3月14日(土)に岩手県一関市文化センターで開催された図書館総合展フォーラム「東日本大震災と岩手の図書館/震災アーカイブの構築と活用」に参加してきました。盛りだくさんの内容なので、概要だけでも紹介します。
神戸大学附属図書館では、平成7年1月17日の阪神・淡路大震災の直後から生み出されている被害・救援・復興などに関する様々な資料・文献を収集し、「震災文庫(注1)」として公開しています。基調講演の前に、震災文庫に当初から関わっておられた稲葉氏による、公開までの情報交換会や著作権処理など、震災アーカイブの先達としてシェアできる貴重なお話でした。
作家の及川和男氏は、一関市立一関図書館の名誉館長です。3.11で感じたのは、著作「村長ありき」の中で赤ちゃん村長が話す「命あってのものだね」だったと言います。人間が主語で、物が命より上にきてはいけない。放射能に汚染された重い課題を突き付けられ、今もう一度人としての根底の価値観が問われていると感じたそうです。
震災直後、漫画家や音楽家の励ましが東北を勇気づけた時、作家として何ができるかと問うて、短編集「12の贈り物」を編んで印税を寄付することからスタートしたそうです。「記録し、記憶し、伝えていく」。子どもたちのトラウマが心配される中、子どもたちの作文も紹介してくれました。
自分の傍にいる人を優しくするなどの価値観の変化や、震災を意識し続けることが心の備えになると、まさにアーカイブの必要性を唱える子どもたちもいました。風化の風を食い止めるために震災アーカイブの力に期待し、図書館の役割は大きいので使命を持って取り組んでほしいとのエールでした。
新図書館は、駅から徒歩5分、駐車場も120台の素晴らしい条件の中、平成26年7月に開館しました。基本設計検討中に震災に遭遇し、災害時の避難場所とすべく建物の強度や落下防止対策などの設計変更がされました。特徴的なものとして
書架は低くシンプルで、1階にはカフェ2階には読書テラスやサンルームがあり、人が集まるコミュニティ空間が充実しています。iPadの貸与や国会図書館のデジタルサービスも取り入れています。一関市ゆかりの大槻文彦が編纂した「言海」にちなみ、国語辞典コレクションのコーナーもありました。「でかけよう ことばの海へ 知の森へ」を、図書館のスローガンに掲げています。
お二人のパネリストによる話題提供がまずありました。
県下の被災状況の把握に始まり、県立図書館の被災地支援は2つに分けられます。
一つは、寄贈図書の仕分け・データ入力、郷土資料の収集や出前研修などの直接支援。
もう一つは、支援の申し出と被災地のニーズのマッチング、BM(移動図書館車)運行支援の調整や寄贈図書情報の一元化などの間接支援です。この間接支援は、やはり県立図書館の大きな役割だと聴いていて感じました。活動の中で、“地域資料の大切さ”を実感したと話されました。
陸前高田は、職員6名と非番職員1名の命と、蔵書8万冊、移動図書館さえも失った図書館です。翌日私もバスツアーで現地に伺いましたが、図書館があった地区はかさ上げされ、場所さえわからない状態でした。震災直後、それでも、「やれることからやる!」と教育委員会は目標を掲げ、人の配置や本の登録をしていきました。多くの方の支援により、市内には、「にじのライブラリー」「NPO法人うれし野こども図書室分室ちいさいおうち」「陸前高田コミュニティ図書室」の民間支援による図書室が開館し、市立図書館を支えてくれました。
仮設図書館では、生活が一変した市民の方の憩いの場になるべく、「話して、聴いて、納得して、ホッとする」場になることを心がけているとのことでした。実際に伺って、“ちいさなおうち”では、子どもをお昼寝させて読書するお母さんのほのぼのした姿を見ることもできました。
そして、一関図書館長の小野寺篤氏も加わり、シャンティ国際ボランティア会の鎌倉幸子氏の司会の元、短い時間でしたが、パネルディスカッションがありました。
雇用期間が短い臨時職員が多い中、継続的に計画を押し進める人材がいないのが一番の問題。人を育てる研修そのものもできていないが厳しい現実とのことでした。
陸前高田の地域資料は県下から届いているものの元には戻っていない。今回の教訓として、地域資料は、地域と県立図書館と分散して持つべきではとの話がありました。また広報をデジタル化していなくて全て無くした自治体も話題になりました。
震災直後は眺める資料の要求が多かったけど、日常生活が戻り始めると本の要求も変わってきました。気仙沼の写真集の中に日常を見たいという要望に、「本の力」を感じたそうです。
