に改正されました。日本図書館協会では、平成26年に「図書館の設置及び運営上の望ましい基準活用の手引き(注2)」を作成するのですが、その手引きの一部「公立図書館の図書館サービス」部分を、縁あって新宿区立図書館の萬谷(よろずや)ひとみさんが担当することになりました。しかし、当時は「(五)多様な学習機会の提供」の望ましい基準といえる事例が見つからず、悔しい思いのまま発行されました。

その後、新宿区では、平成20年に策定した新宿区立図書館基本方針を、平成28年3月に全面改正しました。その策定に携わり、全30項目の一つに「多様な学習機会」を取り入れたのは、数年前の悔しい思いへのリベンジだったと言います。萬谷さんがウィキペディアタウンを知ったのは、そのころでした。自身でも参加してみて、これは使えそうと感じていた矢先、他部署から、ひきこもりなどの若者を支援する一環として、図書館に協力が求められたのです。また、自殺対策を行っているNPOからも、図書館と連携して一緒に事業をやりたいと相談がきました。ウィキペディアタウンの開催について、館内での合意を考えていたときに、タイミングよく相談されたのは、運もついていました。既にウィキペディアタウンを開催した方々からアドバイスをいただき、早速、企画書を作成し、他係長や館長に相談したところ、トントンと話が進みました。教育長からも「面白い事業だから、キチンと教育委員会にも諮り、プレスリリースもしなさい」と、心強い言葉をいただきました。その背景には、図書館に赴任後、通信教育で司書資格を取得した藤牧功太郎館長の後押しがあったのは言うまでもありません。こうして、その事業は、「ウィキペディアでウキウキ~地域の課題解決のヒント講座~」と銘打った、若者のひきこもり/自殺予防/まちの歴史研究会の各団体に声をかけ、新宿区の図書館員合わせて15名が参加する、内輪の勉強会の実現につながりました。

萬谷さんの試みを偶然知った私の触角が動きました。この講座は、各団体に今後主体的にウィキペディアを開催していただきたい主旨があっての勉強会です。各団体に主催してもらうためには、ウィキペディアの楽しみ方や効力を、主催者自身が体験して理解してもらうこと。同時に、図書館は各団体の後方支援ができることをアピールするのが目的であることに、興味を覚えたのです。そこで、藤牧館長につないでいただき、取材目的で特別に参加させていただきました。

講師は、ウィキペディア編集者の海獺(ラッコ)氏。今回は、関係団体が今後主催した時に、参加者が感じる体験をするのが目的です。そのため、一から記事を作成するのではなく、新宿の地域に関する既記事に出典をつけるという、まずは楽しんでもらい、達成感を味わってもらうことを最優先しました。

プログラムは午後から始まり、館長の挨拶の後、1時間ほど海獺氏よりウィキペディアとは何か、ウィキペディアの記事を編集する方針、本日やることなどの説明がありました。

休憩を挟んで、1時間半ほど、予め図書館職員と海獺氏が用意した52項目に出典をつける作業に取り掛かりました。52項目って、中途半端な数字だと思いませんか?出典項目の一部をお見せすれば、納得していただけるかと思います。

そうなんです。参加した団体が、今後自主的にイベントを開催する場合を念頭におき、各班の班長がトランプを引いて記事を選ぶという、なんとも楽しい雰囲気から始まりました。対象が変われば、ウィキペディア編集の見せ方や方法や演出も変えてくる、講師の粋な計らいでした。

最後に、ウィキペディアを用いたイベントの可能性や、記事編集や投稿に伴う自己肯定感について、海獺氏から補足説明がありました。短い時間でしたが、10個出典が付き、質疑応答も活発な意見が飛び交い、17時に終了。実に濃い時間を過ごしました。

これまでの編集体験からすると、出典を付けるだけの簡単作業のように見えますが、新宿の文化財や地域資料を知ることができたうえ、達成感は自信につながることを体験できました。それにしても、52項目の出典資料をわずか1日で揃えたというから、やはり司書は凄いです。

