東京都新宿区立大久保図書館(注1)は、新宿区の中でも住民の約3割強(COVID-19前は4割)が外国人という地区にあります、そのため図書館の棚の多言語多読資料は充実しています。多くの外国人住民の方々が暮らし、学び、働く地域にある図書館として、多文化共生のためのサービスに力を入れる大久保図書館のコンセプトは、色々なイベントに活かされています。例えば、外国人と日本人とが一緒になって日本語によるビブリオバトル(お薦めの本を紹介しあうゲーム)を行い、ゲーム終了後は懇談会を開催し、国際交流に一役買いました。月に一度(COVID-19前は週に一度)のお話会は色々な言語で開催されます。トルコでは有名なとんち話「ナスレッティン・ホジャ」は周辺地域の言語にも広く派生して、親しみが持たれています。このお話の時は、トルコ語、ペルシャ語、アラビア語で読み聞かせを行い、各言語の絵本の紹介や、トルコ、イラン、エジプトの工芸品展示なども行い、3つの文化を同時に味わうひとときを楽しんでもらいました。
2022年8月、そんな大久保図書館で開催された平和事業「大久保に語り部がやってきた」を聴いてきました。図書館内にはブックトラックを利用した企画展示があり、会場には昭和館からお借りした戦争中の防空頭巾や臨時召集令状などの実物資料も展示され、イベントを盛り上げていました。今回は、「語り部」イベントの報告です。
東京都千代田区九段下にある昭和館(注2)は、戦中、戦後の国民生活上の労苦を後世代の人々に伝えていくことを目的として、1999年3月に開館した国立の施設です。戦没者遺族、親元を離れ学童疎開した子どもたち、空襲により家や家族を失った人々等、戦中・戦後を体験した方々も、戦後70年余りが経過し高齢となり、当時のことを語り継いでいくことが難しくなっています。そこで、厚生労働省からの委託を受けて2016年より、戦中・戦後のくらしの様々な労苦を次世代に語り継いでいく、戦後世代の伝承者「次世代の語り部」の育成事業を実施しています。といっても、誰でも手をあげれば「次世代の語り部」になれるわけではありません。昭和館主催の3年間という長い期間の座学(戦中・戦後に関する知識の習得ほか)や資料調査に講話原稿作成などの研修を修了した方々で、現在17人が登録されています。学校や公共・民間団体から「次世代の語り部」派遣の要望があると、対象年齢や幾つかのテーマの中から希望を伺い、語り部を派遣し講話活動をしています。
二人の次世代の語り部が以下の内容で話してくれました。
対象は小学校6年生から中高生ということで、私たちもその年代になったつもりで耳を傾けました。安井氏のファミリーヒストリーに沿って、家族写真や資料を用いて戦前、戦中の学校生活について話してくれました。合間に、体験者の証言や手紙などを取り入れ、その時代へといざなってくれます。新宿区にまつわる話も織り交ぜて、子どもたちの想像力で理解を深められる講話でした。彼女の実家は3.11の被害に遭ったので、泥の中から救い上げた傷んだ数々の家族写真は、震災の悲惨さも伝えてくれました。
対象は中学生から一般向け。気象予報士の彼女は、真珠湾攻撃から敗戦に至るまで、天気予報は軍事機密ということで、一般には伝えられなかった事実に焦点をあてて、どんなことが起きていたかを話してくれました。庶民が頼りにしたのは、「カナトコ雲を見たら大雨になる」などの昔からの知恵でした。今ほど正確な情報ではなくても、予報があれば、台風被害などで助かった命があったかもしれません。その一方で、1945年3月10日の東京大空襲では、アメリカは飛行機により日本の上空の精度の高い気象情報を入手し、北風が吹いて晴れると予測し、焼夷弾を落としたという逸話を聞き、やるせない気持ちになりました。気象情報は、今は世界各国が協力し合って使っているそうですが、ウクライナの観測データが一時期途切れていると聞き、ウクライナの戦争も遠い出来事ではないことを改めて思い、「気象情報が自由に入手できるのは平和の証」という長谷部氏の言葉の重みを考えました。気象の視点で戦争を考えたことはなかったから、とても新鮮でした。
講演の後に、大久保図書館から「図書館で開催する意味は、人と本がつながること」との提案で、今回のテーマの背景にあるお薦め本を二人が披露してくれました。