最後に、図書館は緊急時には避難所ではあるけれど、やはり「きちんと残していく」という役割もある。栄養だったり居場所だったり第2の居間としての役割と、郷土資料の保存をとおして、「こころの復興こそが真の復興」の役割を担っていくと、ディスカッションを終えました。
被災状況の分析や、図書館のこれまでの活動を様々な視点で分析し、課題点などを俯瞰図で説明されました。発生後の対応フェーズから事前の予防フェーズへと図書館が社会的に共有すべく事業に取り組めるよう、これだけでも数時間の講演ができる内容でした。
アカデミック・リソーズ・ガイド株式会社の岡本真氏の司会のもと、4人のパネリストによるアーカイブ取り組みの話題提供のあと、パネルディスカッションとなりました。
震災アーカイブは、記録を残す事の重要性と現場での活用に開きがあるものの、アーカイブの取り組みは始まったばかりで、性急に評価できるものではないとの意見がありました。
また、アーカイブの標準化については、個々に作られた情報を横展開できる仕組みや、吸い上げる仕組みが必要との話が出ました。小さな取り組みでも地域に活用できることが大事とありましたが、1ベンダの端くれだったこともあり、アーカイブの標準化の必要性は切に感じます。
及川和男氏の著書「浜人の森」に書かれた宮古市姉吉地区は、森にすむ漁師さんの集落です。
昭和8年の大津波の津波記念碑が、毎日行き来する生活の道に、高さ1メートルほどの自然石で立っています。そこには以下の文が刻まれていて、記録であり記憶の役目も果たしています。
上段:「高き住居は児孫の和楽 思へ惨禍の大津波 此処より下に家をたてるな」
下段:「明治廿九年にも 昭和八年にも 津波は此処まで来て 部落は全滅した 生存者僅か前二名 後に四人のみ 幾年経るとも用心あれ」
不憫を忍んで守ってきて、今回は全戸無事だったそうです。
翌日の陸前高田と気仙沼ツアーでは、復興の様子も見てきました。まちを移転するのではなく、今の場所を10メートルかさ上げすることを決断し、数キロに及ぶパイプラインが眼前に広がる光景も見ました。気仙沼市気仙沼図書館(注8)の千田基嗣館長からは、撤去を決意した「船」という詩のカードもいただきました。ブログ(注9)にも公開されています。
今回のフォーラムは、人が自然と共存するとはどういうことか、そんなことを考える旅でもありました。もし機会がありましたら、是非現地へ足を運んでみてください。
コンピュータがなかった時代、本がどの棚にあるかを探し出す手段は目録カードでした。資料名、著者名、出版社順などのカードをアイウエオ順につくり、そのカードから本が置いてある棚の分類(NDC分類)にたどり着いていたのです。図書館システムの最初の頃は、半角のカタカナしか検索できませんでした。当時は記憶装置がとても高価だったので、少しでも節約するため、濁点・半濁点の読みを入力しない図書館もありました。今でも名残が残っていて、「バーバパパ」は「ハハハ」でヒットするのです。ちなみに私たちは、この検索仕様を、「バーバパパ仕様」と呼んでました。
インターネットが普及して漢字検索が可能になり、私たちのシステムも全文検索対応を迫られていました。でも、データベースエンジンが提供する全文検索のツールは高価で手が出ません。採用すれば、システムの価格も当然高くなり、他のシステムと競合できなくなるジレンマ状態にありました。
そんな時、ある区立図書館からシステムのデモンストレーション依頼がきました。それまで大規模図書館ユーザーがなかったので、嬉しさ半分、不安半分でデモをさせていただきました。電算担当のKさんは、私たちのシステムをとても気に入ってくれましたが、大規模図書館の採用実績がないということで、職員の方には受け入れられず、結局採用には至りませんでした。それでも、Kさんから、「気にいった機能は、全て取り入れさせてもらうよ」と連絡をいただき、こちらも持っていかれるばかりでは面白くありません。感想を聴きがてら、全文検索機能で悩んでいた悩みを打ち明けてみました。
そのとき、Kさんは、「システムのコンセプトを貫き、コストパフォーマンスを求め続けるべき」と言ってくださり、悩んでいた私の背中を、「ポン!」と押してくださったのです。それがきっかけで、自前で全文検索システムを開発し、区立図書館にも採用していただくようになりました。
お会いしたのは、2,3度。しかもユーザーでもないので、それから一度も会ったことはありません。だけど、私の中では、Kさんもまた「忘れえぬ人々」です。