萬谷さんから、今後も「多様な学習機会の提供」を主として、ウィキペディアのイベントを企画したいその先に、実は、夢のような企画を温めていました。それは、2020年に向けて一つでも(夢は、一つでも多く!ですが)、新宿の文化財に、ウィキペディアのQRコードを付けたいとのこと。しかも、日本語、英語、韓国語、中国語に翻訳して。そのためには、文化財の部署、多文化の部署などとの連携が必要です。どんなふうに実現するのか、見守っていこうと思います。

後日、参加した各団体に、いきさつや感想をお伺いしました。

NPOオーヴァ(以下、OVA)(注4):土田毅氏

インターネットを活用した自殺対策・相談支援を行っている団体です。Web上で「死にたい」などと検索すると、googleの検索連動広告を用いて、相談を受け付ける文言が出てきます。クリックすると、相談サイトにつながり、臨床心理士や精神保健福祉士などの国家資格を持ったチームで相談を受け付け、行政や医療などの必要な連携機関につなぎます。2003年、「いのちの電話」などのWeb版ともいえるこの手法「インターネット・ゲートキーパー(通称:夜回り2.0)」を開発したのは、OVAの代表理事の伊藤次郎氏。まだ32歳の若者です。“ OVA”とは、ラテン語で「卵」という意味で、村上春樹のスピーチの一節からとったとか。

OVAでは、2017年5月より、若者の自殺率が高い新宿区を中心に相談を受け付け始めました。代表の伊藤氏が新宿区の自殺対策委員会に参加しており、そこで、新宿区の藤牧館長と知り合いました。海外での図書館を活用した自殺対策の事例や、神代浩著「困ったときには図書館へ」を読み、「何か一緒にできないか」と考えて図書館へ話を持ち込んだのがきっかけとのことでした。

実際にウィキペディア編集に参加しインタビューに応じてくださったのは、土田毅氏。多世代の市民活動として、また「情報」に関する学習の場として非常に魅力的に感じたそうです。図書館で資料を探す作業と、Web上で編集する作業があるので、世代による得意不得意を活かしあえるとも。また、中立で検証可能な情報を探し、Web上で編集する、それをまた誰かが調べて追記していくという循環は、私たちが普段見る情報が、どう作られていくのか学ぶ非常にいい機会になると語ってくれました。

図書館との連携はウィキペディアに限らず進展していました。まず、本のフェア企画、「私が生きづらかった時に読んだ本50選(仮題)」の検討が始まっていました。図書館のトイレにDV(ドメスティック・バイオレンス)の案内があったのをヒントに、情報を積極的に届けるためのパスファインダーも充実していきたいと、次のアイデアも出ています。図書館の公共性の高さを利用しながら、地域資源の情報提供はOVA、本に関する情報は図書館からと、それぞれのリソースの違いを活かした役割分担で必要な人に必要な情報を届けたいと話してくれました。

公益財団法人 新宿区勤労者・仕事支援センター就労支援課 総合相談・若年者就労支援(注5、以下、支援室): 上岡亜矢子氏、加治屋圭史課長(ヒアリングのみ)

支援室を訪れる人は、引きこもって夜中にゲームをしていたり、すぐキレたりする人と思っている方は多いのではないでしょうか。実際、加治屋氏も赴任前は、メディア情報のバイアスがかかっていたそうです。しかし、着任して、その思いは一掃されました。どこにでもいる、素直な人もいれば、人懐っこい人もいる、それぞれ個性を持った“人”として捉えることから始まったといいます。