本人が体験したことではない話を語るのは大変な作業です。お二人がそれぞれの立場で自分の中で租借し、語ってくれたからこそ、心に響くものがありました。
3年という時間をかけて「次世代の語り部」になろうと努力し、今なお活動を続けているエネルギーはどこにあるのか、お二人に同じ質問を投げてみました。(敬称略)
安井:千葉県四街道市で築135年の蔵を改修したまちライブラリー「蔵の図書館(注3)」で、地域の人の憩いの場として図書館活動をしている。併せて、学校で読み聞かせボランティア活動をしているが、平和絵本に関してはどう取り扱えばよいか不完全燃焼で悩んでいた頃、四街道市立図書館で昭和館「次世代の語り部」育成事業のチラシをたまたま手にした。語り部になれば、平和絵本のブックトークや読み語りも含めて、学校のゲストティーチャーのような活動ができるのではないかと思った。
長谷部:小学校6年生の時に戦争について学ぶツアーで広島へ行き、語り部の沼田鈴子さんの体験に衝撃を受け、「平和の種(=事実や経験者の思いの伝承)」を自分も撒きたいと思った。ただ、その後、具体的な活動はしておらず、年に1回仕事を通じて、戦争体験者の話を聞いたりするのみだった。仕事を全うする方が先で、活動は自分に時間ができるもっと後にしようと思っていた。そんな中、2011年に沼田さんが、ラジオでご一緒した永六輔さんが2016年にお亡くなりになった。沼田さんや永さんがご存命だった頃は、体験者の方が伝える話があまりにも迫るものがあるので、引き継ぐことや伝えることの重要性に気づけなかった。永さんがお亡くなりになり、いよいよ危機感が募っていた時に、ちょうどSNSで語り部の募集があり、とりあえず、時間がなくてもできる範囲で、活動を始めてみようと思った。
安井:平和絵本の読み聞かせ活動については、昭和館の語り部活動とは区別して行う必要があるため、今は、絵本専門店の開催では、平和絵本読書会を第2部で開催したり、今回のように、語り部活動の後に紹介するなど運用で補っている。
長谷部:戦争について知ってもらう活動をして、戦争について知りたい・発信したいと思っている方が意外と周りにいることがわかった。一方で、想像通り、関心のない人、戦争への危機感を暗に言うことについて、否定的な人がいることもわかった。また、やはり仕事優先の中で始めたので、講話をブラッシュアップする時間が確保できず、もっと突き詰めることができないでいる。
安井:体験談の可能な限りの裏付けを取ること。知らないことわからないことは、「知らない」と正直に伝えるようにしている。
長谷部:今の生活でも実感できる例や自分が気持ちを共有できることをできるだけ講話に盛り込む。沼田さんほか、体験者に話を聞いた時の自分の気持ちを1回1回思い出して、自分の感情を乗せて講話に挑むこと。ただ、感情は入れ過ぎても伝わらないので、その匙加減を毎回考えること。
安井:今現在やめようとか、やめたいとは考えていない。活動はまだまだこれからだと考えている。現在、新講話原稿がほぼ完成しているのが1つ、途中の原稿が1つある。
長谷部:しばらくは今のスタイルで続けようと思っている。時間があれば、もう1つ講話を増やしたいと考えている。
最近「プロボノ」という言葉を知りました。ウィキペディアによれば、プロボノとは、各分野の専門家が、職業上持っている知識やスキルを無償提供して社会貢献するボランティア活動全般、または、それに参加する専門家自身をいうのだそうな。
長谷部氏のように、それぞれの専門家が無理のない範囲でボランティア活動に取り組み、専門家の視点から切り取ったお話は、聴く側の学びにつながると思いました。ちなみに、気象予報士は合格率5%の狭き門だとは聞いていましたが、職業として生業をされている方は1,000人前後と後で聞きました。どこの世界も、生きていくのは一筋縄ではいかないようです。
安井氏は、次世代語り部の第一期生。受講者も主催者も手探りでどうやって伝えていくのか試行錯誤を繰り返しているようです。戦争体験を単に語り継ぐだけでなく、語り部の中で消化して語り継ぐことが大事かなあと感じた次第です。恥ずかしながら「シンドラーのリスト」を知らなかった私は、ミーテク・ペンパー著『救出への道 シンドラーのリスト・真実の歴史』をさっそく読んでみました。このイベントで、新しい本にも出会い、平和を考えるきっかけとなりました。