支援室は、「アルバイトが長続きしない。仕事をしたいけど、どうしたらよいかわからない」「勉強も仕事もしていない状況が続いている。どうしたらいい」「正社員を目指すかどうか決まってないけど、自分のペースで働きたい」「働き始めることに悩んでいるが、どこに相談すればよいかわからない」そんな悩みをもった人たちを支援する場所です。元々は引きこもりの支援がメインでしたが、より積極的に関わるために、就労支援にシフトしました。とはいっても、センターへ本人が直接来るケースは少なく、関係機関(行政でつながっている保健所、福祉センターなど)や親を通じて利用するケースが多いそうです。延べ相談件数は月30~40人ほど。年齢も状況も人さまざまです。でも如何せん、多くの方に、知られていないのも事実。

そこで、図書館をイベントの場として使えれば、周知もできるのではと思ったのが図書館へ声をかけたきっかけでした。図書館は誰もが使え、特別な場所ではないのも魅力でした。

ウィキペディアに参加してみて、想像していたより簡単に取り組めたといいます。何よりネットリテラシーが押しつけなく学べることが大きな発見でした。就労で立ちすくむ若い方々には、「仕事をする=人と仲良くすること」と思い込んでいる人が多いとか。失敗して経験を積んでいく過程の中で成長するプロセスが中々味わえない、そんな経験不足が思い込みを作ってしまっています。ゲームのバーチャルの世界で過ごしている世代の人に、リアルな人間関係の構築のツールとしてウィキペディアが使えると感じたそうです。

来年度は支援室内にフリースペースを設け、そこでパソコンが使える環境も整備し、インターネットを通じた情報発信もしていきたいとのこと。顔が見えるからこそできる連携やイベントなども試みたい。ウィキペディアは、そのツールとして十分手ごたえを感じたと語ってくれました。

今の世の中は、一度ドロップアウトした人が、再度チャレンジすることがなかなか困難な社会に思えます。人生はいつでも、何度でもやり直せる、そんな再チャレンジの場所として、機能を発揮してほしいと感じました。こちらも、図書館の場所を借りて開催するイベントの連携が始まっています。

新宿つつじの会(新宿研究会):野嵜正興氏、谷口典子氏

新宿つつじの会は、江戸以降の新宿の歴史をテーマごとに色んな角度からより深く調査研究し、これまで書かれた歴史書の間違いやあいまいな点を明らかにして公表、論文化していくことを目的に活動している会です。成果の一例ですが、新宿の消失河川「蟹川」に関する一考察を、論文として公表しました。

フォトグラファーである野嵜氏は、資料を提供する側の人。谷口氏も、NPO法人粋なまちづくり倶楽部神楽坂で「神楽坂アーカイブズ」(注6)や、埋もれている郷土の人々や事柄を掘り起こし紹介することに力を入れています。“松井須磨子”については特に研究されています。松井須磨子に対する評価一つをとってみても、100年前の男尊女卑の時代と今の評価は全く違います。「100年前の評価は評価として近年見直されている」、とウィキペディアに書き込むには、まずは、研究発表を公にしていかなくてはいけないと、気持ちを強くしたそうです。資料を多く集め既成の概念にとらわれることなく調べる中、客観性とはなんだろうか、と考えてしまうこともあるとか。

今回の勉強会でモノの考え方が真摯に問われたと感じたそうです。ウィキペディアの理念を知る機会を得たとともに、社会参加の一つの理想形を示されて、非常に啓発される勉強会だったと感想をいただきました。研究会として、ウィキペディアの引用文献として活躍できるよう、引き続きテーマごとにまとまり次第公表していくとのことでした。

ウィキペディアを利用する側と利用される側、立場は違え、図書館が後方で支援できることがわかり、大きな収穫であったと感じました。

また、これを機会に参加した団体の連携も検討されています。OVAでは、年間200人ほどを対象に対人援助者向けの自殺危機介入研修を開催しています。保健師、看護師、社会福祉士、行政の医療関係機関などが対象です。今回参加した就労支援などにもアンテナを広げることも検討したいとのことでした。多くの機関が連携して最上の効果を発揮できるよう願っています。

図書館つれづれ

執筆者:ライブラリーコーディネーター
高野 一枝(たかの かずえ)氏

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